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【3】ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学(岩波新書)/上野正道

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3.いかに学ぶのかではなく、いかに生きるのか。

3.1 ダーウィニズムと超越主義

  3.1.1 ダーウィニズム

 本書ではダーウィニズムを以下のように説明している。

(ダーウィンの進化論やスペンサーの社会進化論が)環境の変化によりよく適応し変化した生物が生き残るという「自然選択」の理論は、自然界とは絶えず変化し受容する者であり、そのダイナミズムは前もって決められた目的によるものではなく、ランダムに起きる変異から環境に適応する偶然性によるものであるという、画期的な見解をもたらした。
(中略)パースは、「自然の諸法則は進化論的過程の結果」であり、その進化の過程は完結していない以上、「今なお発展しつつあると考えなければならない」と述べている。

ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学(岩波新書)/上野正道 
第一章 2 プラグマティズムと新教育運動 より

 このダーウィニズムから生まれた考え方を教育に当てはめるとすれば、あらかじめ定められている原理・法則・道徳を教科書で“教える”、のではなく子どもたち自身が発達していくこと及び子どもを取り巻く社会や環境は“完結していない以上、今なお発展しつつある”と考えることができる。とするならば、子どもたちの自然な本性や自然な発達を重視した、自主的自発的な活動を積極的に取り入れるカリキュラムが必要であるということになる。
 この考え方は、例えばルソーは「エミール」で、子どもの善なる性をもって大人への発達する過程を5段階で示し、発達段階に応じて自然性に従う教育のあり方を示した。
 ペスタロッチは「隠者の夕暮れ」の著書において以下のように述べる。

 自然であること、見守ること、ゆっくりしていることを本質とする言葉の秩序を至るところでせきたてる学校の人為的な方法は、内的な自然の力の欠如をおおいかくし、今日のような時代を喜ばせる技巧的で虚飾的な人間を作り上げるのである。 
 生活の立脚点、人間の個人的運命、汝は自然の書であり、汝の内にこの賢明な指導者の力と秩序が横たわっているのである。そして人間陶冶のこの基礎の上に築かれない学校教育はすべて誤りに導くのである。

隠者の夕暮れ、シュタンツだより/J.H.ペスタロッチ、長田 新 訳/岩波文庫

 このような考え方は、列強の対立激化やヨーロッパを主戦場とした第一次世界大戦の影響が大きかったとように思う。戦時下は戦争の道具として子どもがしばしば道具として使われ、戦争を正当化するような教育が行われていたことも背景としてあるのだろう。
 話を戻すと、ダーウィンの進化論やパースの社会進化論によって人間の発達は社会や経済の変化などのランダムな時代背景から適応しつつあり、ゆえに人間は発展しつつある。つまり、何か目的があってゴールに向かっているのではなく偶発的な何かによってその都度適応するものであるということ。それゆえに教育は、学校のような人為的な方法によって成立するのではなく、人間の自然な発達に抗うことなく見守り、育ててことこそが真理に近づいていく。

3.1.2 超越主義

 十九世紀半ばのアメリカの思想や文学を席巻したもう一つの潮流が、超越主義である。
 「私たちはどのように生きるのか」と本書が示す通り、超越主義(超絶主義ともいう)は客観的な経験論よりも主観的な直感を強調する。人間に内在する善と自然を信頼し、社会と創生度が個人の純粋さを破壊すると主張する。
 超越主義はTranscendentalism と読み、Transcend は乗り越えるという意味をもつ。アメリカの思想家エマソンは、人間がこの世で経験する諸々を超越し、自己のうちなる何か絶対的な価値(神性)を直感によって掴み取ろうと主張した。
 「私たちはどのように生きるのか」という、人間が生きることを問うことー  これがエマソンやソローのロマン主義的な超越主義が投げかけたものであった。
 人間が生きることを問う、これは答えのないゴールに向かって走っていくようなものだ。しかしこれこそが“完結していない以上、今なお発展しつつある”というプラグマティズムの根元とも言える考え方であろう。

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なみお
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