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肥薩線とくま川鉄道、鉄路再開への道#8

#8本当の再開 、そして復旧とは?

川村駅を訪れた後、車は人吉市内に戻ってきた。ここで、先生から「山江も見ていきますか?」と打診があったので、せっかくの機会、山江村ものぞいていくことにした。山江村は人吉市内の北側に隣接する村で、やまえ栗の産地としても有名な村である。やまえ栗は大粒の栗で糖度が高く、昭和天皇の献上品にも指定されたことがあるほどの名品で、最近ではななつ星のスイーツでも使われているブランド栗である。山江までは人吉からも車で10分から15分ほどと至近距離にあった。ここでのぞいていったのは球磨川の支流である山田川上流の様子と村の実態である。

昨年の豪雨被害は主に球磨川流域の市町村がクローズアップされていたが、実は支流の被害も相当なものであった。こちらは堤防の決壊よりもむしろ土石流の被害が大きく、先の道路が通行止めになったり補修中であったりと、今も被害の大きさを物語っているのである。

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山田川上流の様子。所々散乱している大きい石は、土石流の跡を示している。

しばらく道なりに進んでいくが、坂本方面はこの先通行止めとのことで、流域の様子や山江村役場の方の様子を見て人吉に戻ることにした。沿道には所々、集合住宅が点在するが、豪雨被害後に転出をした世帯もありそのまま人が戻ってきていない様子が伺えた。というよりも、地方の過疎化は深刻な問題になっていて、主要都市である人吉でさえ人口は3万人台前半と、戦前の人口規模にまで落ち込んでいる。

車の中では人吉の活性化に関する意見交換も行ってきた。その中でキーワードとなってくるのはやはり観光である。人吉は隠れ家的要素も地形的にあってミドル層やシニア層の人気があり、温泉や食も豊富であることから最盛期には年間100万人以上の観光客を集めていた。その目玉であるのが肥薩線やSLであるので、単なる路線としての位置づけではない。

地域の活性化だけでなく、経済や一人一人の生活がかかっているだけに安易な議論は許されるものではない。これに関してはJR九州や県だけでなく国も真剣に関わっていくべきである。存続を図れる方法はいくらでもある。最適なスキームを構築し、いち早いアクションを官民連携して起こすべき課題だ。

多良木での1泊2日の取材と学校での関わりでお世話になった黒肥地保育園の先生とは人吉に到着後、挨拶を行ってからいとまごいをすることになった。先生も夏休み中とはいえ保育業務があり、多様な中でおもてなしをして頂いたことは自身も大きな勉強になった。改めてお礼を申し上げるとともに、再びの交流が図れるよう努力を続けていきたい。

さて、人吉に戻ってからは昼食として駅弁のやまぐちさんが新規に立ち上げたラーメンを食すことに。天草大王のガラとアゴだしのWスープが特徴の塩ラーメンはコクのある濃淳な味であった。これで600円は庶民的な値段だと感じる。人吉を訪れる際には是非味わって頂きたい。東京から職人さんを招聘して作り上げた一杯であるので味は本物だ。

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お店では「田舎ラーメン」として売られている塩ラーメン。醤油ラーメンも食べる価値はある一品だ。

お昼を済ませてからはくま川鉄道の本社へ出向き、著作の営業を兼ねて永江友二社長にご挨拶と献本を行い、鉄路の現状についてお話をして頂いた。完全復旧までには時間がかかるが、ついに11月28日、#7でも述べたように肥後西村~湯前間で運行が再開され、部分的ではあるが球磨地方に鉄路が戻ってきた。まだこれは序章に過ぎないが、やはり沿線の盛り上げに鉄道は不可欠である。徐々にこれから本数が戻ってくることを願ってやまない。

最後に、この取材の最終目的地として選んだのは焼酎の蔵元さんである。球磨焼酎(米焼酎)は世界でも認められているお酒で、人吉駅から比較的短時間で足を運べる白岳の高橋酒造さんにお邪魔することにした。

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取材の最後に訪れた白岳伝承蔵。色々な米焼酎が試飲できる。

白岳は米焼酎の代名詞的なブランドで、元々は多良木町発祥の蔵元かつ会社である。ここでは米焼酎の作り方や明治時代に使われていた道具などを見学することができるので、アルコールに興味がある方や理系の学生さんなどにはおススメである。勿論、白岳の各種米焼酎も試飲できる他、ここでしか買えない限定版の焼酎も売られているので、お土産屋さんとしても非常に充実した内容であった。

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米焼酎については白岳以外の蔵元さんの商品も並んでいるので、お土産として買っていくには悩むところであろう。なので、試飲については可能な限り行って、納得のいく味を求めて頂けれたらと思う。個人的には「銀しろ」はなかなかの香りと味の整った一品であった。

帰路への時間が迫っていたので、蔵元のスタッフさんとも今回の取材について話を進めてきたが、鉄路の復旧がないとお客さんも戻ってこないという実態がこちらでも明らかになったのである。くま鉄の田園シンフォニーが運行されていた時期には、団体客で活況を呈していた時期もあったということを伺った。人吉・球磨は改めて感じたことだが、鉄道があってこそ地域の発展や町おこしが望める場所である。切り捨てありきで話を進めていけば、そこは地域の衰退、ひいては県の弱体化を招くのみだ。

首都圏への人口一極集中が社会問題になっている中、首都圏にはない魅力が各地域には詰まっている。こういった人を惹きつける魅力を微力ではあるが、今後ともこのような媒体やSNS、日常の仕事などで伝えていけたらと思った次第である。人吉を離れた後は、高速バスで宮崎へ向かいそこから空路で帰路についた。熊本については、熊本市内や県北部、阿蘇、天草よりも実は筆者が一番足を運んでいたところは人吉と球磨なのである。「日本のスコットランド」(人吉・球磨地方の異名)にはまた足を運ばせて頂こうと思っている。

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鉄路は絶対に戻ってくる。そのときまで諦めないでほしい!

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