桃源郷③〜ヒゴタイ公園のデジャヴ
目的地は「ヒゴタイ公園」である。ここは、熊本県の産山村という所になる。しかし、限りなく大分県との県境である。
大分県民の私としては、この素晴らしい公園がギリギリ大分県ではないことは少し残念である。
そもそも、ヒゴタイという植物はどれくらいの知名度があるのだろうか。
私が初めてヒゴタイを認識したのは、10年くらい前に荻子とこの辺りをドライブしていた時である。「ヒゴタイ公園」の看板を見つけ、おそらく「何それ(笑)?」と言いながらフラッとヒゴタイ公園に入ったのではないかと思う。
ヒゴタイを説明するのは難しい。なんというか、
このような植物である。
この青紫色のポワンとした植物は、私の心を鷲掴みにした。
残念ながら、開花時期が過ぎていて、今回はもうあまり咲いていなかった。
ヒゴタイを見たかったのは山々であったが、今回の目的は「コスモス」である。
四季折々の花は、正直この10年ほどで見飽きるほど見てきた。
荻子との旅も、5年目辺りから「行き尽くした感」が拭えず、倦怠期を迎えた時期があった。
私も荻子も、目の前のことを必死にこなす時期が続き、お互い大人になり、あの頃とは少しだけ違う「景色の見方」が出来るようになった。
ーーいや、なってないか。あんま変わってないわ。
そんな、あまり変わってない我々は、ヒゴタイ公園に降り立った。
「公園」と言っても、その広さは半端なく、3回目の来訪である私も、その全貌は知らない。一周まわるのに2時間かかるという。
ーー下手したら遭難するんじゃ?
という気さえする。
歩くのが嫌いな私は、歩くのが嫌いなくせに、このような広大な自然が好きである。
広大な自然に接するためには、それなりに歩かねばならない。
普段は、デパート等の駐車場も、当然入口に最寄りの場所を探す。その執念はすさまじく、すごく急いでいる時以外は、ぐるぐると何周もまわり、最寄りの場所を虎視眈々と狙う。
その、日頃の怠慢さが影響してか、少し歩いただけで小走りしたくらいの息切れを起こす。
ヒゴタイ公園の入口から中へ向かう方は、緩やかな下り坂になっており、意気揚々と歩けた。
帰りのことを想像すると恐ろしい。
歩いていると、若い女性2人組がコスモスの前で写真を撮っているのが見えた。
何か違和感。
若い女性たちの背後になんか見たことある男が。
( ゚д゚)‼︎
なんと、ひまわり畑で我々の写真を強引に撮り、撮影指導までしてきたあのおじさんの姿が。
ーーデジャヴ。
この状態をデジャヴと呼ぶのだろう。
おじさんは、先程我々にしていたのとほぼ同じような感じで、女性たちに絡んでいた。
ーー常習犯Σ(゚д゚lll)
とりあえず引き返す。
向こうも気付いていたと思う。でも今度は、夫も娘も一緒にいたため、さすがに近寄って来なかった。
引き返した我々は、コスモスが群生している所で写真撮影をしていた。
青い空に鮮やかなコスモス。「綺麗」という月並みの言葉では表現しきれない。広大な自然に接した時、いつも言葉という枠に押し込むことが出来ない何かを感じる。
我々は、写真を撮りまくり、コスモス畑を楽しんでいた。
すると、一人の男がこちらを凝視している。
ーーあいつだ。
先程のデジャヴで相当敏感になっていた私は身構え、その男から目線を外した。
「小森(仮名)?」
その男は、何故か私の旧姓を呼んだ。
ーーどこで知ったんだ、私の名前を⁉︎
混乱に混乱を重ねる。
デジャヴはデジャヴであるが、先程とは違う気がする。懐かしい感覚であった。
少し冷静を取り戻して見ると、それはよく知っている顔と聞き覚えのある声であった。
「加納さん(仮名)⁉︎」
彼は、以前私が勤めていた会社で仲良くしてもらっていた、加納さんというおじいちゃんであった。
私は前職を4年半程勤めて辞めている。加納さんと仲良くなったのは3年目くらいの時で、会社員生活の終盤の方であった。
加納さんと私は、部署も違った。年齢も、自分の父より上で、だいぶ離れている。
そんな我々はある日、会社の飲み会で急接近する。
加納さんが超嫌いな奴と、私が超嫌いな奴がかぶったためである。
私も加納さんも、根に持つタイプの性格で、その超嫌いな奴のことで意気投合。その後、割と頻繁に連絡を取り合うようになる。
私の勤めていた会社は、俗に言う「嫌な感じの奴」が多かった。有能なんだろうけど、プライドが高く、一風変わった者が大半を占めていた。
加納さんは元々、違う会社で働いており、いわばヘッドハンティングのような感じなのだろうか。おそらく50半ばくらいであの会社に入社している。
それもあってか、あの会社色に染まっていない感じがあった。
典型的な「情に厚い田舎のおいちゃん」で、人望があり、私も含め女性ファンが非常に多かったように思う。
会社員生活を振り返ると、結構嫌な思い出が多い。4年半という短い期間ではあったが、組織の理不尽さ、人間の汚さ等、あらゆるものを目の当たりにした。
私は人間が怖くなった。
あの「組織」においては、「情」など持ってはいけない、と察した。
毎日毎日、「自分ではない自分」を作り、機械的に作業をこなす。ため息ばかりつきながら、しまいには「何が楽しくて生きているんだろう」とさえ感じながら就労を続けていた。
身がもたなかった。
そんな中、加納さんと過ごす時間は私の心の拠り所で、唯一「自分」をさらけ出せる瞬間であった。
こんな組織の中といえど、この「自分」のままを受け入れてくれる人もいる。無理に「自分」をしまい込んでいた私を「自分」に戻してくれる存在であった。
加納さんと私は、人の「この行いがダメ」と思うポイントが似ている。多分、性格も近いものがある。
人間って不思議だなぁ、とつくづく思う。性別も年齢も全く違うのにこんなに分かり合える人もいれば、その逆もいる。
私は礼儀正しい人間だと自負しているが(←(´-ω-`))加納さんとは出会った初期段階からタメ口で話すようになっていた。
「え……加納さん!嘘やろ⁉︎」
こんな山の上で、一周2時間もかかるような広大な場所で再会したことに、お互い驚きを隠せなかった。
娘が生まれたことは報告していたが、娘と会わせることが出来ていなかったため、とても嬉しく思った。
加納さんに、夫と荻子を紹介した。いつものように娘を抱っこしていた荻子に、
「世話させられよんのやろ?」
と笑いながら言った。
一瞬、この場所が「桃源郷」のように思われた。
大好きな場所で、大好きな人たちが笑っている。
ーーえ、わし、死ぬんかな?
とさえ思った。
人生の終わりはこのような感覚で迎えたい。
ーーHigotai Park is my 桃源郷。
何故英語?
20分は話しただろうか。
加納さんと記念撮影をして別れた。
ただでさえ、どんな関係なん?な我々に加納さんが加わったことで、さらなる
ーーどんな関係なん、君たち?
な写真が撮れた。
そして、帰りは緩やかな登り坂、なことをすっかり忘れていた私は、1人息をきらした。
人生は、「死んだ魚」みたいな目で過ごすことの方が多いかもしれない。
少なくとも私はそんな感じで過ごした時間の方が長い。
人に疲れることの方が多い。でも、人に救われることもある。
たまに桃源郷が現れることもある。
だから、まだまだやめられない。