家族って何?VOL.3 〜私の母〜
私の母
私に「親も親なら子も子だなって」言葉を放った祖父の娘(長女)
母と祖父は仲が悪い。
母は長女として祖父に厳しく育てられた。だからか、祖父には逆らえない、逆らっても頑固で聞く耳さえを持たないから言わない。
だから、母はなんにも言えないから祖父の言われるがままに、父の言われるがままに生きていた。そんな母が可哀想でありながら私は嫌いだった。なんで意見を言わないで我慢するのか?
なんにも言わなかったらなんにも変わんない。母が苦労するだけじゃん。
でも、母は結局なんにも言えず、解決もできず、
祖父母ともども険悪になっていた。
祖父母が母に怒る理由は私が知る限り以下だ。
・小さい子供を預けて仕事ばっかりしてちゃんと子育てしなかった。祖父母にばっかり子育てを任せすぎだ。親としてなってない。
・近くに住んでるからって連絡さえもよこさない。
・祖母が倒れた時もろくに面倒を見に来なかった
・祖母の最後も看取らなかった
・家を譲り渡した(半ば強制的に住めと言われた)のに家の草取りも管理もしない。
ずっと私たちがマンション暮らしして自分の家を持とうとしなかったことに腹たった
・墓参りにも来ない。
・店を出すときにお金出してやったのに返さない
・固定資産税を払わない
などなど。
昔ながらの考えで母は長女だからということでいろんな事を要求されたが父の仕事を優先せざる終えずしていたらいろんなことが拗れた。
挙げ句の果てに祖父の家には私以外、父も母も姉も出禁状態になっている。
そんな母。私は幼稚園の頃はひたすら怖い存在であった。
(母も余裕がなかったのだろうけど)
叩かれることは当たり前。
泣いて引っ張られながら保育園や幼稚園に行かされ。
一番怖かったのはお菓子を買ってくれなくて車で、ごねて泣いていたら走っている車のドアが空いてしまった。でも母は走り続けた(低速だけど)
その瞬間が初めて死ぬって思った瞬間だった。
今の時代だったら躾の行き過ぎ。虐待だと言われるかもしれない。
でも、それほど母は必死だったのだとも思う。
祖父母から攻め立てられるからちゃんと躾をして祖父母に迷惑をかけさせないということで必死だったのだろう。
ワンオペ育児状態だったから必死だったのだろう。
今となっては少し理解できる。
過保護だった母の家庭。
だから過保護にしないで育てよう、でも躾だけはちゃんとしよう。と思っていたのだろうか。