エッセイは、こう書く。
力を入れずにささっと書く。
そういうコンセプトで書き連ねて早幾ばく。
それは、読んでもらう人のことを考えているわけではない。
ただ、自己満足を続けようと思っているだけ。
僕は大学生の時からnoteを書いている。
そのときは何かを残そうとか、伝えようとするための手段としてnoteを考えていたし、書いていた。
内容について良く悩んでいた。
なんとなく最初の頃のnoteを読み直してみた。
比較的良く書けているし、書いたことはすっかり忘れていたけれど、書かれている内容についてはわかるな、と思う。
当時は、書きたくなったときにばばっと書いていた。
定期的な更新はできていない。
でも、分量と内容は今よりは多いし、良いのかもしれない。
今はnoteがもはや、目的になっている。
手段の目的化というのは批判されることである。
ただ、僕のnoteについてはこれでいいかな、と思っている。
考えて文章を書く必要があるのかもしれない。読んでもらう人の事を思うと。内容ももう少し絞って考えた方がいいかもしれない。
ただ、そういうのは本気で考えようと思えない。
僕が分かっているのは今僕がこうやって書くことに今日も向き合っていると言うことだけだ。それでいい、と思えている。
自己満足が持続している。それも何か行為を続けることによって。
数年前に比べて一日一日の書くことに対して消費しているエネルギーは減っている。
今日も疲れたなとか、コーヒー飲みすぎたなとか、そういう余計なことを思いながら書いている。
それぐらい書くことが身近にある。
少し前まではちょっと気合いを入れないと書く内容に邂逅することができなかった。
慣れだろうか。
でも、慣れてきたというと変な感じがする。
書いていると毎日発見がある。感動を覚えるほどのものではない。
でも、書いているときと、書いた後に読み直した時ですでに僕の体から剥がれ落ちてしまって、なんだかよそよそしい。そのよそよそしさがちょっと誇らしい。
書けば書くほど、僕は自分のことが好きになっている。
そんなことをさらっといえるようになっている。
内容についてこんなに悩まなくなるなんて不思議な物だ。
書けないことについてぶつかったこともあった。
その経験がもしかしたら生きているのかもしれない。
でもそんなことは、今はもうわからないし、忘れてよいことかもしれない。
今日も書いたという事実のみが僕を支えてくれる。