忘れてしまった概念をケアする。

今日はゆっくり出勤して、早く帰ることができるスペシャルデイ。
noteをぼんやり読み直していた。
このごろはほぼ毎日更新できている。

だいたいどの月もそうだなぁと思っていたら、去年の10月は月に4本しか書いていなかった。忙しかったのだろうか。
あまり記憶がない。多分立て込んでいたのだろう。
最近は、立て込んでいても、時間を作って書くことができている。
時間はあるのさ。

過去の投稿をざざっと見ると、箱理論について考えていた。
確かに僕は箱理論を考えていた。でもなんだったっけ。
理論が行動に繋がっていなかった。
つまり、今はほとんど覚えていない。

だから、箱理論をまた考え直そうと思う。
これが今ここってやつだろう。

物理的な箱を考えてみたらいいのかな。
部屋が汚いというか、物が散らかっている。
例えば、文房具をつっこむ箱を用意してやって詰め込む。
そうすると、散らばっている状態から箱だけになって、とってもすっきりする。

そんなことを概念にも適応しようと思ったのが箱理論ということだった気がしてきた。。
物理的な掃除とか、そういうときにも意識するけれど、ちょっとそれを行動に当てはめてあげないと、僕が考えた概念だとはいえ、かわいそうだなと思った。ごめんよ箱理論。
帰りの車でわくわくしながら考えていた記憶はうっすらある。

ポメラで文字を書くと、自分がとても暇だということに気がつく。
オンラインの環境から切断されているのがとってもいいんだろう。

PCでnoteを書いていたときはそうでもなかった。
オフラインだと、エネルギーをあまり使っていないからだろう。
そしてPCで何かをするということは、いろんなことが出来てしまうから気が散って、エネルギーを多大に消費してしまう。

箱理論とポメラの省エネを考えていたとき、ふと、読書ノートについて考えた。
最近5冊平行で本を読んでいて、ポメラにがしがし書いている。
とてもスムーズで、負担がすくない。
これを続けられたらそれでいいかな、と思う。

ただ、なんだかスムーズすぎる、と思う。
読書に必要なことはスムーズさというか、そこに書かれていることをかみしめることなんじゃないか。
だから、読書ノートを物理的に作りたくなった。

当たり前のことなんだろうけれど、手書きは手間がかかる。時間もかかる。
そこで今感じている暇概念と結びついた。
本を読んで、読書メモを取るとおそらくもっと暇を感じるだろう。
苦しくなってきたり、違和感を覚えたら、休めばいい。
でもなんだか読書に関して言うと、その方法のほうがいいかもしれない。

毎日こつこつ行うということを忘れないようにしたい。
そのためにもこうやって書いているから。

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