番外編チャット会「思春期の悩み」まとめ
こんにちは🌷朝来おかゆです
先日5/22(金)に番外編としてチャット会を開催しました
今回は、わたしのツイッターアカウントをフォローしている方ならだれでも参加できるかたちで行いました
そのチャットのようすをまとめます
はじめに簡単な自己紹介(①呼ばれたい名前②気分・体調③今回話したいこと)をして、あげてもらったそれぞれの話したいことを順に深めていきました
①1クラスの人数が多すぎる
・人数が多いと人前で話す機会の怖さが倍増
・どこを見てしゃべればよいかわからない
・360度から監視されている感覚
→近代は相互監視の時代
②「思春期だから」と大人に言われるのが嫌だった
・中学生、高校生であるだけで無条件に一般的な思春期像(社会を知らない/未熟/反抗的/性的なことへの関心が高まる)を当てはめられる
・悩んでいるときに社会や学校が悪いのに自分が思春期であるせいにされる
・ちょっと反対意見を述べたり、秘密をもとうとすると言われる気がする
・「誰もが通る道」みたいな形で現体制を肯定されることがよくある
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体制から「許容内逸脱」として回収される
=「若気の至り」など将来世間に適応するために
必要とされている逸脱のみが許されている
・"学生さん"の言い方を注意して聞く
(言い方で相手が自分を下に見ているのか見極める)
→学生と教員(大人)に壁を作ろうとしてくる人がいて、自分を優位な立場にしたい人は言い方に特徴があるかも
→「それは学生の考え方」と下に見てくる人も…
=発言内容を社会的地位でランク付けされる
③スクールカースト/笑いがもつ権力
・笑わせることによって優位に立っているような快感に溺れてしまうときがある
→自分の中に権力を感じる
・人を笑わせることができると自分を肯定された気になるから快感になるのでは
一方で…
・周りが気を遣って笑ってることもあった気がする
・むしろ笑わないと空気が読めないと言われてしまうことも
・正直自分は会話中相手が笑ってないとこわいなと思ってしまうときがある
⇒「1クラスの人数が多すぎる」でもあがった
"人前で話すのが怖い"って
みんなの前で発表→真剣な顔で聞いているため
笑顔の人はいない→不安
ということなのでは!?
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結局のところ人間にはいろんな表情があるのに
笑顔ばかりが称揚されることが、
固い表情を受け付けないことに関係している?
・「リア充的コミュニケーション」が優位に立っているような気がする
*リア充的コミュニケーションとは…
基本的には、他人に嫌われるのは良くない
ことであり、誰とでも仲良くしなければ
ならないと考え、「自分の中の良い印象を
与える面だけを自己開示する」ことに
特化したコミュニケーション
(東大誰でも当事者研究サークルさまの
「自己開示の調節モデル」より
引用させていただきました)
・学校のカーストは“見かけの”コミュ力の階層かなという印象
・社会に適応させるための教育がよしとされている社会構造自体がおかしい
→生きる力を"社会に適応できる力"と勘違いしている人が多いと思う
⇒脱社会的な「生きる力」がもっと浸透してもいいのではないか
④友だちへの執着
○○ちゃんとの関係
わたしにとってはいちばんの友だちだったけれど、友だちではなくなった
相手がどう思っていたのかはわからない
自分の素が出せる相手だった
性愛的なものは感じてない
・そもそも恋愛ってなんですか?
→恋愛感情って語弊があるかもしれませんが一過性のものだと思う
そこから深い愛に変わるか薄れていくか分岐していくというか
・自分が相手にしてあげた分と同等かそれ以上が返ってこないと、相手に対して「ずるい」と思ってしまう
→これが執着の要因?
・恋人にせよ友だちにせよその中間にせよgive&takeってあるんかなあ
(じぶんはそういうのはあんまり好きじゃないけど)
・対等な関係を目指さないとあかんのやなぁとおもいますね
自分の価値を下げて付き合ってもらおうとしてもうまくいかなかった
・愛を獲得することばかりに気を取られてしまっているのかなぁという印象
私的な感想
以前から文字での交流をやってみたかったので実現できてよかったです
今回参加者は主催者ふたり含め5人で、チャットだと発言が流れてしまうことを気にしていたんですが、ちょうどよい塩梅でした
ただわたしは思考に瞬発力がないので、焦ってあまり発言できませんでしたが(-_-;)人によって向き不向きがあるなあと思いました
わたしはあまり「思春期だから」と言われたことがないのでなんでかなーと考えてみたのですが、そもそも中高生のころ他人に自分の悩みや意見を話したことが皆無に等しいことに気がつきました
自分のことを知ってほしいきもちはものすごくあったのですが、それ以上に自己開示することが怖かったです
("ほんとうの自分を知られる=みんなに否定される"という確固たる図式がわたしの中にあったのです)
それこそ、そんなわたしが唯一自分のことを話せたのが、「友だちへの執着」であげた○○ちゃんでした
ほんとうは自分のことを知ってほしい気持ちが多々あったので、○○ちゃんのことをつねに意識して、わたしの頭の中で○○ちゃんに自分のことをペラペラしゃべり、○○ちゃんならこう言ってくれると妄想を繰り広げてしまったのかなと今書きながら考えました
だからこそ友だちではなくなっても、唯一の存在であるためずっと執着しつづけてしまったんだと思います
ちなみに○○ちゃんはわたしが描いたコミックエッセイ『人と食事するのが怖い!』に出てくるよねちゃんです
本田より
思春期の頃はとにかくいろんな人から行動を監視されているような実感でした。今になって考えると、教室内の人数やカースト構造、恋愛や友人など人間関係の構築の仕方の変化など、いろんなことが重なって、自意識が強くなる時期だったのかなあと思います。でも思春期の頃の悩みとかって、おそらくその時限りのものではなくて、その後の人生にも少なからず影響してくるものなのではないでしょうか。そう考えると、「思春期だから」で終わらせてしまっていいものではないはずです。
あと、笑いのコミュニケーションは、個人的には上手にハマれれば面白いんですが、それを強要されるとちょっとしんどいかなって感じです。「面白い=優れている/つまらない=劣ってる」みたいに思ってる人って、特に思春期の頃は多い気がします。(大人にも多いと思いますけど)笑いを取るために自分を犠牲にすることもよくあるのではないでしょうか。
友だちとの付き合い方については、もっと深めたいテーマですね。最低限のギブアンドテイクは大事だと思うんですが、過剰に見返りを求めあうような関係になるとしんどくなるのかな、というのが個人的な意見です。
チャットでのやりとりはこれまでほとんどやったことがなかったので新鮮でした。口頭よりも言語化の解像度が上がる分、発信するまでにちょっと時間がかかって大変だなと思いました。が、その分ある程度整理してから発信できるので、その点は良かったです。
次回
まだ日程は決まっていませんが以前告知したとおり、「悩みが理解されにくい」というテーマで対面で行う予定です
よろしくおねがいします^ - ^