希死念慮のある自分のために「ゆるく生きる」をはじめたい
寝不足のなかアラームの音で毎朝起こされ、
眠くてあかない目にコンタクトをねじ込み
肌荒れをメイクで誤魔化し、
職場では結ぶのにとりあえず髪を整え
体裁のためにたまにお弁当を作って出社する。
職場での人間関係の摩擦
聞こえてきてしまうコソコソ話
他者に向けられた悪意
なんてことないはずの日常の雑談
自分のためだけに稼働してくれないエアコン
共有していることで思い通りに整わない机上
人が背後を行き来したり
同僚の動きやタイピングの音も気になる。
話していてもやっと浮かんだ不快感や
心を掠めた言葉をかき消しながら
業務をしたり雑談をしたり。
いま、そんな働き方をしているところだ。
社会に出て働く上で、仕方がないと
がんばって割り切らなくちゃと考えていた。
でも、自分には合っていないのだと、つくづく思う。
これはわたしが他者との関わりに耐性がないのか
環境が合っていないのかはわからない。
わたしの隣の席には、
そんなこと微塵も気にしていない図太い同僚がおり、
性格の正反対さをおもしろいほど実感した。
わたしには希死念慮がある。
自死のニュースを目にするたび思うのは
「先を越されてしまった」
といううらやましさ。
この生きづらい世界から脱出したことへの憧れ。
それでも、まだわたしが生きているのは、
死ぬことが怖いことと
もう少し生きてみたら
なにか待っているかもしれないという期待。
どうせ希死念慮とともに生きていくのなら、
その期待を自分で用意できるようになりたいと思った。
自分がいま感じている“しんどい”を
ひとつひとつ取り除いて、
時々襲ってくる希死念慮を
「そっか、また来たのね」と堂々と受け止め、
回復するゆとりをもちながら、
ゆるく生きたいのだ。
自分にとって最適な環境はなんなのか、
達成感を得ながらも苦しくならずに生活できる
自分にあった生き方を、
これから模索していこうと思う。
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