僕がタロットを嗜む3つの理由
この記事は先日LINE BLOGで書いた内容とほとんど同じものになるんですが、書きながら「noteに投稿してみたいな…」と感じていたのでこちらにも書かせてください。
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年が明けてから最近までレコーディングをしておりました。
今は録音作業を終えて、ミックスの段階に入ってます。
一筋縄ではいかない作品になりそうです、自分でも楽しみだな。
進展があったらまた報告します。
それから近況と言いますと、最近新たに取り組み始めたことがありまして…
そう、タイトルにもあるようにタロットカードを始めたのです。
すでにTwitterやInstagramのアカウントでは、練習も兼ねて毎日の運勢を見るということをやってたりもします。
自分の中では以前から徐々に徐々に、少しずつタロット熱が上がってきて今に至るんですが…
やっぱりSNS上では急にタロットにハマり出したように見えるだろうなと(笑)
自分としてはただ純粋に面白いなぁ、楽しいなぁという気持ちなんですが、やはり突然占いとかタロットとか言い出すと胡散臭い、変な宗教?みたいなイメージも持たれやすいので、いきなり“タロット面白いよ!”だけで押し通すのはどうしても怪しいし説明不足なのかなと。
単なる趣味としてだけならそれでも問題ないんだろうけど、娯楽的と言いながらも音楽面に活かせる可能性を感じて割りと真面目に取り組んでたりもするので、偏見で遠ざけられたくない気持ちもありまして。
そこで!何人の目に届くかわからないけど、ここに自分がタロットを始めた理由やそこに感じている可能性について書き記しておこうかなと思い立ちました。
よければお付き合いください。
タイトルにも書いたように大きく3つに分けて書いていきます。
1.タロットカードにはロマンがある
自分はタロットは好きですが、特に占いが好きとか占いを特別信じるとかいうことはないです。ただタロットが好きなだけ。
もともとタロット占いってカード1枚1枚にキーワード的なものがあって、それを占い師が上手いこと解釈して未来を占ったりアドバイスしたりする。みたいなものだと思ってました。
でも、とあるラジオ番組を聞いていてタロットの話題になったときに「実はそうじゃないんだ」という話になり、「占い師は勝手に解釈してはいけない、ただカードの意味を正確に伝えることが仕事なんだ」という話をしていました。
カードを数枚並べて、その意味を順番に丁寧に伝えていくと相手がそれは自分にとってどういう意味なのかを自由に解釈して自分で自分の気持ちに気付いてくれるんだということを言っていて、つまりタロットにおいて当たる当たらないはそれほど重要なことじゃないんだということに気付かされました。
カードの言葉に背中を押されるのも良し、なんか違うと感じてキッパリ信じないのも良し、それが自分の気持ちだということです。
さらにタロットは1枚1枚に意味があるだけではなく、十数枚のかたまりで1つのストーリーを成しているという話もしていました。
例えば“大アルカナ”という種類に分類されるカードは、“自由奔放”を意味するTHE FOOL(愚者)から“完成”を意味するTHE WORLD(世界)までの22枚のカードがあって、これは自由奔放な愚か者が旅に出て、最終的に完成された世界に辿り着くまでの物語になっているんです。
もっと細かく見ていくと1枚1枚にも小さなストーリーがあって、正直占いなんてしなくてもこのストーリーを読んでいくだけで十分面白い。
タロット占いは未来を予知するというより、カードからいろんな言葉を投げかけて心の奥ではどう思ってるんですか?と問いかける行為である。
そして占い道具としての意味合いだけでなく、カード1枚1枚にストーリーがあって、さらにそれが集まって1つの大きな物語になっている。
こういった部分を知って、タロットにロマンを感じてとても魅力的だと思うようになりました。
2.タロットはコミュニケーションツールとしても優秀である
例えばタロットの場合、占いを怪しいとか信じないとか思っている人を無理に占って納得させる必要はなくて、上で書いたように「タロットってこんな大きなストーリーがあるんですよ、知ってました?」というような話の広げ方もできるわけです。
もちろん占ってほしい人に対しては普通に占ってあげればいいんですが、この場合もタロットのコミュ力は優秀で、実はタロットの中には「悪い意味にしか捉えられないカードはない」んです。
例えばタロットの中にDEATH(死)というカードがあります。
死のカード!と言われたら「え、死ぬの?」と不安になりますよね。
ところがこれは終わりを意味するカードではあるんですが、ただ「終わる」のではなく「この終わりが1つの区切りになってまた新しいことが始まっていくだろう」というところまで含まれています。
ここまで丁寧に伝えてあげれば占う相手をガッカリさせるだけで終了ということもないと思います。
こういうようにカードが持つ物語性や意味を丁寧に説明すれば相手を不快にさせることもないですし、そもそもタロットの知識を持ってる人自体それほど多くないと思うので、それだけで話のタネとしても価値があるでしょう。
実は今後、このタロットの優秀さを活かしてお客さんとコミュニケーションをとるべく、自分がライブをする際は物販コーナーの中でタロット占いをやってみたいなとも考えています。
タロットはたくさんカードを並べてじっくり占うイメージがあるかもしれませんが、1枚引きや3枚引きなど少なめの枚数でサクッと占うこともできるので、物販の限られたスペースでも十分可能だと思います。
そのために今、タロットを勉強しているのです。
3.新たな作詞法の可能性を感じている
自分は作詞をする上でダダ、シュルレアリスム、エロティシズムという概念をとても重要視していて、特にダダからは多大な影響を受けています。
ダダ自体を説明するとさらに長くなってしまうので省きますが、簡単に言うと“言葉の意味や普段当たり前だと思ってることに縛られるな”というニュアンスの芸術運動です。
ダダの作詩法の中に、言葉の意味にとらわれないために新聞の文字を切り刻んでランダムに配置してそれを作品とするというものがあります。
こういった自分の意思に左右されないようにランダム性を重視した手法はダダに多く見られるんですが、NAMEROオリジナルでこのようなダダ的作詞法は編み出せないものかと考えていて、過去には“意味は考えず、韻を踏むことだけを考えて言葉を繋いでいく”という作詞法を採用したこともあります。
そして今回、タロットカードにその可能性を感じました。
これは1つ目の中に出てきた「占い師は勝手に解釈してはいけない」というところと「カード1枚1枚にストーリーがある」というところからヒントを得たんですが、つまり占いの要領でカードを並べていけば自分の意思とは関係なく、そこに1つのストーリーが出来上がっているのでそれを歌詞にすればよいというものです。
ダダ的手法で作られた作品は意味を放棄してる分だけ支離滅裂になりやすい傾向にあるんですが、この手法はランダム性が高いにも関わらず、ストーリー性も備えているので意味は崩壊しないというポイントが面白いと思うのです。
前述したラジオを聞きながら、このタロット作詞法を思い付いたことが全ての始まりでした。
近い将来、この方法を確立させたいと思っています。
以上が「私がタロットを嗜む3つの理由」です。
かなり長くなってしまいましたが、単純に自分が楽しむため、皆さんとお話しする1つのきっかけにするため、そして新しい作詞方法を確立するためにタロットを始めました。
この思いが誰かに伝わるようにこれからタロットを続けていきたいと思います。
ここまで読んでいただきまして、ありがとうございます。
それではまた!