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子供がHSCかも?

自分で確固たる確証が持てないレベルなら、子供を言葉にハメない方が良いと思うなぁ byコアラ

すごく難しい部分が多々あると思いますよ。

子供がそうあるからとは言え、徐々に世界が広がっていくわけで、保育園、幼稚園、学校という感じで、知ってもらったうえで協力してもらわないといけない場所ってあるんですね。

なので、下手にHSP、HSCかも?という見方をするより、子供と親であってもお互い1人の人間である、という付き合い方も必要だと思います。

あくまで自身の経験からの話ですけど。

まぁ、この辺ちょっと危ないな?と感じる事があったので触れてみようかな、と思います。

大きなお世話だとしても、それはいったん置いて、ね。

あーでも、進むほどにちょっと厳しい事言ってるなぁ?とは思いつつ。


そもそもとして

なぜ、自分の子供がHSCかも?HSPかも?と疑ったのでしょうか。

ここがすごくポイントです。

というのも、心理学上の概念としての言葉なのですが、その詳細の部分に対して触れられないまま広まりつつあるから。

以上!ってここで切ってもいい位に、今溢れてる情報で計って、ハメこんだら良くないと思います。

先日触れましたが、特徴といってもあくまで研究を重ねるだけで、触れてきた人達にそういう共通点が多かった、と言う様な物ではないかな、と。

なので、こう言う特徴があるからHSPではなくHSPを研究するに当たり調べてみたらこうあったというだけでしかなく、診断基準が無いというのも、特徴で被る部分があるからHSPかどうか?は分からないですよ、という遠まわしの表現かも知れません。

というのも、どのような研究がされて、どのような質問をしたり、出来る範囲の物として脳波を観察したりという、研究の実態が明かされてないんですよね。

なので、実際は一般人には計りようがないし、多分自分はこういうタイプなんだろうなっていう、感じ取りは出来るけど過剰に自分をハメないようにする。

感受性高くて感じ取れる人って、寧ろ逆に自分はHSPですなんて言わないと思います。

なーのですが、繊細さんって言葉で広まっちゃって、あれまぁ、これはひどいよ、というのも現状なんですよ。

という現状のお話はここで一旦区切りましょう。

世界が広がっていけば目につかない所で学んで経験して育っていくのも子供です。

なので、ぱっと見と付け焼刃の知識で、子供とはいえ一人の人間を勝手に計ってしまうだけでなく、そこに思考が集中してしまえば、間違いなく見誤ると思います。

なのでまぁ、変に意識するよりは、よく観察しておくほかにないと思いますよ。

急いては事を仕損じる

なんていいますし、もし感受性が高いとかHSPとかそういうタイプだったら寧ろ先に親のそういう部分を感じ取って、心配させない様にみたいに動きかねないんですよね。

なので、そういうタイプかも?っていきなり行動を変えようとしても、感じ取られて子供の方が更に対応してくる、なんて可能性もありますよ。


どうすればいいのか?

ひとつ上げるとすれば、にわかに信じがたい様な話でも、必ず言葉を、言った事を受け止めて上げる事。

その上で、それはどうしてなのか?を逆に聞いてみたりするという、コミュニケーションを十分にとる事。

これくらいしかありません。あくまで、個人の経験から言える事、ですけどね。

こういう部分についてですが、幼少期から語彙力が無いなりに自分の疑問を口にしてました。そして、それでおかしさを感じる機会があると、自分は変わってるのかな?みたいに薄っすら気づけてました。

例えば、進化論の図を指して、なぜ猿からしか進化が発生してないのか?それは何故なのか?そういう事になってる理由は?なぜ、そういう結果をだしたダーウィンという人はそれを結果としたのかetc

5歳時点でそういう事をやって、親が困ってたのも記憶に残ってます。最終的に、大人になるうちに勉強して知る事になるから、って誤魔化されましたけど(笑)

この話はそれなりにコミュニケーションを取れた例なのですが、これ以外にも子供なのにそんなの気にするの?みたいな事を、ホイホイ問いかけるようになり、それにイライラしてキレられるという事も多かったです。

子供特有の、なんで?の強化版っていうんですかね。子供だから、と誤魔化そうとすると追加で問い返されるだけにもなりかねず。親や大人がなめてかかったが故に、墓穴を掘るとかも多くなるんですよね。

なので、その子をちゃんと見て聞いてしてあげるしかないと思います。いくら感受性が高いとか、HSPやHSCという言葉で括っても、あくまで例は例以外の何物でもなく。同じ質問するかもしれなければ、それ以上の質問もするかもしれません。

個人の経験として、それが悪い方に流れ出したのが、幼稚園に上がってから、です。良くも悪くも、目につかない外で学んでくる事になりますからね。

特に思いやりとか、優しさとかそういう事を教えられると、途端に自分の扱いにそれが欠けてるとかも感じたり、気づいたりなるし、それを口にするようにもなります。

そこで受け止めがされなくなったんですよね。性別の部分も既に口にした後だったし、それだけでなくそういう事を意識してない状態での素の行動や自身の見た目、そういう部分が女の子と間違えられやすく。

幼稚園に上がってから、何は無くとも「男の子」という理由や、理想に希望から、私の意見お構いなしに大人たちが要求してくるばかりになりました。加えて、その大人たちが満足できなければ、イライラするわ表情に憎しみみたいなのが混ざるわ、キレるわ、他にも同じ子がいるのに私だけ呼び出して、男の子をしなさいと言ってくるわで。

こういうのって、自分の希望言っても、口答えしない!するな!だけでしたしね。

そういう部分で、周囲に比べれば目立ちすぎた&余計に押し付けられすぎてストレスためてたせいなのか、小学校に上がってからは今で言う過敏性腸症候群で、朝起きて~通学までの間にお腹が痛いって頻繁に言う様にもなりました。

