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適応障害になった時のこと⑤

休み始めて、これまでも出ていた不調が一気に溢れ出てきました。

「もう無理しなくていい」という気持ちが完全に自分を休ませるモードにしたのだと思います。

まずは布団から出られなくなりました。
食事と排泄だけ何とか出て、着替えもままならなくなり、こぼれ落ちるように今までしていたことが出来なくなっていきました。

話すのも、考えるのも億劫で、言葉を選んで文字に書き出すことが、しばらくの間とてもとても労力が要ることになりました。(園の先生からの連絡の返信が、やらねばと思いつつとてもしんどかったです)
何かを決めることも難しくなり、ものを選ぶことが出来なくなっていました。

数日その生活をして、そろそろ外に出てみるか…と散歩に出たものの、15分も出られず。
光が眩しくて、辛くて。
すぐにまた布団に戻りました。

食べたいものも、やりたいことも、何もない。
好きだったものも今一つ…という感じで。

内心は「えらいことになったぞ」という気持ちと「やっと何も気にせず休める」という気持ちがありました。

この頃メンタルクリニックには週1で通い、「1週間じゃあまり変わらないと思いますが…」と言いながらも色々話を聞いてもらいました。
一先ず服薬は中止、頓服はお守りとして持っておく。まずは体を休ませることを第一にしていました。
これまで自分に当たりが強かった親にも一緒に話をしてもらい、家でも休ませてもらえることになりました。

もちろん激務の仕事も原因でしたが、その前にコロナ禍で家族とトラブルになっていたことも私にとって大きな要因で。
でも、それを母に話すと「家が悪いって言うの!!」と激昂されたので、エネルギーも無い私はもうその話をすることをやめました。

ひと月ではほとんど元に戻らない体調を見て、もうひと月休むことにしました。

時期は3月。要録の時期が来て、何とか自分で文章を考えたいと思いつつ、テーブルについても1時間全く文章が組み立てられず。笑
「自分は一体どうしちゃったんだろう…」と途方に暮れたり悲しくなったりしていました。

コロナ禍で人にもなかなか会えず、そんな中でも連絡を取っていた友人たちと電話して、早く会いたいね…と自分の状況をぽつりぽつりと話すこともしていました。

少し休んで、担任をしていた子達の卒業式には、今の担任の子達の終業式には顔を出したい…という思いがほんのり沸いてきました。
体は全く言うことを聞かず、外にも出られない日々だったのでふと思うだけでしたが…

これからどうしたらいいんだろう…
もう今の園で働き続けるのは難しそうだな。
でも判断力が無い今、決めてしまっていいのかな。
そんな自分に自信も信用も無くなった状況が、宙ぶらりんで困っていました。

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