カラカラに乾いた人は騙されやすい
自分に価値を感じる事が出来ない人は、他者の承認、賞賛、が欲しくてたまりません。
人が生み出すネガティブな感情は星の数程ありますが、
最も認めたく無い感情が、無価値感、と言えます。
自分に価値を感じる事が出来ない人は、ただ其処に居るだけで、何かに追われている様な、誰かに責められている様な、此処に居てはいけない様な、収まりの悪さを何時も感じています。
何もしないで、ただ其処に存在する自分は無価値だ、と感じてしまいます。
放っておいたら無価値感に押し潰されそうになってしまいます。
だから、自分に価値を感じる事が出来ない人は、
他者の承認が欲しいのです。
他者からの賞賛を浴びたいのです。
他者に優越したいのです。
自分では感じる事の出来ない自分の価値を、他者に補って欲しいのです。
ネガティブ感情の中でも最も認めたく無い感情である無価値感からの逃避衝動は強烈です。
他者の承認、賞賛を得る事が生きる目的になってしまいます。
目の前の他人に好かれたい、
この人に誉められたい、
あの人に一目置かれたい、
その人よりも優れたい、
自分の評価は、全面的に他人任せです。
他者の心は、私達にはコントロール出来ません。
私達が唯一コントロール出来るのは自分の心だけ、です。
コントロール出来ない他人に自分の評価を委ねているのですから、これ程不安定な状態はありません。
不安定だから、もっともっとと他者の評価を求めます。
自分に価値を感じられない人は、カラカラに乾いて、他者が価値を感じさせてくれる事を求めます。
世の中には優しい人は沢山居ます。
しかし、欺く人も沢山居ます。
欺く人は、騙しやすい人を始終探しています。
カラカラに乾いた人に、最初から愛想よく水の入ったコップを差し出す人は、往々にして何らかの意図を隠し持っています。
本当に優しい人は、カラカラに乾いた人を心配しても、先ずは様子を伺います。
本当に優しい人は、他者に優しい分だけ、自分の事を大切にする人です。
人は自分の事を大切に思う分だけしか、他人を大切には出来ません。
自分を大切にするからこそ、優しい人はカラカラに乾いた人を先ず見極めようとします。
最初から法外に愛想よくコップの水を差し出す人には、注意が必要です。
カラカラに乾いた人は、自分を大切に思う事が出来ない人です。
何故ならその人は無価値感に苛まれる人だから、です。
カラカラに乾いた人は、差し出された水を一気に飲み干します。
毒が入っていても、カラカラに乾いているから飲み干します。
自分を大切に思えていないから、飲み干します。
無価値感に苛まれる人は、自分を信じられる筈も無く、自信が無いから、大事な局面になればなる程、他人の意見に左右されます。
自分など信じるに値しない、と感じているから、他人に左右されます。
他者の意見に耳を傾ける、とか、素直である、とか言った次元では無く、愛想よく水を出されたら、飲み干してしまいます。
自分に価値を感じられない人は、他者に承認される事が何よりも大切だから、重大な局面で騙される人です。
世の中を疑ってかかる事を勧めている訳ではありません。
しかし、自分に価値を感じる事が出来ない人は、必然的に脇が甘くなる事を肝に銘じる事は大切です。
その意味で、最初から愛想よく水を差し出す人には注意が必要、という自分の中の取り決めを作るのは、有効な危険回避の方法です。
自分と向き合い、自分が抱える無価値な思い込みは単なる思い込みに過ぎない事が腑に落ちたなら、
欺く人が愛想よく差し出した水の毒は、自ずと見える様になります。
財産を全て失った人、信用を失った人、を沢山見て来ました。
大きなものを失った事が契機となって、生きづらさを手放す人は沢山居ます。
いわゆる、底打ち体験、を経て、気づきに至る人達です。
その境地に至った人は、これより下は無い、どうとでもなれ、と開き直る事で、生きづらさを手放す一歩手前まで自力で辿り着き、
私がお話しさせて頂く時には、果実が熟して落ちるばかりの状態になっておられる方が大半です。
しかし、底打ち体験、は望んだからそうなる、ということ無い訳で、
そのまま潰れてしまう方も多数居られる事と思います。
出来るなら、底を打つ事無く、自分と向き合い、生きづらさを手放される方が一人でも多くあって欲しいと思っています。
その為には、抱える生きづらさに気がついたなら、
自分と心底向き合う為に、
他者に委ねる生き方から、
上手に離れる事は、
とても大切だと思うのです。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
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