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もっと!まだまだ!この向上心が敵か味方か考えてみたよ。

何でも、できないよりは、できた方が良い。
知らないより、知っている方が良い。
今のレベルよりもっと上に行った方が良い。

自分ができないことを習得するために努力ができること、もっとレベルアップしようと自己研鑽すること、素晴らしいです。一方で、この「もっと!まだまだだ!」に終わりはなくて、満たされることはありません。「できるに越したことはない」に取り憑かれていないか、最近思います。
自分はまだまだ…と思うのは、何かと比較してギャップを感じるからでしょう。

ギャップを埋め続ける

わかりやすいのは他人。自分より優秀な人、センスが光る人、たくさんいますよね。その人たちの影の努力も知らないで「いいなぁ」って身勝手に思ったりね。そして、思います。「自分はまだまだだ!」と。

あとは現状と理想のギャップですよね。自分の中にある「こうありたい、こうあるべき」という理想の仕事と、実際に今ここにいる自分がしている仕事に乖離がある時。これを埋めたくなります。「もっとやらないと!!」

やってもやっても壁はずっと高いままやな

終わりはないんです。私たちは知っている。
他人との比較なんて世界一にならなければ満たされることはないし、世界一になったとこで、いつかその座を奪われた時にはまた取り返さなければいけない。だいたい「世界一」の定義も多分いろいろで、何かの世界一になれたとして、「私はAの世界一だけどBの世界一ではない」とかきっと思うでしょうよ。

理想を追い求めるにしてもそう。あの時の自分が求めた地点に到達できたはずなのに、また違う課題が見え始めていてキリがない。まだまだだ!という気持ちは、自分を解放してくれない。

こんな感じになれればいいんだっけ(違う気がする)

その向上心は味方か敵か

いつまでも自信を持てない。自分が自分を認められない。同じように感じた経験はありますか?
これに共感する人は向上心が高くて真面目な人なのではないでしょうか。そして、そこそこ器用で、何でも卒なくこなせる人。やろうと思えばできそうだから、手を伸ばし続けてしまう。
自分で自分のことを真面目だと言うのもあれですけども、私もそういう人間です。でもこれ、「私って向上心あって、何でも卒なくできまーす!」という自慢ではありません。むしろ、自分にとってはコンプレックスだったりもします。この感覚、わかりますよね。同じタイプの人の脳に直接語りかけていますよ(笑)

なぜコンプレックスか。尖れないからです。ずっとずっと、ずっと、美しい形のスキル レーダーチャートを作ろうとしている。

もちろん、必ずしも何かで尖り切らないといけないわけではありません。「いろいろできる」これ自体が価値で、感謝されることもあります。スキルの掛け算だとか、ポータブルスキルだとか言われるように、あらゆる領域で発揮するスキルを適宜スイッチし、比重を調整しながら対応できる能力は間違いなく強みです。

それでも、キリのない「まだまだだ!」という自分の感情に対し、「お前が余計なことばかりするから進まないんだよ」と敵意を覚えることがあります。
自分を動かすエンジンだと信じていた向上心は、実は足を引っ張る重りになっているのではないか、と。

向上心「お前は、まだまだだよ」


向上心は良いものですよ

ちょっとダークサイドに堕ちかけましたけど(笑)、向上心は良いものに決まっています。普通に考えて、良いものを作りたい、良い仕事をしたいと思えば、「まだまだ!」「もっと!」という感情は、まさに味方となる力です。向上心がなければ、そもそも「どうすれば良いものを作れるか?」なんて考えないわけですから。

ただ、向上心とうまく付き合わないと、逆に自分を苦しめてしまうなと思います。自分が苦しむということは、それ即ち、良い仕事にならず、クライアントにも良いものを提供できないということになります。なんということでしょう。


向上心、ちょっと今は寝といて

向上心なんていらないのでは、と思うのは、どんな時か。
ちょっと極端な書き方をしてしまいましたが、もう少し補足すると、向上心があるがゆえに、自分の欠けている点ばかりが気になって自信が持てなくなる時、そしてそれが足枷に感じるのはどんな時か。

ズバリ、それが現れるのは 営業・宣伝・プレゼンのシーン です。

ここで言う「営業」とは、いわゆる営業職という職種の話ではありません。もっと広義の意味で、「自分をプレゼンするシーン」全般を指します。たとえば、面接、社内での新しい企画の提案、新しいクライアントとの初対面。そんな場面です。

このシーンで向上心が足を引っ張るのは、こんな言葉、あるいはスタンスが出てしまう時です。
• 「まだまだなんですけど…」
• 「そんな特別なもんでもないんですけど…」
• 「本当はもっとこうしたほうが良いと思ってるんですけど…」

自分の中では謙虚さや正直さを出しているつもりでも、頼りなく見えてしまう。もっと良くしたいがゆえに出てしまうスタンスであり、適当にやっているから後ろめたいわけではない。誠実に向き合っていないから申し訳ないわけではない。それなのに、自分(自社)を売るシーンでのこのスタンスが良い仕事をすることはあまり無いでしょう。

売りたいんか売りたくないんかどっちやねんって。


作る自分と売る自分

私は最近こう捉えています。自分の中に 2人格を飼えば良い のだと。(突飛)

以前、製造業のお客様に聞いた話を思い出します。
「営業と製造は喧嘩すんねん。それで良い。正義が違うからね。ぶつかればいい。子どもじみたしょうもない喧嘩はあかんけど、仕事での意見のぶつけ合いはしたらいい。してる状態がある意味健全。」

正義が違う

この言葉がとても印象的でした。

営業は新しい仕事を獲得し、売上を上げることを一番のミッションにしている。製造現場は良いものを確実に作り、納品することに全力を尽くしている。
リスクを取ってチャレンジすることは、作り手目線で言うとどこか不誠実に感じることがある。逆に、製造現場が丁寧に確実にやろうとする中で、営業からしたら「もっとスピードを大事にしてほしい」と思うこともある。

でも、どちらも「良い仕事をしたい」という点では一致している。

この話を聞いてから、私は思うようになりました。自分の中にも製造部と営業部がいると考えれば良いのではないかなと。

製造部の自分は、「まだまだだ…」とずっと足りなさを感じているくらいでも良い。そうやって上を見て努力し、良いものを作ろうと頑張れば良い。

でも、営業部モードに入れば、それを捨てる。ここで「いえいえ、まだまだです…」と言うのは、謙虚ではなく、職務怠慢…!せっかく製造部の自分が頑張ってやった仕事を自信を持ってプレゼンしなさいよ。売れなきゃ意味がない。そう考えます。

※営業部とか製造部ってのはもののたとえで、営業に向上心が不要ってことではありません。


向上心とうまくお付き合いしたい

さいごに。向上心は、ずっと満たされないものかもしれません。どれだけ頑張っても「もっと!」と求め続けるその感情は時に重りになることもあります。

でも、だからといって捨てる必要はありませんし、むしろ捨てないほうが良いです。ただ、「今はそのモードじゃないな」という時もありますよね。そんな時は、いったん向上心には寝といてもらいましょう。

敵か味方か?なんて極端な見出しを振ってみましたが、辿り着いた結論は「たまに寝てもらう」でした(笑)それなら、ちょっとできそうな気がしますよね。

( 迎えに来るからそのへんで寝といて )


今日は考え方という抽象的なところに着地しましたが、具体的にどうすれば向上心と上手に付き合えるのかについては、また別の記事で取り上げようと思います。

ではでは、今日もお疲れ様でした🍵

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