家族ってなに? vol,30~祖母の死〜

祖母は入院生活が続いており、祖父も看病をしに病院に行く日々が続いた。
私たちは祖母がある程度状態が安定してきたので心配も少なくなっていた。
祖母の生命力を信じ、「あと2、3年は生きるだろう」
となんて考えていた。

でも、事態は急変し始めた。
その原因は祖父

祖父が
「祖母を病院で入院させたままで最後を迎えるのは嫌だ。
 家で看取りたい。だから退院させると」

あまりに無茶な言い出しに家族も、病院側もかなり渋った。

状態が安定しているとはいえ完全に安心できる状態ではなかった。
また、80歳を超えた祖父が自宅で祖母の看病をすることはどんなに大変なことか目に見えていたからだ。

でも、祖父のかなり頑固な性格の為
私たちの意見は受け入れる事なく祖母を自宅で引き取ることになっていった。

いつの間にか、ケアマネさんに相談も済ませ、自宅も介護用のベッドを導入し、近所のお医者さんにも話をつけと、事態は進んでいた。

祖母にとってこれが良かったのかは、正直わからない。
でも、自宅に戻りたがっていたのは事実だが。。。。

そして、祖母が自宅療養を始めて2週間が過ぎた頃
事態は急変した。

夜、祖父から突然連絡が来た。
「婆さんが危ないかもしれない」

その日のうちに向かおうかと悩んだが、叔母が先に着いており
「大丈夫、お医者さんも心配ないって言ってたから」

その言葉を信じ、その日は夜も遅く次の日も仕事が早かったため行くのを止め近いうちに様子を見に行こうと考えていた。

それから、数日後の朝叔母から連絡が来た



「ばあちゃん亡くなった」

言葉が出なかった。
涙もでなかった。
これから先の葬式や、手続き、家族のことなどを冷静に考えている自分がいた。

こんな自分に恐怖さえも感じた。
なんで、涙出ないんだ。
なんで、冷静でいるんだ。
身近な人の死が初めてとは思えない自分の冷静さに恐怖を感じた。


祖母は朝方、意識が朦朧としていたが動いていた。
でも、容態は急変しそのまま亡くなったと。


祖母の死を聞き家族で祖父母の家に向かった。
祖父は事前に葬儀屋の準備までしており、着いた頃には祖母は既に棺桶の中に入っていた。

そして、到着した私たちに祖父が向けた言葉は
「なんで最後看取ってやらなかったんだ」
「なんで呼んだ時に来なかったんだ」

その言葉に対して
何にも返せなかった。
祖父は祖母が亡くなったショックと怒りで心頭だった。


この時初めて知った。
死んだあとっていくら後悔しても、それを埋め合わせる方法は一ミリもないんだ。
そして、過去の選択に対してめちゃくちゃ後悔し、怒り、悔しい気持ちで居た堪れなくなることを。

もっと会いに行ってればよかった。
もっと早く行けばよかった。
なんで、叔母の言葉を信じ行くの止めたんだろう。
家族引っ張ってでも行くべきだった。
ばあちゃんを家に連れて帰ったことは本当に正解だったのか?あのまま病院にいればもっと長生きできたんじゃないか?
そんな事ばかりを考えながら

祖父の憔悴しきった姿をただ見つめるだけしかできなかった。

私も周りの家族も。







葬儀は祖父の一存で豪華に。
そして、祖母が大好きだった花で埋め尽くした。
それが、最後の精一杯の弔いだったんだと思う。
そして、親戚も集められるよう2週間後の土曜日にした。
あまりにも、日を空けるので葬儀屋さんもあまり乗り気ではなかった。
なぜなら、遺体の腐敗もあるからだ。
自宅に遺体をおいたままにするのもあまり良くないからと。
でも、祖父の一存で決まった。
2週間後に。





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