映画「福田村事件」
「なんでこんなに泣いているのだろう。」と泣きながら劇場を後にした。
自分でもびっくりするほど泣いていたが、感動したとか悲しいという涙ではなかった。今まで流したことのないような種類の涙で、漫画「チ。」を読んだときに感じたものと近かったように思う。
簡単で近い言葉で言うならば「絶望」。
story
本作品は100年前の日本で実際に起こった事件を元にしたフィクション映画であるが、ドキュメンタリーを得意とする森達也監督が撮っている。
書きたいことが多すぎる上にまだ頭の整理も追いつかないため乱文、長文になることを先に謝罪する。
まずこの作品、非常に満足度が高かった。
文句をつけるところが見つからない。
前半部分、村の人々の生活の様子が丁寧に描かれ少し眠くなる気もしたのだが、最後まで見た今はあの前半があってこそだったと思う。
あの群像劇があったからあの場に「たまたま居合わせたただの人たち」であることをより実感させる。
彼らは自分でもあるし、隣の人でもあると思わざるを得なくなる。
村の中で、家庭の中で、あるあるのような小さな事件や不満や不安を抱えながら懸命に生きている、自分となんら変わりのない人間である。
知らなかった負の歴史
私はこの映画の公開を知った時、史実であるはずの「福田村事件」と聞いても、ぱっと思い浮かぶものがなかった。
公式サイトを拝見してもこんな歴史があったの?と不思議に思った。
日本生まれ日本育ち、日本史は好きな教科の一つだった。何で私は知らないんだろうなと疑問で頭がいっぱいの時、「学校教育では、先生によってはさらっとすぎたり、昔と今とで言葉が違う可能性もある」と聞いた。
100年前の近代史…。「大正デモクラシー」?
「水平社宣言」?「南京事件」?
私の記憶はその程度だった。それは、もしかしたら私を教えてくれた先生がさらっと過ぎたのかもしれないし、当時の私にはそれ程刺さらず記憶が薄いのかもしれないが。
どちらにせよ私の記憶が薄いという事は、おそらく熱心には教わらなかったのだろうと推察される。
そして私の日本史、世界史の記憶には圧倒的に被害者意識の方が強いことを実感した。
少し前に友人と話している時に日本って世界で唯一原爆が落とされた国なのに、どの国の事も許して今は良い関係を築けてて、本当に優しい国民性だね。こんな国ないよね。と話していた事がある。
その時のことがふと思い出された。
私は被害者のつもりでいる。
その上、旧ドイツやナチス、ヒトラーを虐殺者として酷いことをした人たちと思っている。
「知らなかったから」
福田村事件のことも。その前後で、日本という国が何をしたのか。
私は知りたいと思った。
たとえ、自分たちにとって都合の悪い「加害的事実」だとしても、私は知るべきだと思った。そして、多くの日本人に知ってほしいと思った。
原爆を落とされたのに友好関係を築ける素晴らしい国。なだけじゃない日本を。
どこかの国や地域からは加害の立場にあるだろう自分たちを。私たちも「許されて生きていけている」という事実を。
それから、私が知らなかったのにはまた別の理由もあったのだと思う。
それが被差別部落問題だ。
福田村事件における被害者が被差別部落出身の行商団だった。
虐殺から免れた人たちも帰郷してから多くは語らなかったそうだ。
そのために福田村事件はさらに闇の深くに閉じこめられていたんだろうと思う。
自分たちの仲間が酷すぎる仕打ちを受けたにも関わらず黙らざるを得なかった理由。それが今の私にはわからない。わからないことに情けなさを感じる。私には想像のできない根の深い問題があるのだろう。私はそれを慮るための知識を持っていないことがただ情けなく思った。
知性と暴力、数の暴力
福田村事件の肝になってきているのは「群集心理の恐ろしさ」であるのは間違いがないように思う。そして私が絶望したのはそこだった。
前半部分の群像劇は本当に様々だった。
ある人は不倫をし、ある夫婦は中国から日本に帰り教員を辞め田舎で開墾し、ある若者は村に馴染めなく、ある男は女にだらしがなく、村長は大正デモクラシーだと太鼓を叩く。
社会派の劇作家、情熱的な新聞記者…。
数日前まで、あるあるな問題を各々で抱えつつも懸命に生きる人々だった。
そんな彼らが、流言飛語に惑わされて、自分の中で辻褄を合わせ「自分が生き延びる為」の整合性をとりながら、斧を振り下ろし、槍を突き刺す。
それを成し得たのがまさに群衆心理だろう。皆が同じ思いならば、それが正義になっていく怖さ。
「多数が善で少数は悪」そうなっていく、怖さ。
