ホームレスとバナナ
幼い頃、神奈川県の川崎市に住んでいた。
住んでいる時は気がつかなかったが、この街はホームレスが多かった。駅前にも自宅の近くにも彼らは居た。
とりわけよく憶えているのは、近所の空き地や公園にいつも居た年齢不詳の女性のホームレス。
彼女はいつも同じ黒い布を頭からすっぽり被って、どこを見ているのかわからない目をしていた。その表情は微かに笑っているように見えて、独特な存在感を放っていた。
親には「近づいたらダメだよ」と言われていたのだが、言われなくても近寄りたくはなかった。
何故なら彼女はとても臭かったのだ。例えるならば濡れた汚い野良犬のような、むわっとした臭い。
子どもどうしで彼女の前を通らなくてはならなかった時などは、空気を目いっぱい吸って息を止めてから走って通るようにしていた。しかし半径一メートル位は危険地帯なので、幼児の足ではしばしば間に合わず臭気を吸ってしまっては涙目で「くさーい」と笑い合っていた。
純粋な素直さは残酷である。
そうして、ホームレスの彼女を日常の風景に付いたシミのように思っていたある日。
私は近所の公園でひとりブランコを漕いでいた。ブランコはその小さな公園を見渡せる位置にあって、漕ぎながら誰かを待っていたのだと思う。
いつの間にか彼女が公園の正面入り口にぼーっと立っていた。特に気にせずにいたら、見たことの無い男の人が彼女に近づいて、何やら話しかけている。
臭くはないのだろうか。
彼はビニール袋からバナナの房や缶コーヒーのような物を取り出しては、優しげに彼女に笑いかけているではないか。
その光景は正直ショッキングなものだった。今までそんな風に彼女を人間扱いしている人を見たことが無かったから。
衝撃とともに私は生まれて初めて自分を恥じた。
私が汚い動く置物のように扱っていた彼女も、自分と同じ人であり、心がある。かつてはお母さんが居ただろうし、尊重されるべき存在なのだ。
そんな当たり前のことが、見ず知らずの親切な男性の行動によって理解できた。
彼は差し入れであろうビニール袋を手渡すと、そのまま去って行った。私はブランコを漕ぐのも忘れ雷に打たれたかのように、小さくなるその後ろ姿をただ見つめ続けていた。
それからは彼女を見かけてもあからさまに嫌がることは無くなった。側を通る時にはそっと息を潜め、騒がず歩いて行く。
ひとつ大人になったのだ。
ただ、いつの頃からかわからないが、私はバナナが食べられなくなった。