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映画「ちょっと思い出しただけ」、初めてエンドロールで泣いた

 教員2年目の私の心の拠り所、夏休み。7月30日の夕方。

 明日は校外学習の下見だ。きっと明日もあり得ないほど、具合が悪くなるほど暑いのに、遠くまで行かなきゃ。

 ちょっと憂鬱になりつつある気持ちを無視したふりをしながら、Netflixを開いた。
 マイリストからなんとなく選んで、「ちょっと思い出しただけ」を見た。


 久しぶりに、見てよかった、好きだ、と思える映画に出会えた。まず、その事実がうれしい。

 「別れてしまった男女の6年間を、終わりから始まりまで遡って描くラブストーリー」という紹介文だけを頼りに見た。
 登場人物は主に照生という男性と葉という女性。照生の誕生日を節目に、2人の過去や性格、出会いが、少しずつ巻き戻されて明らかになっていくのが面白かった。

 この「面白い」というのは、共感させられる場面が多くて、考えさせられることがたくさんあって、こんな文章を書きたくなるくらい余韻に浸らされた、ということだ。

 まず冒頭のシーン。
 タクシーに書かれた「TOKYO 2020」から始まり、マスクをした人々、タクシー車内のビニールのパーテーション、「ライブができなくなった」と話すバンドマン、葉の「12時過ぎると誰も出歩いていない」と言うぼやき、「早く落ち着くといいですね」という当時はよくあった会話。
 いろんな描写から「コロナ禍」を感じられたのが、面白かった。

 面白いと感じられたのは、今がもうその「落ち着いた」ときだからだろう。

 あの頃は、またマスクをせずに出かけられるなんて、罪悪感を感じずに飲み会に行けるなんて、考えられなかったことを思い出した。
 私の大学3年間の尊い時間と若いエネルギーといろんなチャンスを閉じ込めて、無駄にしてくれた憎い憎いコロナ禍。
 でもあの時間も、私の人生の一部なんだったな、と思わされた。そして、コロナ禍を許すことができるまでに、時が経ったのだと知った。

 冒頭で、そんな葉の運転するタクシーに乗ってきて、「ライブができなくなった」と話していたバンドマン。
 彼が、2人が出会った日に路上で項垂れて弾き語りをしていた尾崎世界観だったということが後に分かる。この伏線回収、最高に脳汁が出た。

 6年前は葉と照生からも会話のタネにされるだけで、ろくに気にも留められず、誰もいない路地裏で弾き語りをしていた尾崎世界観。
 彼は、6年間で照明もあるライブハウスでライブができるまでに大きくなった。

 でも照生と葉の関係は、6年前はあんなに楽しそうでキラキラしていて、目を背けたくなるくらい甘かったのに、6年経って冷たくすれ違って別れてしまった。
 その方向性の差が、切なくも、リアルだと思った。

 と思ったのも束の間。
 映画の終盤、まさかの、葉は合コンを抜け出してタバコを吸っていたときに火を貸してきた男と結婚して、子どもが産まれていた。

 なのに、”ちょっと思い出しただけ”で元彼の誕生日にケーキを買っちゃったりしていた。「なんとなく食べたくなって」なんて旦那に嘘ついて。

 人生そういうこともあるんだね。どこで出会った誰と、どんな関係になるかなんて、本当に分からないんだね。

 出会った日の夜、路上で踊っちゃうシーンとか、休館日のバ先の水族館入り込んで戯れちゃうシーンとか、微笑ましいけれど、でも気持ち悪いくらい甘ったるかった。

 でも私と彼氏もきっと、側から見たらあんなんだ。同族嫌悪ってやつだ。
 そんな時間も大切にしなきゃいけないね。

 映画の冒頭、照生は、朝ラジオ体操するんだ〜、猫の餌のお皿はタオルの上に置くんだ〜、となんとなく把握していたけれど、見進めればそれが照生だけによって作られた習慣じゃなかったことも分かった。
 2年前に遡れば、葉と一緒にラジオ体操をしていたし、餌を食べる猫を優しく微笑んで見つめる葉がいた。

 いま私は彼氏と一緒に住み始めて約3ヶ月。

 まだ3ヶ月なんて思えないくらい、当たり前のように毎日彼の目覚ましで起きて二度寝して、布団の上から見送って、ご飯を食べたらベッドの上で「ギュータイム」という名の戯れタイム、お揃いのシュナウザーのヘアバンドをする毎日。

 もし彼がいなくなったら?

