〇〇がある生活#02 〜お土産〜
買うだけ買って満足しがちな私にとって旅行とはとても危険なイベントだ。油断するとあれもこれもと手にとっていつの間にかレシートの束で財布が閉まらなくなる。しかも家に帰った途端、行方がわからなくなってそのまま忘れ去られることもざらにある。どうせならちゃんと使うものをと、最近ではフェイスマスクや入浴剤などを買うようにしているのだが、消耗品だけだとやはり味気ない。そこでいつも手にとってしまうのがポストカードだ。
観光名所の写真やイラスト、その地域で有名な動物など、その旅で実際に見たものを選ぶのが鉄則。実を言うと、今回の引越しではそのほとんどを実家に置いてきた。最初は持っていく予定だったのだけれど、綺麗に飾られた状態を崩すのが正直めんどくさかった。私は飾るのが超絶苦手、できれば物は極力置きたくない。
なんて言ってる自分が心底恐ろしい。なぜなら既に新居には新しいポストカードが並べられているし、なぜかマグネットも大量発生している。これはもう病気と言っても過言ではない。昔映画で見たお買い物中毒ってやつだ。
それはさておき、なんやかんやで買ってしまうお土産。私の生活にどんな役割があるのか考えてみた。
話を戻して、引越しの際に持っていくものを精査するとき、なぜポストカードを持っていかなかったか。めんどくさかったのは間違いないが1番の理由に、なんとなくもう不要な気がした、というのがある。そういうとやっぱりお土産いらんやんって結論になるがちょっと待ってほしい。ここでいう「不要」は今の自分にはという意味だ。
実家の部屋を見渡した時、想像以上に「思い出」がたくさんあった。実家で過ごした時期のものもあれば、一人暮らしをしていた時期のものもあって、単純に旅の記憶が蘇るものもあれば、当時置かれていた環境や苦悩、抱いていた理想など、少し胸が苦しくなる記憶が思い出されるものもあった。それらを見ていてなんとなく、もういいかなと思ったのだ。
私にとっての引越しとは、ある意味次のステップへと移る行為だ。だが実家に帰った時の引越しは、「次」ではなく「今の延長線上」だった。実際すぐに戻る予定だったし、だからこそ全てを持って帰った。そこから数年経った二度目の旅立ちである今回は、間違いなく自分の中で「次」という感覚があった。ここ数年は私の人生の中で最も重要な時期で、後から振り返ったときに宝物のようにキラキラした時間になると最初から自分でも分かっていた。
そんな時期を過ごした場所で増えていった物たちを、きっと私は大切に閉じ込めていたかったのだと思う。「そうだ、二拠点生活をしよう!」と思ったあの瞬間、私にとってあの家は「実家」であり「別荘」であり「自分博物館」になったのだ。
そう考えると、今の家に飾られているポストカードやこれからおそらく増えていくお土産は、今この時期に必要な「旅の思い出」であると同時に、大切にしまっておきたい「いつかの思い出」になりうるものなのだ。その時期その時期に作られた思い出が形となったのがお土産であり、それが記憶として残っていく。次に引越しをするとき、全てを持ち出すことになるが、新しい家に持っていくか、はたまた実家にしまうのか、それはこれからの自分にかかっている。
と、長ったらしくそれっぽく語ったが、お土産にどんな役割があるかなんてそんなの改めて言わなくても分かりきったことだし、ツッコミどころ満載の内容であるが、そんな当たり前なことをとりあえず文字にしてみようというのがこのシリーズなので…と最後に潔く言い訳をしておく。もっと上手く表現したかったのだがお土産を語るにはまだまだ力不足みたいだ。
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