パワーのある言葉が一気に拡がっていく様子。
(公式ホームページの絵をタップすると、水の波紋が浮かび上がるのだがまさにこのシーンは「波紋」だった。素敵な演出だ。)
本当は一人一人の想いはわずかにずれているのというのに。
そして、そのわずかなずれに気づけば踏みとどまれただろうことに、踏みとどまれない「集団」という強さ。
村にはその時代のリベラルである村長がいた。折に村長は冷静に村人を説く言葉をかけていた。それは神社でも変わらなかった。
暴走する村民を必死に止めようと言葉で制しようとしていた。
だが、その村長を見えないもののように扱いながら暴走する村民たちに、最後村長は大木の根元にへたりこんでしまう。へたり込む村長は影を失い絶望を纏っていた。
そしてその時私も村長と共に絶望してしまった。
知性が数の暴力や圧倒的パワーを持つ暴力の前になすすべなしとなることは私も実感したことがあるし、漫画「チ。」を読んだ時にも痛いほど実感した。
こんなこと今だって、この先いつの時代だって全然起こり得る。人間が人間でいる限り、起こり得る…その現実を突きつけられた。
人間が「集団」を形成することで種を存続させてきた長い歴史を考えても、人間と「集団」は切り離せないのだ。
踏みとどまるには
ここで、知性とは何だろうと思う。
話は逸れるが私は漫画「チ。」を読んで知性と暴力について考えたことがある。
作者インタビューで魚豊さんがこんなことをおっしゃっていた。
今を生きる私が知っている知識として、結局中で描かれた知性は時間をかけながら認められていることを知っている。
福田村事件の中のリベラルであった村長の推す大正デモクラシーは大いに盛り上がりを見せて今の日本を作ってきたし、民本主義は日本の礎となっている(と思いたい)。
その後「水平社宣言」を経て、今は被差別部落問題も多くの人が関わり教育も盛んに行われている。
今の日本を知っている私からすれば福田村事件は人ごとの史実であってもいいのだが。この映画はそうじゃないと強いメッセージを送ってくる。それこそ人間でいる限り。
客観的立場から見れば流言飛語に惑わされていることがわかっても、実際自分がその立場だったら?と思うと強い自信は持てない。
自分がそうなる気がしてきてしまうし、更に言えば巻き込まれる気ならもっとするのだ。
その時にどうしたら自分の知性が暴力に転じるのを踏みとどまれるかと考えると、やはり魚豊さんのインタビュー記事を思い出す。
「自己を疑う心」「迷い」
その通りだと思う。
そして村長の言葉も大切だ。
「自分の目で見たのか?」
自己を疑うのと真逆のようではあるが、やはり自分の目で見て、心で感じた事実が自分の判断材料であるべきだ。
流言飛語に整合をとるために事実をくっつけるのではなく、自分の目で見たこと、心で感じた事実を元にして自分に問いかける作業が大切なのだと思う。
そして、周りの人の意見を聞くことも大切だ。パワーのある強い言葉に埋もれた小さな意見に暴力を超えられる知性があることもある。
コロナ禍で流言飛語に不安を覚えることも少なくなかった。今でもワクチンの問題や、食の安全、私の周りには大きなものから小さなものまで流言飛語で溢れている。
SNSが普及した現代だから、更にそれは多く目に触れる機会がある。
流言飛語に触れる機会が多くあるからこそ、人ごとだとは思えず、びっくりするほど刺さってしまった映画だった。
心の底から観てよかったと思う。
そして多くの鑑賞者が言うように「もっと多くの人に届いてほしい」私もそう願っている。
11/11現在、周りの映画館が軒並み上映終了していることを非常に残念に思う。
雑話
東京に進学して学びを得て戻ってきた村長と、その幼なじみで東京に進学後朝鮮に渡り田舎に戻ってきた澤田と、村から出ないで育った長谷川とがいる。
不要な争いをしない為に子どもたちに学びをと説く村長を「金持ちの戯言だ、兵役逃れだ」と一蹴する長谷川を見た時、埋まらぬ地方と都市の教育格差を感じた。
この絵は読書をする人しない人の風刺画だが、実は更に右にもっと読書量を積んだ人がいる。
澤田はきっと更に右の人なのだろう。
異国に出て知ったこと、そこで情けなくも諦めてしまったところは残念でならないが。
人は立場によって考え方は様々であるし、何が自分にとっての正解なのかはわからない。
ただ私は「一歩出て考えることができる人」でありたいと思う。
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