仕事に疲れた私が彼氏を通して大切なことに気づいた話。

私は疲れていた。そんな簡単なことにも気づかないほど、参っていた。高圧的な上司と尋常じゃない仕事量に追われる日々。自分はみんなより出来が悪いのだから、頑張らなきゃ、という思い込み。そんな忙しさで正常な判断ができない中、遠距離恋愛中の恋人に会いに行ってきた。正直、自分のことで頭がいっぱいで、遠距離恋愛中の恋人を思いやる気持ちもなく、別れた方が良いのかと考えていた矢先だった。

彼氏は、いつも優しい。私がイライラして意地悪なことを言っても、絶対に私を傷つけることがないよう、配慮している。自分の気持ちを伝えてくれて、きちんと話し合おうとしてくれる。私はそんな彼氏の優しさに甘えているのだ。

私の「幸せ」とは、やりがいのある仕事を全力でやり遂げ、周りから感謝され、尊敬されることであった。常に仕事が一番であり、仕事を捌くには、休みの日を犠牲にするのも仕方が無いと思っていた。もちろん、こんな生活が一生続くとは思っていない。とりあえず20代の間は仕事に全てを捧げ、そこから先のライフプランはまた考えるつもりであった。

こんな生活は20代の間だけと思っていても、その期間すらも続けれるのだろうか。自分は強靭なメンタルだと思っていても、上司から理不尽な怒りのメールを読んだだけで、一日中テンションが下がってしまうこともある。自分はそれが通常運転なので、自分の感情の異常に気付かないものだ。久しぶりに会った私に対して彼氏は、「その上司は異常だし、あなたは疲れている、もっと身体を休めなさい」と言った。

私が一人暮らしを始めて思ったことは、「全てのことを一人で解決しなければならない、人に頼ることはできないんだ」ということだ。文章にしてみたらかなりヤバい人だと思うのだが、思考回路は本当にそんな感じだった。なので人への頼り方が分からず、彼氏にさえもどうやって頼ったら良いのか分からなかった。でも、彼氏が「あなたは疲れている宣言」をしてくれたお陰で、ああ、この人には頼ってもいいのかなぁと自然に思うことができた。

そこから、彼氏の家に滞在させてもらった5日間、徹底的にぐーたらさせてもらった。考えることをOFFにし、ご飯の献立、買い物のプラン、一日のスケジュール等、全て彼氏に考えてもらった。(それらの作業は私も手伝ったが)今まで私の幸せとは、やりがいのある仕事が全てであった。その幸せには、彼氏との時間は含まれていなかった。だが、皮肉にも、その仕事によって彼氏との時間がいかに大切か、どれほどまでに自分の心を癒してくれているのか自覚することになった。

私は、身体は限界が来ているのに、心に暗示をかけ麻痺させることで、自分の理想像に向かって走り続けてきたのだと思う。自分の心を軽くするためには、やりがいのある仕事無しでも、自分の価値を自覚すること必要だと感じる。彼氏と一緒にいると、少しずつ、少しずつ自分はこのままでもいいんだという気持ちが芽生えてくる。まだまだ自己肯定感は低く、これからの人生、億劫だと思う気持ちもあるけど、少しずつ前を向いて歩ける気がする。


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