今日のトンビは高く翔ぶ
久しぶりに連休です。
天気も良くて、朝から海岸沿いをドライブしました。
お盆も過ぎたというのに今年は暑いです。
例年だと暑い中にも夏の終わりの足音が聴こえる様で、少し寂しい気持ちにもなるのですが、今年は足音が控えめです。
夏真っ盛りな感じです。
スマホには連日、熱中症の注意を喚起するメッセージが届きます。
それでも夏は大好きなので、今日の様な晴れた休日は決まってこの浜辺にやって来ます。
途中のコンビニでサンドイッチとコーヒーを買います。
人気の無い眺めの良いお気に入りの入江があります。
クルマを停めてひとしきり浜辺を散策します。
海と山に囲まれた岬の私が暮らす街では、よく見る水鳥のアオサギが、この入江には沢山います。
アオサギ自体はこの街に暮らす限り、珍しくはないのですが、こうしてマジマジと観察するのは、この入江に来たときぐらいです。
成鳥だと体長は100センチ羽根を拡げると160センチ程もある大柄な鳥です。
浅い浜辺をポツポツ歩く姿は優雅です。
そんなアオサギに気をとられている時、ちょっとしたアクシデントが起こりました。
私の手から食べかけのサンドイッチを奪う者に遭遇したのです。
音も無く近づき、見事に強奪されました。
私の手の甲には、その盗っ人が接触した感覚がありましたが、なす術無く強奪されました。
犯人は鳶、トンビです。
子供の頃には何度と無く、今日と同じ様に食べ物をかっ攫われた経験があるので、
今日もやられた瞬間に犯人はトンビだ、とわかりました。
何十年ぶりに手の甲にトンビが接触した感覚がなんとも懐かしく、
サンドイッチを奪われたのに、なんだか嬉しくなってしまいました。
アオサギも沢山いますが、トンビはもっと沢山います。
どのトンビが私のサンドイッチを盗んだかは、沢山いるので、わからなくなってしまいましたが、
私の興味はアオサギからトンビに移りました。
そして、いつもはなんとなく眺めているトンビの中の一羽にフォーカスして観察してみることにしました。
トンビは飛び立つ時以外はあまり羽ばたかず、グライダーの様に風を掴んで滑空します。
円を描いて、上昇します。
私がフォーカスしているトンビは、どんどん上昇し、仲間たちが飛んでいる高さから、もっともっと高く飛びました。
仲間たちも相当高い所を旋回しているのですが、私が見ているトンビはその3倍程度は高く飛んでいる様に見えました。
何しろ、私の目で小さな点にしか見えない程の高さまで昇って行ったのです。
こうしてトンビに注目することが無いから、気づかないだけで、時々地上から見上げると小さな点になる程まで高く飛ぶものなのかも知れませんが、
見失う程高く翔ぶトンビにはじめて気づいたので驚きました。
どうしてそんなに高く翔ぶのでしょうか。
仲間たちよりもはるか上空です。
私の視力では、目をこらしていないと見失うレベルです。
高く翔ぶ理由があるのかも知れません。
しかし、私には只々気持ちよく飛んでいる様にしか見えません。
アオサギが水辺を優雅に歩くのも、食べ物を探して必死なのかも知れないし、
トンビが信じられないくらい高く翔ぶのも、何かしら納得の理由があるのかも知れません。
しかし、私から見るとアオサギは優雅であり、高く翔ぶトンビは崇高でさえあります。
そんな優雅で崇高な彼らは、ただ生まれ、ただ生き、ただ土に帰る、そんな生の営みを淡々と粛々と続けているんだな、と思いました。
なんとも潔い存在だと思います。
人は少し余計にアタマが進化し過ぎた様に思えて来ます。
人は、ただ生まれ、ただ生き、ただ土に帰ることが出来なくなってしまいました。
母は85歳を過ぎた老人です。
だいぶ衰え小さくなりました。
しかし、潔さとは縁が無く、人間関係や金銭、恨みごと、不平不満、様々なことにまかれて生きています。
どうやら他者から心配して欲しいらしいのです。
どうやら皆から好かれたいらしいのです。
どうやら便宜を図って欲しいらしいのです。
どうやら立派な人と思われたいらしいのです。
そのために、支配しよう、欺こう、言い包めよう、そう思うらしいのです。
人は思考することが得意になり過ぎて、大きな何かから離れてしまった様に思います。
人の在り方として、
人生の中盤までは自我を確立する旅で、
人生の後半は、自我を手放す旅だと言います。
大きな何かから離れる旅であり、
大きな何かに近づく旅なのでしょう。
久しぶりの連休初日の朝、
秘密の入江にクルマを停めて、
アオサギの優雅さに、
トンビの崇高さに、
彼らの潔さに、
いろいろと考えさせられました。
八月も半ばを過ぎて、いまだ夏真っ盛り。
今日のトンビは、やけに高く翔びます。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
NAMIDAサポート協会カウンセラー
伴走者ノゾム