親への怒りの手放し方−その感情は、人生の全てに影響する−
大人になってもちょっとしたことで親に強い怒りが湧く。
関わると感情が乱れるから、なるべく会いたくない。
親のことが人として嫌い。
それって
「うちの家族はそんなに仲良くないんだよね」
なんて簡単な話ではなく、
あなたの人生の全てに大きく影響している。
仕事・人間関係・パートナーシップ・子育て・
セルフイメージ・自己実現etc…文字通り全てに。
そして今表面化している強い怒りは必ず
過去から持ってきたもの。
あなたの中にある過去の未代謝の感情が
今度こそ解消されるかも、と顔を出している。
それに気づかない限り
親への怒りや嫌悪を手放せる日は来ない。
「別に手放せなくていい。一生許さなくていい。」
本当に?本当にそのままで心地よく生きられる?
私の怒り
「私の人生がうまくいかないのは親のせいだ。」
そう強く感じ始めたのは25歳の頃だった。
その頃の私は自己肯定感がかなり低く
それゆえにかなりこじらせていて
完璧主義で、こんな私が評価されるには
人一倍頑張らなければと強迫観念で
自分を追い込んでいた。
まじめでしっかりしてそうに
見られるけど中身は未熟で
普通のコミュニケーションがわからない。
人に頼っていいのかわからない。
どうすれば迷惑をかけないで済む?
どれだけ頑張れば認めてもらえる?
そうやって仕事でも無理して
頑張り続けることをやめられない自分を
誰かにわかって欲しくて
恋愛に救いを求めたけど、
それもことごとくうまくいかなかった。
周りは仕事も恋愛も楽しそうで、
メンタルが安定していて。
自分だけが異常にネガティブで
誰からも愛されていない、普通じゃないと感じていた。
そんな時に転職した会社で
自分の殻を破るワークとして
「親への感謝を海に向かって大声で叫ぶ」という
イベントがあった。
みんな思い思いに親への感謝を叫んで
改めて愛を感じて泣いたりしている中、
私の番が来た。
「………………」
ありがとうなんて嘘でも言いたくない自分に
初めて気がついて顔が引き攣った。
それまで薄々感じていたけど封印していた
過去に対するザワザワを全身で感じた。
みんなの手前口だけでも、と思ったけど
言葉にしようとすると苦しくて
喉に力が入りすぎて声が出なかった。
「感謝じゃなくても今思っていることでいいよ。」
そう言われてやっと出てきた言葉は、
「お母さんのせいで私はずっと人生しんどかった!
ありがとうなんて言いたくない!」
一人だけぐちゃぐちゃな感情を泣き叫んだ自分が
みっともなく感じて恥ずかしかった。
心の中は怒りと憎しみでいっぱいだった。
過去のトラウマ
小学生の頃まで私の家は普通の4人家族だった。
それがいつの間にか異様な空気になっていって
怒鳴り声、泣き声、お皿が割れたり壁に穴が空いたり…
気づいた時には両親に
「もう家族じゃなくなるんだ」
と泣きながら伝えられて、
引っ越して、頭が真っ白になりながら
地元から離れて高校受験をした。
私は母に引き取られて
母の実家で祖母・母・私・弟の4人で住むことになった。
その頃の母は
毎日毎日うずくまって泣いていた。
話しかけることもできないほど憔悴していて
ガリガリに細くなっていく姿を
ただ見ていることしかできなくて
なんとも言い表せない感情に圧倒されていた。
祖母はそんな母親に毎日ヒステリックに暴言を浴びせていた。
「出戻ってきて恥ずかしい。だから私は結婚に反対したのに。」
「あんなクズみたいな男選ぶお前もクズだ!」
「いつまで泣いてるんだ!お前は頭がおかしい!」
「早く出ていけ!こっちは迷惑なんだよ!」
「ゴミクズみたいな親子が!こっちがキチガイになりそうだわ!」
15歳の私にとって家族とは
平常心を保って生きられる場所ではなかった。
自分自身も引っ越して
高校に知り合いは一人もいない、
