映画「正欲」

朝井リョウさんの原作小説が好きだったので、公開を今か今かと楽しみにしていました。

最近「本と映画ってやっぱり本の方が面白い?」と聞かれたことがあったのですが、この質問に対するアンサーは「モノによる」です。

ただ「正欲」の場合は、原作小説が面白すぎて自分の中で期待値が上がりすぎていたのと、結末を知っている故の見方が悪かったのか正直なところ小説を越える映画ではありませんでした。

そして「正欲」に関しては、原作未読のまま映画を鑑賞できていたらより楽しめたんだろうなぁと思いました。

しかし、感想として書きたいことはたくさんあるので書かせてください。笑

「何でお前らは誰かを受け入れる側っていう前提なんだよ」

八重子と大也の教室のシーンで、大也が八重子に放った言葉です。

私は何よりもこの言葉が刺さりました。

八重子は、好意を寄せる大也に対して都合よくきっと自分と似た問題を抱えているだろうと思い込んでいます。
そして大也に対して「大丈夫だよ、私も一緒だよ」という好意と善意のメッセージを送ろうとします。

過去のトラウマから男性不審だという八重子。

大也にも「どうして閉ざそうとするの。勇気をもって開いてほしい。」と訴えますが、それに対して大也は

「俺はその根幹の部分が終わってるから。誰もが本当は開きたいなんて思ってると思うな。」
「何でお前らは誰かを受け入れる側っていう前提なんだよ。」と返します。

理解を寄せているよと発信する八重子が心底憎い大也の気持ちは、私はよくわかりました。

私が原作を読んだのは2021年の春でしたが、当時強烈なインパクトを受け、そういう目で世間を見るようになってから本当にそうだなと実感することが多かったのです。
「あ、この人は受け入れる側だ」と。
私が見る限りほとんどの人がそうです。その中には自分も含まれます。
正欲を読んでその理解を深めたにも関わらずです。
人と関わりたいと思えば、相手を大切に思えば、どうしても一方向の「理解したい」という気持ちが湧いてくるものです。

しかし、私は周りにマイノリティの友人がいるので大也の思いも知っています。

理解したいと思う気持ちからの善意の発言は、決して人を傷つけようとして言っているわけじゃないとわかっている。
けれど受け手は「ほっといてくれ」「頼むから構ってくれるな」「そっとしておいてくれ」と思っている。

まして今回の八重子と大也の会話で、八重子は大也の本当のパーソナルな部分を理解していません。大也はこうじゃないかとラベリングして、自分の憶測の大也を作り上げて「理解しているよ」と必死に伝えてくる。
八重子の言葉はエゴイスティックで押しつけがましく、大也にとっては心底気持ちが悪いのは納得できてしまいました。

「受け入れる側」と「受け入れてもらう側」は果たして存在するのでしょうか。

多様性という言葉のパフォーマンス性

「多様性」
私はこの言葉を使うことに時々ためらいを感じます。誤解があるかと思いますが「便利」なので意識して使うこともあります。しかし、その言葉に妙なパフォーマンス性を感じ、心地悪く思うときがあるのです。

多様性が叫ばれる昨今、他者理解と言う点で社会は一歩ずつ進んでいるのは事実だと思います。
マイノリティが以前より少しづつ生きやすくなっているのも分かります。
映画の中でもSNSを通して繋がりあうことができていた彼らは、孤独を辛いと思うとき、望めば繋がれる手立てがあるという点でです。

しかしパフォーマンス性の高い「多様性」は、刃になることも増えたのではないかと思うのです。

「みんな違ってみんないい」 なんて結局マジョリティが自分の枠内で決めたことに過ぎなくて、「みんな違って」の部分が「本当に」違うことを理解しなくてはならないと思うのです。
自分の理解の範疇は「自分の範囲」であることを常に自覚していなければならないと思います。

