家族ってなに? vol.26 〜大きく変わり始めた〜
中学を卒業し高校生になると、さらに環境は変化していった。
祖父母との関係は相変わらず。
両親は喋らず、祖父母はたまにきては文句を言う毎日。
私自身も忙しくなり、祖父母の家に行くことは無くなっていった。
私自身もこの頃からさらに、両親及び家族との亀裂がどんどん深まり始めていったのだ。
そのきっかけは「いじめ」
私は高校生に入ってすぐ、部活動でいじめを受け、クラスでもいじめを受けるようになっていった。
何が気に入らなかったのかは知らない。
ただ、言ったことが変換して変換して伝わりいじめに繋がったのだ。
それでも、学校を辞めることを考えられなかった私は、私の話が伝わった本人と話して誤解ということを話したその場では納得したふりをしていたが実際は違った。
さらなる亀裂を産んだのだ。
「時間が解決するだろう」と思ったが事態は深刻化していった。
そして私は入学から2ヶ月後体調も崩すようになり、不登校となった。
そして「いじめ」られたという事実を親に伝えなければならなかった。
母に話した際、母はただただ黙って聞いていた。
そして、休むことに対して何にも言わず学校に連絡した。
父には母から言ったそうだ。
父は別に何にも言ってこなかった。
私は不登校になり、自分の将来に対してすごく考えるようになった。
父には「高校だけは卒業しろ」と言われていた。
なぜなら、父が高校中退で相当苦労したから娘には苦労させたくないという思いからだったそうだが。
私自身も高校は出たいという思いはあったので、何となくネットで「通信制高校」「定時制高校」を探すようになった。
そして、自分が行こうと思った高校に自分で資料請求し、1人で高校見学に行った。
母には何となく、「通信制高校行くつもり」であることを伝えていた。
だが父には言っていなかった。顔も合わせることなかったし、話もしたくなかったので話さなかった。
それに対して父は納得がいかなかったらしい。
そして、私は自分で新しく行く高校を決めた。
母にはすぐに報告し、在籍していた高校に連絡してもらった。
父には母から伝えてもらったが、
父は「金を出すのは俺なんだ。何で本人が報告しないんだ」と怒ってたらしい。
→私はすぐにバイトして自分で授業料を払うつもりだったので、何でそんなこと言われんのか、何様なんだっていう思いが強かった。
結局、父に言わず。転校手続きを進めた。
もちろん祖父母にも言わず。
手続きをしているある日、在籍していた学校から呼び出された。
しかも、親同伴で。
母と共に学校に呼び出され、応接室にいくと。
担任と学年主任が座っていた。
私と母も座り4者面談がスタートした。
内容はなぜ学校を転校することにしたのか、その経緯を教えてほしいとのこと。
前々からヒシヒシと感じていたが、
「退学者を出すことが学校の恥と思っている公立高校の見栄」
「建前」
「自分の評価」
その為に3ヶ月で脱落者なんて出させないという意地が垣間見られた学年主任。
そんな学年主任と頼りない担任を前にことの経緯を説明。
そして最後に言われた言葉
「それだけ?」(学年主任)
これが教育者の言葉か?!
私は思わず耳を疑った。
そして私は、怒りの沸点が頂点に達し、いつの間にか椅子を蹴飛ばして母を置いて部屋を出ていた。
私はそのまま帰り、次の日に母は学校に連絡し事の成り行きを教務主任に説明し転学の手続きを進めてもらった。
私は母の電話を聞きながら後悔した。
何であの時言葉にできなかったんだろう。
「あなたにとってはそんなことかもしれないけど、私にとってはそんなことではなかった」「誰も助けてくれない状況でどうしろっていうんだよ」「そんなことでっていう言葉を2度と私のように告白した人の前で言わないで」と
私と同じような言葉を浴びて傷つく人を出して欲しくない。
それだけだ。
そして、私は転校という形で学校を辞めた。
祖父母にはこの事実。この一件を知らせていない。
知らせたところで世間体を気にする祖父母はこの結論をよく思わないからだ。