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そう言えば最近

夢を見ますにゃー(あくび

うん。

実はここ十数年近く、言ってしまえばうつ病と診断させて仕事辞めて、そこから転げ落ちてしてる時期は、

ほぼ、夢を見てませんでした。

それこそ、夢を見なさ過ぎてて、自分ですら

最近夢を見ないなぁ、から。

なんでこんなに夢を見なくなったのか?、に変わり。

それすら気にならなくなるほど当たり前。

というね。そういう時期を過ごしてたわけです。

逆に言えば、それ程に深すぎる眠りか、浅すぎる眠り故に散発するか、という感じで、通院を続ける中でも眠りについては聞かれる物のはっきりせず。

うーん?と、少し前までは、少なからず考えてたわけですが、ふと先ほど、

所謂自分が言う、抗えない眠り

から、目覚めて気づいたんですよ。これ...感受性っていうか、その影響なのでは?と。

という感じで、冒頭が少し長くなりましたが、今回はそんなお話。

へい、いつも通りに、これも置いときますね。


なぜ夢をみないんだ?

ここ数年はもう、見ない方が当たり前と言う程だったので、自然と気にならないレベルになってた事。

年に片手で足りる程に夢を見ない状態が続いてました

それが最近というか、今年に入ってと言うか、明らかに以前より夢見てるなぁ、と実感できるくらいに夢を見る様になったからか、先ほど気づいたと言うか。

そういえば、夢みないけど、もう気にしても仕方ないわ...って諦めてたんだっけ、って思い出したんですよね。

そもそも、30年近く嫌でも夢を見てたし、時には半覚醒みたいになって金縛りなんかもあったりで、当たり前だった日常的な事。

それが出来なくなる、というのは、自分にとっては何かしらの異常とも言えなくもない。

でも、見ない事が続き過ぎて、そちらの方が当たり前になってたので、気にしなくなってた。

これは、とんでもない事かも知れない......。

そうは言っても、これまた原因不明でもあったので、どうしようもなかったんですよね。


原因は眠りなのか?

そういう期間が続いてたのに、突然の様に夢を見る機会が増えてる。

ここ1カ月で記憶に残ってるだけでも片手で、数えるには超えてる。

そんな感じでの思いっきり自分か気づける変化として、夢を見るという状態を実感できるようになってます。

それでも、総じて何かに追われる様な、追いつかれ迫られる様な夢なせいで、夢見が悪いという形で目覚める事になってますけどね。

とはいえ、気づいたからには原因を探るのですが、こういう何かを探る場合、脳の方がまず切っ掛けとして、何かしら与えてくれるという事があります。

こういうのをね、そう感じるっていう、感受性としての処理として受け取るわけですが、それ故に感受性としての突っ込んだ部分の話しに含めようかな、と至ったわけです。

うん。実はたかが夢をみるにしても、前置き長くなるんですよう。


とは思ったものの...

これはもう、一旦新しくマガジン化させて、別口で書こうかなぁ、と思います。

というのも、眠りと夢だけでも、そこからの自身の感じ取り、派生する深掘りって、

おおよその人が有り得ない、おかしい、と、毎度のことながら違うって感じるのに、なんでそんなに自分の尺度に置き換えるの?

っていう、事態の発生が目に見えてしまう=イメージとして想像に容易いと言う程に経験してきてる、という部分が邪魔をするんですよ。

自分自身の持つものの部分から、おおよそ、人としてあり得ない様な感じ取り、気づき、察しをする人に気付いてあげて欲しい。

そういうつもりは無くとも、感じすぎるが故に、突っ込みすぎもするし、そうあるからこその、否定、難癖というようなネガティブを受けやすくもある。

そもそも、その感受性がおかし過ぎる=異質過ぎるので、下手すると周囲が集団化して、多数派だからこそ、お前はおかしいというような行動すらとる事も経験としてありますし、そういう部分にきづくだけでなく、世の中にも目を向けると、

とにかく少数派は否定して、抑えつけて、踏みつけてする割に、それがある時突然に入れ替わるようだと、謝りすらしないどころか、仕方なかったから忘れてくれ、流してくれという、要求すらしてくるほどに、人間如何ともしがたい生き物だ......

というのを、人間社会が観測させてくれますし、それ故に単純な影響を受けやすい人達も、世の中がそうあるんだから、流せよと言わんばかり

個人としてのメンタルの病みの部分っていう、こういう、

無責任さ

というのが関わってくるので、自身の感情の逆立ちの事も考えると、避ける為に、突っ込むだけでなく、詳しく書かないといけない。

そうなると長くなってしまう。

そうなると、読んでもらえない、伝わらない...。

自分自身は良いんですよ。

負担やストレスはありますし、ここ最近でも胃が荒れやすいし、胃酸過多になってる、痛みまで行かないけど炎症起こしてるのが分かるほど。それ以前にそのレベルで病院に行って、胃カメラ飲んで炎症起こしてるのは確認してたりするので、体の感覚からそうなってるレベルというのもわかるくらいに、感じとるんですね。

まぁ、何はともあれ自分自身は良いんです。

もう、自分で向き合うというのは、何度となく失敗して、何度となく改めて気付いてを繰り返してるので、何がどうあれ通常の生活なんですね。

でも、そうあらない人。

これから、環境感受性、感覚処理感受性=HSPはそれが高い人、という話から気づける、初めて気づくという人が出てくるでしょうし、そうなると恐らく、

相談相手になる人居ないわ...

多様性だなんだ言う割に、違いに目を向けず、政治にしても何にしても、主流で無ければ感情論で否定する世の中に押しつぶされるんですよ。

そんなの、ごめんまっぴらだよ!

同じように突っ込んだ部分に気付ける人がいたとして、同じようになれるはずがない。

個人として40年近く向き合って来た、それでも自分自身がブラックボックス。

そういう物なのでね。

何がどうあれ、他者って違うものだから、言葉として伝えた物にたいし、主観による個人的な価値観や、そこから来る正しいだ間違いだで、ネガティブぶつけないで欲しいんですよ。

すっげー苦労しましたもん。主観ありきの人の在り様って。

まぁ、今でも苦労しますけどね。

眠りと夢の話をするだけでも、そういう部分も書く事になります。

そういう、結構踏み込んだ話にもなりえるので、これはもう、分けた方がよかろうがよー、ってなってしまったので、そうします。

そして、これは、その為の前置きの前の、更なる前置きになるのでした。

ちゃんちゃん。


あとがき

普段からして、アレコレ書いてますが、実はまだまだ深い部分、そうあったからこそ気づけたどころか、既にそこからあれこれ思考錯誤しただけでなく、人生を送る中で現実として観測した事って凄くあります。

あり過ぎて、書いてたら、ものすごおおおおおおおく長い記事になりかねない程に。

なので、眠りと夢、それで気付いた事は分けて書こうかな?と思い至ったわけです。

というのも、見なくなったのってメンタル病んで引きこもってからなので、そういう部分からも気づける事とかあるもので。

書ききれなくなっちゃう!

ではないですが、わけて書いて、そこで踏み込んだ方が、話が散発にならなくていいかなぁ、とも思ったわけです。

という事で、ね。

今回は思考の漏れというか、そんな感じで終わらせたいと思います。

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