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【身の上小噺】自分の名前の由来
”冴える”
下一段活用の動詞。意味は、
濁りやよどみが少しも感ぜられないほど、きわだってあざやかである意。
冷える。
光・音・色などが澄む。
頭や目の働きが鋭くなる。また、腕前などがあざやかである。
この冴えるという漢字、個人的にすごく思い入れがある。特別なんだ。何故なら自分の漢字に使われているから。
自分、『笙冴』言います。本名曝しても、まあいいかなって。特に問題が浮かばないから。それに、以前”名前に関するこだわり”という記事を書いた。
何故ここまで名前にこだわるのか自問自答した結果、そもそも僕が僕自身の名前を気に入っているからなのかなと思った。
笙も冴もどっちもあまり日常で見たことがない。これが気に入っている理由其の一。
笙とは雅楽器のことでお正月によく聞く『春の海』での演奏に用いられている。結構雅な音でっせ。形状は結構独特でオルガンをぶち抜いて角を模したような形。奏法は黒の部分に口を当て息を吹き込み音を出す。まるで上品にお茶を飲むかのような佇まいとなる。雅だ~。
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そして、冴という漢字。この字がとにかく好き。まずシンプルカッコいい。ニスイに牙。偏がサンズイじゃないところが世間をすかしているようでまるで自分のような逆張りなところ。そして旁の牙。バランスがいい。冴えるは知る人ぞ知る言葉で意味もカッコいい。濁りや淀みがない。はたらきが鋭い。いいねえ~。
以上の二つの漢字が組み合わさり笙冴という名前になった。
そして、名前の由来のエピソードが強い。これが気に入っている理由其のニ。
当時、両親は僕が生まれる二年前に子どもを身籠っていた。女の子だった。結果は流産で生まれてくることはなかった。相当ショックだったらしい。この時の母の心情は計り知れない。それでもそのショックを乗り越え、その次に身籠った子どもが僕だった。男の子だった。
無事に生まれたとき、流産の経験もあってこれ以上なく嬉しかったそうだ。僕の産声が病院内を反響しては両親の胸を打ち、それはそれは歓喜やら安堵やら。出産の不安を一瞬で吹き飛ばした威勢の良い産声が、まさに”笙が冴えて”いるように聞こえた。
もちろん、僕の産声がどれほど両親を喜ばせたのか分からない。が、この笙冴という名前がそのときの感動を乗せてつけられたことを認識できるから、とても気に入っている。すごく感謝している。ありがとう。
ただ、こんないい名前付けられたら、次の僕が大変困る。激強なエピソードも付随してあげなきゃ、名前にこだわらねばと一種の強迫観念に駆られている。良い強迫観念だけどね。
僕には弟と妹がいる。両親は自分の子どもには楽器に因んだ名前を付けたかったらしい。二人目である弟にも、勿論楽器に因んだ名前を付けようと思ったが、兄である僕のように”ショ”や”キョ”といった拗音も併せて付けようとした。しかし、拗音と楽器を組み合わせた名前でしっくりくるものがなく、楽器シリーズは諦めて拗音が残ったそうだ。二人目で楽器をなぜ諦めたのか。もう少し粘ってもいいのでは。
そして、三人目である妹の名前には嘗て断念した楽器シリーズを復活させた。つまり、弟は仲間外れとなった。それでは弟がかわいそうだから、妹には拗音を外したそうだ。よって、拗音は男に、楽器は女に、そして僕は拗音と楽器が組み合わさったという名前に落ち着いた。
因みに、妹の名前は二択まで絞られていて当時満5歳の僕に両親が「ABとAC、どっちがいい?」と聞き、僕は即答でABと答えた。実質僕が妹の名付け親、というか名付け兄だ。
ここからはさらに些細なよもやま話。身の上小小話。僕の渾名について。
現在は、”ナマケ”というニックネームだか渾名だかコードネームだかペンネームだかを使用している。この”ナマケ”という名前もすごく気に入っている。
由来は高校1年のとき。当時、同じクラスに同じショウゴという名前の奴がいた。そこであるクラスメイトと話しているとき、僕にこれまでの渾名の有無を聞いてきた。中学生までに名前をモジった呼び方もあったがそこまで気に入ったものはなかった。そこで渾名を作ろうとなった。
好きな食べ物、趣味色々聞かれ答えたが、そいつにはどれもこれもイマイチピンとこなかったようだ。そして、好きな動物は?と聞かれたとき、”ナマケモノ”と答えた。
ナマケモノが動物界でズバ抜けて好きな僕はまっすぐ答えた。どうやら頭が冴えたらしく、
「それいいね。んじゃ、ナマケさんかケモノさんどっちがいい?」
と聞かれた。問答無用。
(えっ、その二択しかないの?しかも片方がケモノさん?もはや一個じゃん。)
となり、渋々”ナマケ”になりました。
ナマケを授かり早8年。大学のサークルでは、誰もが”ナマケ”と呼び、もはや僕の本名が分からない。名簿やLINEを見るも”笙冴”という名前が読めず、”生”が入っているからか「笙冴と書いてナマケって呼ぶんですか?」と本名とすら勘違いさせた。
笙冴とナマケ、見る人によっては重なるものがあるのかもしれない。