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見えない縛りと価値観

あざとい、これを聞くとみんなだれを思い浮かべるだろうか。
田中みな実さん?弘中アナ?(昔のあざとくて何が悪いの?の見過ぎですね)(どちらの方もだいすきです)

というか、そもそもあざといとはなんだろう?

ネットミーム的な、もはや文化的な、本来の意味とはズレた認識になっている気がする。

「あざとい」は漢字で「小聡明い」と書きます。「聡明(そうめい)」は「頭がいい」という意味で、「小」は「小利口」「小賢しい」のように罵るニュアンスで用いられる表現です。つまり、「小聡明い(あざと-い)」は、いくらか小馬鹿にしたニュアンスで「頭がいい」と評価する表現です。
しかし、近年では、計算ずくで愛らしくふるまうさまをさしていうことがあり、その場合は必ずしも非難の意を含まないこともあります。たとえば、異性のしぐさなどをいう「あざとかわいい(あざとい+かわいい)」なる造語も登場しています。

Google検索 AIが教えてくれた


小聡明い、むしろ大聡明いだと思うのは自分だけだろうか?

あざとかわいいでいうと相手を喜ばせるための努力を惜しまなかったり、自分磨きを怠らない、かなりの努力家である。
その先にある自分の評価や、評価によって得られる立ち位置や権利も理解した上で行う行動がたくさんあるだろう。
まるで最強のビジネスマンである。

そこを踏まえた上での立ち振る舞いというものは、かなり賢く頭を使わないとできない。
先を読んだり、表情から読み解く力に長けていると思う。

あざとい女の人が同性に嫌われがちなのは、多少なりとも「自分はそうはできないから」という嫉妬心から来ていると思う。

あざといひとのやり方を全面的に肯定するわけではないが(好意を向ける対象でない人への配慮が足りない場合もあるため)そこまで振り切れる勇気はかなり強いメンタルがないとできないだろう。

なんだかこの言い方をすると嫌味に聞こえるけれど、本当に強いと思う。かっこいい。
もちろん〝あざとい〟を売りにしているタレントさんやアイドルの方はバラエティ(=仕事)として、誇張している人が多数だとは思うけれど。

ほとんどの人は「こう思われるかも」という人の目が気になってなかなかできないのだ。
やり切れる、演じ切れる、ブランディングとして完璧だ。

すごいなと圧倒されるのと同時に、あざといひとの仕草や態度を見る時に、エマ・ワトソンの発言で思い出すものがある。

The saddest thing a girl can do is dumb herself down for a guy.
「女の子ができる一番悲しいことは、男のためにとぼけること」

エマ・ワトソン


これは同性相手だとしても同じことが言えると思うのだけれど、相手に好かれるために自分を下げる態度を取ることを指すと思う。

知性や才能を隠したりしてまで、相手を立てて成立する交友とは?という問題提起だと認識している。

本当の才能(あざとかわいい計算も十分な才能だけれど)を隠すのは勿体無いと思う。

恋愛のさしすせそ、なんかもそうだ。
「知らなかった〜!」が本当に知らなかったらいいけれど、知らないふりをしてしまうところに寂しさを感じてしまうのだ。

この恋愛のさしすせそは古から言われているものだけれど、フェミニズム的な考え方とは真逆の存在なのではないだろうか。

もちろん知ってることに知っている、分かっていることに分かっている、こう言い切ってしまうとコミュニケーションがうまくいかないこともあるだろう。

特に初対面だと「アッ、そうすか......」になりかねないし、接客業においては知識を披露したいお客様もいるからそれを受け取ってあげる必要もある。

だけどどうしても、男尊女卑の影をうっすらと感じるのだ。
それは、〝さしすせそ〟を使うとされる対象のイメージが、きっとみんな女性だから。

「さすが〜!知らなかった〜!すごい〜!センスいいね〜!そうなんだ〜!」
これを脳内でリピートしたときに、どうしても女の人の声で再生されてしまう。

これを認識するたびに、自分の潜在意識に気持ち悪さを感じる。

一時期流行った飲み会で披露するあざとさを曲にしてるもののイメージがこびりついてるんだろうか。(あのる鹿ちゃんめちゃくちゃかわいいよね...)

みんなはどんな声で再生されているんだろう?

田舎のおばあちゃんの家に行って、親戚のおじさんたちはずっと座っていて、おばちゃんたちはずっと寒いキッチンに立っているのを見たり、付き合っている人がいることを知ると「いつ結婚するんだ?」と聞かれたり、同棲している彼がいつもご飯を作ってくれることを話した時に「男がやるなんてあり得ない」と言われた時のような、あの違和感。

その違和感はあるのに、さしすせその声は女性で再生されることにうんざりする。
別にシゴデキお兄さんの声で再生されてもおかしくないのに。(仕事でめちゃくちゃ使えるはずだし!)