 自分の携帯からしか鳴らない目覚ましで起きて、見送りも見送られもせず、ご飯を食べ終わったら私は何を抱き締めるんだろう。

 今は可愛すぎて彼の分まで追加購入しちゃった犬のヘアバンドも、見ていられないくらい憎くなるかもしれないね。

 もう考えただけで、嫌、嫌嫌嫌。

 やっぱりもっと、大切に大切に、ありがとうをたくさん伝えて、楽しい時間を作って、好きでいてもらわないとだめだ。そう思えた。

 でも一方で、葉は別れても道端で出会ってホテルで一夜を共にした男と結婚して、平和そうな家庭を築いているように見えた。
 だからもしかしたら、もし、もし、もし、別れてしまったとしても、また新しい出会いがあって、幸せに誰かと歳を重ねられるのかもしれない。
 というか私はどこまでも、何歳になっても、しぶとく誰かを求めてしまうと思う。

 きっと、大丈夫だよね。

 そして最後、黒い背景に流れていくエンドロール、「ナイトオンザプラネット」とその歌詞。
 これが、私には深く染みて、はじめてエンドロールで涙が出た。

 今まで見た映画の主題歌でいちばん刺さったというか、初めてエンドロールに意味を感じたというか、とにかく味わい深かった。

 2時間の映画をぎゅっとまとめて綺麗な走馬灯にして、いつでも側に持っておいて、振り返れるようにしてくれたような曲だった。

 2番の「命より大切な子どもとアニメを見る いつの間にかママになってた このまま時間が止まればいいのにねって思う瞬間が この先つま先の先照らしてくれれば」って歌詞の切なさと、美しさと、共感度、すごいよ。
 1番では見てたのが映画なのも、字幕で見てたのも、その変化も儚くて素敵な成長だ。

 そして、「いつの間にかママになってた」という歌詞を、もしかしたら自分も遠くないのかも、と思えるほど子どもじゃなくなったことにも、焦りと違和感を覚えた。

 イントロだけインスタのリールかなんかで流行っていて聞いたことがあったけれど、おしゃれな曲だな〜くらいにしか思っていなかった。クリープハイプの曲だとも知らなかった。

 冬に地元に帰省したときも、素敵な雰囲気と併設されている本屋さんにつられて「C.H.P COFFEE」というカフェに行った。

 するとなんと、クリープハイプの大ファンの方がやられているC=クリープ、H=ハイ、P=プに溢れたカフェだった。
 カフェでは常にクリープハイプが流れていて、メニューは曲名をあしらったものばかり、クリープハイプが掲載されている雑誌やCDやグッズ、ファンのための交換ノートが飾られていた。

 古民家カフェに流れる「ただ」とか「栞」とかのメロディと、素直に掠れるような歌声が美しくて、その場でApple musicに追加したことを思い出した。

 それ以来あまり聞けていなかったのに。
 不意に、また魅了されてしまった。

 今年の夏は、「ナイトオンザプラネット」を聞いて、映画を”ちょっと思い出して”、クリープハイプをもっと、ちゃんと、好きになる夏にしたいな。

 「ちょっと思い出しただけ」を見たことがある人、クリープハイプが好きな人、もし読んでくださっていたら、コメントください。お話したいです。

 ああ、また大好きが増えた。うれしい。幸せだな。

 明日の下見、頑張れそうです。

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