近くに地元の友達もいない。
一番頼りたい母は心が病みすぎて
宗教にハマり出したり乳がんになったりして
怖くて怖くてたまらなかった。
周りに頼れる大人が誰もいなかった。
私は自分の心のスイッチを切って
何も感じない、何も考えない、
自分のことは誰にも話さない、
そうやってやり過ごすしかなかった。
謝って欲しい
それからも私のトラウマとなる出来事は
数えきれないほどたくさんあったのだけど、
あの会社のイベントをきっかけに
「謝ってほしい。
私がどれだけ苦しかったか、
それからその影響で
人との関わり方が分からないこと、
恋愛がうまくいかないこと、
自分の感情がコントロールできないこと、
そのせいで生きづらいことを
どうにかして分からせたい。
それしか私がこの影響から抜け出せる方法はない。」
と思い母に長い手紙を送ったりもしたけど
一度も謝ってもらえたことはなかったどころか、
それについて触れられたことすらなかった。
今ならわかるけど、
あの手紙をもらった母も相当きつかったと思う。
でも当時はそんなことを考える余裕もないほど、
むしろ苦しめばいいと思うほどに強い怒りがあった。
私がずっと求めていたのは
「自分の苦しみを母に解消してもらうか、
他の誰かに埋めてもらう」ことだった。
だけどそれが叶ったことは一度もなくて
むしろどんどん自分の人生を恨み、人に怒り、
生きることがしんどくなった。
手放すために本当に必要だったこと
2024年現在、私の
母(両親)に対する感情は、
嘘偽りなく心から
「本当に生きていてくれてありがとう」
という気持ちと無条件の愛。
もちろんちょっとした喧嘩もするし、
一緒に出かけたりご飯を食べにいったり
本当に普通の親子になった。(父親に関しても)
ここまで来るのには
もちろん時間がかかったし
色々なフェーズがあったけど、
私が生きづらさを手放し
自分を好きになるために、
本来の自分らしい人生を
生きるために必要だったことは
謝ってもらったり誰かに代わりの愛で
埋めてもらうことじゃなく
「自分が自分の全てを理解すること」だった。
自分が感じてきたこと、
自分の人生に起こっていたこと、
あの頃に感じきれなかった
全ての複雑な感情や
その影響で作られたブロックの手放し方、
自分との関わり方、
本当の意味で幸せになるための
これからの生き方。
親やその他の誰かに分かってもらうために
生きたって幸せになれる日は永遠に来ない。
そもそもそれは誰かの問題ではなく
自分の内側にある問題なのだから、
自分で向き合う以外ないんだ。
被害者意識を持ち続けるのは楽。
だけどそれは自分の人生を自分が生きるという
責任を放棄しているということ。
私は自分の苦しみも被害者意識も全て認めて、
怒りも悲しみもぐちゃぐちゃな感情も
何回も何時間も何年もかけてプロセスして
自分を癒し切ったからこそ
今やっと、「謝って欲しい」という
自分への矢印が自然な形で手放され
親の人生に共感し、
無条件の愛を向けられるようになった。
今この文章を読んでいるあなたが
もし親への怒りやその影響を手放せなくて
人生が行き詰まっているなら、
今は親の立場になって考えたり
もう過去のことだからと許そうとしたり
無理して別人格で立派に生きようとしなくていい。
だけど
自分の感情や自分の人生に向き合うのは自分だと、
自分を救えるのは自分だという覚悟と責任を持とう。
「そのやり方とか
自分が自分の全てを理解するって
具体的に何なんだよ!」って思った?
・感情との向き合い方
・人生との向き合い方
・人生を妨げる根本原因(ブロック)の手放し方
私が何年も何百万もかけて学び実践して
人生を変えてきたからこそ伝えられる
【ブロック外しセッション】に全ての答えがあるよ。
迷ったり悩む暇があるなら行動する。
自分の人生に責任を持つとはそういうこと。