だけどそんなことを言っている自分も〝女だから〟で得してきたことがたくさんあるし、あざとさを武器にしたこともある。

高校生から20代前半のときはあざといを全力の武器に使っていたと思う。
好きな人に好かれたい一心で、自分じゃない自分になっていた。

だけど最初に書いたあざとさ=賢さのようなものはなくて、自分を下げるほうのあざとさだ。
エマが言ってる方のダメな例だ。

見た目だってそうだ。
モテる!!!!!とされる白のふわふわニットのオフショル、ミニスカートにブーツ、長めのボブカットをふわふわに巻いて、長いマツエクに大きなカラコン、長い爪にピンクやキラキラのネイルをして、ぷるぷるのピンクのグロス、イブサンローランのあまったるい香水をつけていた。

自分の好きよりも相手にどう思われるかで選んでいた気がする。

その頃はフェミニズムなんて考え方について意識したこともなかったし、本気で「あざとくて何が悪いの?」と思っていた。

だけど振り返ってみたら各所から舐められていた気がする。
頻繁にキャッチに声をかけられたり、不審者に追いかけ回されたり、好きな人の好きな人になれなかったり、雑な扱いを受けることもあった。

それが「なんかもうやだな〜」「消費されている」「搾取される側の人間だ」とふと思って思い切ってショートカットにした。

ほんとうはもうひとつショートカットにした理由があるけれど、大事な思い出なのでここには書かない。


ショートカットにした途端、変な人に声をかけられる回数がびっくりするくらい減った。

髪型が変わると、着る服もパンツスタイルが多くなったし、欲しいと思うアイテムも変わったし、メイクもどんどん薄くなった。

その頃には「あざとくしよう」「着飾ろう」「かわいいと思われたい」という気持ちが全くなくなっていた。

むしろ逆に楽で、動きやすくて、自然で、気持ちのいい服装やメイクが好きになった。
これが自分だな、と思えて変な緊張感も無くなった。 

きっと年齢的な部分もあったんだと思うし、着飾る必要のない人に出会ったことも大きかったのだと思う。

素直な自分を受け入れられるようになってからメイクも日焼け止めとリップとマツパにマスカラ、時々カラコンとアイライナーのみ。
5分でメイクが終わらせるのが特技になった。


今の自分の方が好きだなと思う。
スキンケアが彼より早いのはどうにかした方がいいかなと思うけれど。2歳年上なので。

イソップの〝老いを隠さない、受け入れる〟(要約)という理念が好きだ。
イソップにアンチエイジングラインがないのはそのためだ。

だけどやっぱり「老けたな」と思う瞬間は悲しいものなので、受け入れるためにも最低限のケアはしなくてはいけないと思う。(めんどくさくても乳液は塗るべき)


こないだ「口にチョコついてるよ」と何度も擦られたものがシミだった。泣いた。
しかも2個あった。

「肌がきれいだね」と言ってもらえるところが自分のいちばんのチャームポイントだったのに。

保湿しないと。流石に。
「保湿しないようじゃだめか、保湿はね、しとかないと。」
脳内で菊池風磨が言ってます。





気づいたらいつもの如く話がころころいろんなところにいってしまった。
これだからみんなに「何の話をしているかわからない」と言われるんだ。


「フェミニスト(笑)」みたいな風潮もまだまだ感じる。
別に女性の権利や立場の強化を強く求めているわけではなくて、女性の選択肢が広がっていけばいいと思う。(権利も立場も大切だけど!)

体力面などを筆頭に、全てを平等というのは難しいと思う。性別の壁というのはどうしてもあるから。

男女の壁や考え方の壁をつくらず、〝ひとりひとり〟〝対相手〟として話し合えて、尊重し、理解し合える社会ができたらいいなあと最近すごく思う。

まあそんなにフェミニズムについて理解が深いわけではないのだけれど、提唱されている方の意見で「そうだな〜」と思えることがあるから今回は触れてみた。

あとはナミビアの砂漠を観たことで、そういうちっさい違和感が感じられたことも、今回〝あざとさとはなんだろう?〟〝フェミニズムとはなんだろう?〟と考え直すきっかけになったんだと思う。

性別とか価値とか立場とか権利とか、どれも武器にするものではないけれど、自分の才能として活かすことができたらとってもいい。
振りかざすのではなくて、いい意味で賢く、大切に扱える人間でありたい。


気づいたら見えない縛りにがんじがらめになって、息ができなくなってしまう。
自由に自然に、どれだけ言い聞かせても気づいたらグルグル巻き。
思考も、そこから派生する価値観も、見た目も。


深呼吸して、自然体でいられたらと思う。
思考の柔軟性が欲しいと特に最近強く思う。
早く海になりたい。


みんながやさしい気持ちになれて、偽らず素直に生きられる社会ができたらいいなと思う。 

落ち着いていてやさしい。
あったかくてやわらかい。
そういう場所にいつもいたいし、そういう人になりたいと思う。


おしまい。

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