そして「自分の普通や当たり前」も、自分だけのもので、隣にいる人とも決して交わるものではないのだろうと自覚していなければならないと思うのです。

多様性の理解と言うのは、理解が正解ではなくて「共生」が正解なのではないかと、私は思います。

人生の通知表

「大晦日とか正月って、人生の通知表みたいな感じがする」

夏月のこのセリフも印象的でした(ニュアンスが少し違うかもしれません)。

「親にも踏み込まれないように生きてきたのに、大晦日や正月になると周りに誰かがいてくれなきゃ寂しい。勝手なんだけどね。」

そういう夏月に佐々木は、「自分がしゃべってるかと思った」と強い共感を口にします。私も、そこまでの強い共感ではないですがわかるなと思います。

通知表の5の評価がつく正しい解というものはやっぱり世に中には溢れています。

「正月に一人で過ごす」ことは、夏月や佐々木にとって正解ではあるけれど、世間的にそれは5がつく過ごし方じゃないんだろうなと。

誰とでもいれるわけじゃないのに、大勢の同じ気持ちの人が集まっていると疎外感が際立ってしまう。そのもどかしさは、私もなんだかわかる気がします。

「この世界で人が当たり前に楽しめるものに、自分は傷ついてしまう。この世界を楽しんでみたかった。」

このセリフも考えさせられます。
自分の無意識の言葉や行動に傷つく人がいることを、改めて実感しました。

私はお正月はアニメで描かれるような過ごし方をしてきましたし、今後も同じ過ごし方をします。それを見たり聞いたりしたときに辛く感じる人がいるからといって、思いやりから「お正月の過ごし方は言えない」ともしません。

ただ、自分の言葉に責任をもって発言したいと改めて思いました。

普通のことです。いなくならいから、と。

映画のラスト、寺井と夏月の対峙シーンで寺井に預ける夏月から佐々木への伝言です。

私は小説を読んだ時も、このラストシーンが好きでした。
映画でもやっぱりいいなぁと思いました。

夏月と佐々木にとってハッピーエンドで本当によかったと思うのです。
例え佐々木に刑罰が下っても、夏月はあのアパートで佐々木を待ち続けるだろうし、刑期を終えれば二人にとってその事件はなんでもない。
「真実」が二人をつなぎ、そのつながりは人が想像する何倍も深い。
素敵だなと思います。

そしてその言葉を受けて、部屋の中にいる寺井の姿がどんどん遠ざかり、小さくなっていく演出は映画ならではで、とても好きでした。

「普通の正義」を振りかざす寺井が小さくなる演出は、寺井の中の何かが小さくなっていくとも捉えられるし「普通」そのものが小さくなっていく様にも見えます。

小説では得られなかったいい演出でした。

しかし「事実」の罪が今後人生を狂わせてしまうだろうと思う人物もいます。それが大也です。

大学生という、若く大きな集団の中でその「事実」の罪はあまりにも大きすぎます。
大也が今までに取ってきた行動からも、大也への周囲からのラベリングはたやすくなっていたかと思います。

そして大也には「いなくならない」人もいない。

大也は今後、どうなるだろうと想像すると胸が痛みます。

小説「正欲」

私は冒頭で、今作は映画が原作を超えることがなかった。といいましたが、単にこれは私の好みの問題です。

朝井リョウさんは人間の気持ち悪さを表現するのがとてもうまいなぁと思う作家さんです。
読んでいてミゾミゾする感覚が好きです。

映画ではそのあたりがかなりまろやかになっていたように思うのです。

「普通の正義」をかざす寺井も、「善意の押しつけ」をする八重子も、小説の方がもっと気持ち悪かったし、憎らしかったように思います。

それから、小説では映画に出て来ない人物もいますが、この人物も本当に気持ちの悪い人間でした。

だから私は、少し物足りなさを感じたのだと思います。

ただ、映画はまろやかな分、伝えたいことが伝わりやすくなっていたので、たくさんの人に届くといいなと思います。

雑話1

私は「LGBTQ+」という表現の中で、LGBQ+とTは同じくくりにするのはどうかなと思っています。
トランスジェンダーの方々は、心身の違和感からやはり医療的にも行政的にもアプローチが必要ではないかと思うのです。
しかし、LGBQ+にとってはそれこそ「多様性と共生」ではないかと。

そしてそのマイノリティの方々の中にも様々な方がいて、主張を大きくする人ももちろんいますが、そうではない人の数の方がきっと圧倒的に多いのではないかと感じています。

「同性愛者であることを一番の友人には絶対話せない」と思う人は多いのだと思います。
受け入れられなかった時に関係が壊れるのを恐れたら、一番親しい人にこそ言えないと思うのは当然です。そこがマイノリティの生きづらさや難しさの一つなのだと思います。

そして、やはり今だに性愛の部分に関しては日本は進みが遅いような気がしてしまいます。

雑話2

私は中村文則さんの小説がとても好きです。

文章から、表現から、言葉から、自分の何かをえぐられているような快感を感じます。

「この文章オシャレ」とか「この言い回し好き」とかそんな感覚とは違います。

声にならない声が上がると言うか、うぁーーーー!と快感が昇ってくる感じです。

中村文則さんの小説のファンはたくさんいらっしゃるかと思いますがそんな方でも、同じ気持ちになっている方は他にいるのかなとも思うし、本を読まない人からしたら尚更わからないだろうなと、このフェチズムはあまり人に喋ったことはありません。

今回、マイノリティの中でもかなり枠外の「水フェチ」という設定の特殊性に入り込めなかったという感想をチラホラ見かけましたが、私は、なんかわかるなぁと思いました。



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