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その言動の動機

感情は常に、川の流れの様に動いているのが本来の姿と言えます。

しかし、生きづらさを抱え、苦しんでいる人は、感情の動きが滞っています。

川は流れず、淀んだ沼になっています。

流れるべきが流れず、澄むべきが淀み、川であるべきが沼であるから苦しいのです。

しかし、感情が動き辛い人が、その事に気がつくのは、容易ではありません。

その人は自分の感情は動いている、と思っています。
川は流れている、と思っています。

何故なら、時に怒りに焼かれ、時に悲しみに沈み、時に孤独に震えるから、です。

だから、感情は川の流れの様に動いている、と思っています。

しかしそれは、川が流れているから、では無く、

せき止められて、淀んだ沼が、許容量いっぱいになって、濁流となって氾濫したのであり、川の浪々とした流れではありません。

せき止められていた感情がある時何かのきっかけで、一気に濁流となって流れ出るから、焼かれる程の怒りであり、沈む程の悲しみであり、震える程の孤独なのです。

濁流だから、激しいのです。

時に濁流に呑み込まれるから、自分は感情が動いている、と思い込んでいます。

川の流れの様に感情が常に動く人には、唐突さがありません。

それは、情緒の安定として現れます。

濁流は堰を切って流れ出しますから、唐突です。

自分では抗えない程の、怒り、悲しみ、孤独に翻弄されます。

言うまでも無く、情緒は不安定です。



感情が動き辛い人が、その事に気が付く方法は、

自分の言動の動機を探ってみる事だと思っています。

堰を切って流れ出した感情は激しいですから、流れ出したその時に動機を探るのは、難しいと思います。

だから、ひとしきり濁流に呑まれた後で構わないですから、

自分の怒りなら怒りについて、じっくりと見つめるクセをつけて欲しいのです。

たとえば、会社の後輩が遅刻をしたとして、その時、後輩に烈火のごとく怒り、怒鳴りつけてしまった、

後輩は社会人として良くない事をしたのだから、自分は後輩の為を思って、叱ったのだ、というのが、表面の理屈です。

その表面の理屈だけを見るのでは無く、どうして激しく怒鳴ったのか、静かに諭す事だって出来たのではないか、と、

一枚一枚薄皮を剥がす様に、掘り下げてみます。

すると、隠された動機が見えて来る事があります。

後輩が遅刻した事は、怒りをぶつけるきっかけに過ぎず、実は最初から自分は苛立って、攻撃する対象を探していた、という事が見えて来る時があります。

きっかけは後輩の遅刻でも、何でも良くて、怒りをぶつけ易い対象にぶつけた、という事が見えて来る場合があります。

せき止められて淀んだ感情が、何かのきっかけで一気に流れ出る時は、

本人が認識する感情は、ほとんどの場合、怒り、の感情です。

しかも怒りは、「後輩が、なってないから」「後輩の為を思えば」という、真っ当な怒りである、という理屈をくっつけて現れます。

しかし、薄皮をめくる様にして、怒りの感情の下に隠れている動機を探ってみたなら、

自分自身に対する無価値感などのネガティブな感情が横たわっている場合が殆どです。

勿論、理不尽な扱いを受けて自分の尊厳を傷つけられた場合に感じる、正当な怒り、もありますが、

「後輩が、なってない」
「後輩の為に」

などと言った、理屈めいたものが、怒りの感情にくっついている場合は、

現れた怒りには、隠された動機がある事が大半です。

その動機が、決して見たく無い、心の傷、です。


機能不全家庭に於ける、親から子への虐待が分かり易い例です。

その親には、どうしても見たくない心の傷があります。

それは大半の場合が、自分には価値が無い、という、信念にも似た強固な思い込み、です。

どうしても認めたく無い、無価値感、から目を背ける為に、親は子供に怒りをぶつけます。

直接的に酷い言葉をぶつけたり、手を挙げたり、という事も有りますが、

大半は、子供を心理的に痛めつける形で現れます。

無関心、過干渉、過保護も、心理的な虐待です。

どの様な形を取っていても、隠された動機は、自分自身に対する深い絶望、と言ってもよい、無価値感、です。

無価値感から目を背ける為に、子供を肉体的、心理的に痛めつけるのですが、

親自身は、「この子がダメだから」「この子の為を思って」という理屈のもとに、躾け、教育といった名目を楯に、

子供に苛立ちや怒りを直接的、間接的にぶつけます。

親はそれを、子を思えばこそ、の躾けであり、教育だと思っています。

つまり惜しみなく与えている、との思い込みのもと、限りなく奪っているのです。


例として、機能不全家庭の親子関係を挙げましたが、

日常のあらゆる言動が、

自覚するものとは違う、隠された動機、によって衝き動かされた結果である場合があります。

それはいつも、怒りや苛立ちを纏っていますが、

その下には、無価値感などの、認めたく無い感情があるのです。

怒りや苛立ちの傍らに、

正義、道徳、規範意識などの理屈がある場合には、

その言動の動機を注意深く探ってみる事が大切な様に思います。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム











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