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【視聴記録】NHKクローズアップ現代+ 気付かれない大人の障害



 子供の頃から周囲との違和感を感じながら大人になり、コロナ渦による就労支援等で行政に相談するうちにはじめて自分に軽度の発達障害などがあるとわかった人達が多くいる、という。

 発達障害について「NHKクローズアップ現代+」で取り上げられていたので、私見を混ぜながらまとめてみる。


 発達障害とは

 生まれつき、脳の一部の機能に障害があると考えられている発達障害。日本では主に3つに分類され、重複することや知的障害を伴うこともあります。

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 東京慈恵会医科大学附属第三病院の中村 敬院長の記事は、より詳しい説明がされている。

発達障害とは、生まれつき脳の発達に障害があることの総称。幼児のうちから症状が現れてくることがほとんどで、対人関係やコミュニケーションに問題を抱えたり、落ち着きがなかったり、仕事や家事をうまくこなせなかったりと、人によって症状はさまざま。その特性などにより、自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠陥・多動性障害(ADHD)、学習障害(LD)、チック障害、吃音(症)などに分類される。中には、複数のタイプの発達障害がある人も少なくない。ひとえに発達障害といっても、個人差が大きいことから、一人ひとりの症状に合わせた支援や治療がとても重要になる。


 ”努力不足”?”愛情不足”?

  大人になってから障害があるとわかった人達は、言い換えれば子供の時にきちんと支援されなかっということ。2004年に発達障害者支援法が成立される以前は周りの理解も少なく、相談しても”本人の努力不足”や"親の愛情不足"という誤った回答をもらうだけだったことが多い、という。

 その結果、子どもの頃から生き辛さを抱えつつも、障害の認定がされずに見逃されてきた中高年の方が多くいることがわかってきた。

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 この表を見ると、30代以降が少なくなっていますよね。発達障害は、基本的には長期にわたって続く障害なので、年代が上になると少なくなるというわけではないです。こういうふうに少なくなっていくということは、中高年の方の診断が相対的にちゃんとついていないんじゃないかということが疑われますよね。自閉症だけでも、大体、人口の2%ぐらいいると言われているんです。ですから、これは全体としてはかなり少ない数字だと思います。かなり見逃しがあるんではないかなと思います。


 支援法成立後の現実

 では、支援法成立後はきちんと支援が行き届いているのか。以前に比べれば障害についてメディアなどで取り上げられる機会も多くなり、周囲の理解も進んできていると思うが、今も全ての生き辛さを抱える人達が支援されるような状況にはなっていない、という。なぜか。

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 その理由の一つは、精神科医の内山さん曰く「診断がつくかギリギリの境界にいる」から。これは所謂、"発達グレーゾーン"のことだと思った。生き辛さはあるけれど、障害者認定を受けるまではいかない中間の位置にいるということ。

発達障害や知的障害は、正常と障害の間がクリアに分かれているわけではなくて、境界域というのがいろいろあるわけですね。物事が全くできない障害ではなくて、頑張ればできる、でも頑張らないと逆にできない。スムーズにはできないけど、何とか時間をかければできると。状況によっては、できたりできなかったりすることがあるわけです。そうすると、頑張ってればできてるじゃないかと、それは障害じゃないよというふうに言われやすい。それで気づかれるのが遅くなるということはあると思いますね。

 大人になってから認定を受けた人達も、それまではずっと”発達グレー”として、障害を認定されることなく一般社会で辛い思いをしてきた人達だ。障害の認定を受けられた人は、その後は無理に一般社会に合わせる必要はない、そういった意味で救われる部分があるかもしれない。しかしグレーゾーンの人達は、自分を何とかして一般社会に適応しないと生きていけない状況があり、だから生き辛さを抱え続けなくてはいけないのだろう。

 もう一つの理由は、学校教員達が生徒に障害があると親に伝えることにためらいがあること。こう述べるのは、特別支援教育の現場を調査研究している都留文科大学の堤英俊准教授。

「『この子は発達障害が疑われますよ』みたいな話をしたら、保護者との信頼関係がバシッと崩れてしまったりとか、実社会に出ても、一般就労の場と福祉的就労の場が分かれている現状がある中で、その発言自体が、その子のキャリアにどれだけ大きな意味合いを持つかを(教員が)考える。」

先生にも発達障害に関しての理解にばらつきがあるのは仕方ない。だが、親からしたら1番子供の事をよくみていると思っている先生にまず初めに相談するのは当たり前だ。その先生に違うと言われたら、もう何も行動しなくなってしまう人も多くいると思う。せめて疑いがある子を専門の相談機関に繋ぐことくらいはきちんとしてほしい。障害を認定され支援を受けたいと思っている人が多くいても、親自ら進んで努力しないとそういった支援が受けられない厳しい現実を知った。 


 相談窓口は?

 専門の相談機関は、いくつかある。

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 もしかして自分の生きづらさは障害かもしれないと、そう思った方は、相談の機関があります。若い方でも、大人でも、都道府県と政令指定都市には、「発達障害者支援センター」や「精神保健福祉センター」、そして「市町村の保健センター」などの相談窓口があります。


 どう支援する?

 自覚のない人への支援は相談窓口などでのサポート体制が大事、という。

 行政の生活保護の窓口とか、あるいは就労支援の窓口で、発達障害かもしれないと担当者が思うことが大事ですよね。困りごとがある人をちゃんと支援する、そういう体制を作って、その中で発達障害というのも出てくると思うんですね。まずサポートをすることを考えたほうがいいと思いますね。

 静岡県富士市の例。就労支援の窓口にきた人の”できること”に注目し、就労の機会を見つけ、市内にある約130の協力企業に紹介。協力する側は受け入れのため新たな仕事を作り出す、という。

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この介護施設が行っているのは、業務分解という作業です。介護職員の1日の仕事を分析。専門知識が必要なものと、清掃や備品の管理などの仕事を分けて、新たな業務としたのです。


 理解ある経営者のもとで、自分ができないことを周囲に理解してもらい、できることが活かされる職場。ある職場ではこんなメモが共有されている。

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 この取り組みは素晴らしいが、こういったものが全国的に行われていることなのか、番組内では言及されていなかった。そうであって欲しい。


 まとめ

 私が番組をみて強く思ったことは、早い段階で適切に支援を受けることの大切さ。それはやはり学校と行政が連携してサポートするような体制が望ましい。しかしそれ以上に、学校という社会においての意識の変革が1番重要なのではないか、とも思った。障害についての正しい理解と、共に生きるという意識。そのことを内山さんは、”障害者を社会に同質化させるのではなく、多様性を認め合う社会が望ましい”と述べていた。

多分、多くの人はそれを、一生懸命頑張って、なるべく平均化して暮らしてると思うんだけどでも、自分にもそういう特性があったり、得手不得手がありますよね。不得手は放っといて、得手を生かして生きていくほうを考えると。そうすると、お互いに楽に生きていける社会になるんじゃないかなと僕は思っています。

 
 人間にとって初めての本格的な社会生活の場となる学校。今の学校は、なんらかの理由で一斉教育に合わせられない子供たちにはとても居心地の悪いものなのかもしれない。コロナ渦でオンラインも普及し、学校自体の在り方も問われている。もう"普通の子供"を押しつけるような学校は、求められない世の中になっていくだろう。障害の有無を問わず、悪いところはとりあえずほっといて、良いところを認める。不得意もとりあえずほっといて、得意を生かす。このように同質化を求めず多様な個性を認められる学校、ひいては社会になって欲しいと、切に思った。まずは、1人1人の意識から。


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