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“今”という認識のズレ(核心?)

脳の電気信号と
自由意志までのタイムラグを
意識しながらの生活を
実際に試みると

色々違和感があることに
気付かされます

例えば
何かしらの事象に対して
反応を示した時点で
それらのイメージを維持し
そこに捉われる

数秒前とはいえ
過去は過去

これをもっと簡潔に述べると

自身が今
何をしているか
または何をしたか

にフォーカスしている
ということが伺えます

一般的な自由意思とはまさに
この現象が主なのではないでしょうか

カメラの発明に伴い
人の意識に割り込んできた
現象なのかもしれませんが

静止画に対し
想いを巡らせている、という状況と
まさに酷似している

数秒前の切り抜きの事象に
今を感じてしまっている

これが今現在の
一般的な“今”という概念の認識

しかし
本来(?)あるべき“今”の概念は

今、どうするか

どうしているかでもなく
どうしたかでもなく

どうするか

時間の流れは止まるはずもなく
常に並行線であらねばならない

今を常に意識する以上
そこには動き、
流れも内在していなければ
それは“今”としては役不足

つまり
切り抜きの静止画イメージは
感情も似たようなものですが
“今”に置き去りにされている

・四次元の立方体の概念を
捉えることに
長いこと苦戦して参りましたが

ここでようやく
点と点が結びつきそうな予感です

静止は有り得ない

行動の自由意志の先を行くには
常に
何をするか、どうするかと
少し先の未来にフォーカスして
初めてようやく“今”とリンクする

一般的な、
静止している状態でも
本来、常に動きと時間の流れが
身をまとっていて然るべき

いつでも動き出せるようにと
スタンバイしている様相こそが
ようやく“今”に没入できる

・なんてえげつないのでしょう

我々には
時間を操作する力なんてものは
持ち合わせておりません

しかし感情も含めた
想いを巡らせるその行為全てが
過去への侵食ならば

我々はただただ
無感情に行動するということか

いや、違いますね

まだ知らないだけだと思います

今後もまだまだ考察余地あり
ワクワクします笑

最後まで
お読みいただきありがとうございます

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