ですが病院に行っても原因は不明。幼いのでストレスなんて言葉は出てこず。結果として、対応は薬を飲んだから我慢しろ、学校に行け、です。

痛い、苦しいを受け止めてもらえませんでした。っていうか、登校中にトイレを借りてってのも日常だったんですが、顔が真っ青な事に驚かれるばかりでもありました。かといってねー、それを連絡されると大人たちが余計に気が立ってイライラするだけなので、断ってたんですよね。

そして、学校に行ってからはトイレに行って用を足すだけで、事実無根のイジメが発生したりもして。

痛いわ、お腹が下るわ、1回で終わらないから複数回トイレに行くわ、その事でウンコマンとか汚いとか言われるし、ひどいとアイツもらした~とか走って嘘を触れ回って、無関係の同級生からも汚い奴あつかいとかね。

それについて、教師も対応が殆どありませんでした。他の子で発生したトラブルは学級会として話し合いの時間を設けたのに、日常的にそういうお腹の不調でトイレに行く事によるイジメは取り上げられてもらった事はありません。

恨み言とかそういう話ではなく、現実問題として小学校1、2年の頃はそういう扱いになっちゃってたんですよ。

それを家に帰って親に話しても理由を聞かれる事もなく、またそうやってイジメられたからってクヨクヨして、みたいなね。

こんな感じで、親からすら対応してもらえないと、私みたいに育っちゃいますよ。ご注意くだされ(笑)

この辺に付随する話も少ししておきます。

メンタル病んでズルズルだけでなく、環境感受性という内容で示されてる様にネガティブ増しましで対応されたので、相当にネガティブには敏感にそだってしまいました。

なので、不満ばかり言うだけのテレビなんて害悪以外の何物でもないんですよね。不満をいう元の感情に共感してしまうというか、嫌でもそうなるので見ないようにするという対策しかありません。

そして、通院や薬局ではガマンガマン。ぐぬぬです。

まぁ、環境感受性という言葉も、合わせて触れて知っておくといいかも知れません。


子供と言っても一人の人間

子供の頃からだけでなく、それなりに成長し、いい年になった今でも、

親の心子知らず、はあるのに何で逆はないんじゃろ?とか真面目に思考したりもします。

それは置いといて。

何だかんだ言って、親、子供、そういう関係性はあっても、お互い1人の人間なんですね

親の理想や希望があるのもわかります。でも、受け止められるタイプはそう育ったり、成長した先でそれを叶えてくれたりとすると思います。受け止められないタイプだと、自分の価値観だけでなく、信念みたいなものにも基づいて行動するでしょう。

なので、親の希望、理想に沿った沿わなかったなんてのは、親のエゴだと思います。

成長したら性格は変えづらい。

そんなのも分かっては居るのだけど、もっとこうした方が良いんじゃない?みたいなのを、子供ながらにも遠まわしに指摘したりします。

それに対して、カッとなるのがね。

年功序列主義が社会に出ると未だ根強く残ってる日本ですが。

こういうね、親と子という関係性でも、自分は親だから、お前は子供だから、子供のくせに、親の心を知らないくせにと、逆も然りなのに自分だけが正しいみたいにあれば変えられないと思います。

親と子、とはいえ一人の人間同士。こういう親と子の関係性だけではないですが、

親しき中にも礼儀あり

こういう言葉も生まれてるのに、活かせてない、活かそうとしない。

それじゃ、いつまで経ってもどこかで年功序列が付いて回るのも人の世というか日本はそう言うのが強めなので、変わりませんよって話でね。

子供がHSPだ、HSCだなんて事以前に、一人の人間でもあるでしょ?っていう見方が出来ないと、本当にそういうタイプだったら扱いきれなくなる、手に余るというのが、個人の経験から言える事という感じです。

うん、まぁ、ね。

来年の事を言えば鬼が笑う、ではないですが、見えない先の事を心配するのであれば、今の内から凄くしっかり構えなきゃいけなくなりますし、親としてのストレスというのも負荷が上がるだけと思います。

なので、変に構えないで、自分に出来る人の接し方をするしかないのでは?とも思いますよ。


まとめ&後記

なんか、すごく余計なお世話を焼いてしまってますねぇ。

っていうか、40代で未だ未婚。性別の悩みとかあったけどさぁ。

そんな人に言われたくない!

というのも分かりますけどね。

ただ、家庭を持つ、子供を育てるという事を真面目に考えてみた時、色々難しさを感じ取ってしまったんですよ。

そもそもとして、現状精神科通院してますが、ツケが回って来たとか、化けの皮が剥がれるとか、そんな感じなのも現状です。

良くも悪くも、「よく道を踏み外さないで育ったよね」とか呆れられるくらいなのも確かなんですよ。

なので、子供の頃って相当に苦しかったです。

まぁ、早いうちに芽がですぎたというか、昭和の時代だからと言われそうだけど、根本としては楽をしようとするという人間が持ついい加減さが根本だと思います。

あと、やっぱり日本には飛び級制度みたいなのがないので、子供だからって大人が舐めてかかり過ぎではないかな?と思います。

年功序列が未だ根強いので難しい面もあるんでしょうけどね。

とっとっと。

これ以上は脱線し過ぎてしまうので、お口チャーック。

何度も言うようですが、本当に子供がそういうタイプであれば、気づいた年齢によりますが相当に手強いと思ってた方が良いかも知れません。

うん。

何にしても、正解とか絶対はないので、接してあげる事、聞き上手になって聞いてあげる事って大事だと思います。

それでは。

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