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経験から語ってみる2(感受性:HSCの話

正直な所。

何はともあれ、HSPは割とどうでもいいと言うか、ネットで調べて気づける年齢なら、何がどうあれ人生経験でそれなりに対応できるでしょう。

ただ、問題なのは幼い子供です。

個人としても、現状のブームのおもちゃみたいな扱いだと、

間違いなく本来のそうある子が泣きをみるだけ

これは、実際問題として、幼少期にはほぼ自分だけで立ち向かって来たと言うか、そういう感じなので、本当に懸念します。

大人が自分の都合の良いおもちゃにしてたら、泣きを見るのは何も知らずにそうある子供ですよ。

この辺については、結構な怒りも覚えます。なので口うるさい、とも。

という事で、どういう事なのかを経験から話してみようと思います。


にわかに信じられない、けど。

前回というか、ひとつ前に書いた幼少期の話は実際の経験談です。

とはいえ、そうあらない人が多いでしょうし、そんな幼い子供が...と作り話とか言われそうでもありますが、申し訳ないですが実際の経験です。

だから、HSC、子供のHSPと言われるタイプの状況と、周囲の対応などには、懸念も持つし、示しもします。

そりゃ当然。身をもって経験してますから。

もう、幼い頃から、見てるポイントや見定めてるラインが兎に角違いましたし、それなりに受け止めてくれる大人であっても、そんな所見てるの?そんなこと考えてるの?で、中々受け入れられないという様子も多々見てきました。

それに対し、自分でちゃんと説明はするんですよね。

幼いながらの言葉であっても、にわかに信じがたいけど、うーん?と頭を捻るくらいには伝わってると思います。

という感じでね、

想像を超え過ぎてしまってるので、どうしても信じられない

という言動やら、態度やら、表情に仕草やらで、あっという間に気づくんですよ。

そして、どうなるかというと...

言わなくなります。

顔を合わせたり、言葉を交わしたり、触れ合ったりしてるだけでも日々学んでますから、それに合わせてバレないように、隠すようになってしまうんですよ。

そうして言わなくなると、大人がどうなるかというと、やっぱり思った通りの子だという、とんでもない誤解をしつつ、必要以上にこちらに干渉してくる回数が減るんです。

言葉でちゃんと伝えてるのに、受け止めてもらえない事すら察して気づくので、面倒くさくなるんですよ。

言葉で説明した通りの行動を実際に目にしてるからこそ”にわかに”信じがたいになってるのに、言わなくなると途端に自分の認識が正しかったと、バイアスをかけてみるようになる。

こういう事すらするので、幼かろうが欺く、騙すという行動で、大人側を安心させようとすらします。

割と真面目な話なんですよ。


ただ、難しい所もある

というのも、やっぱり表現につたない所があるんですよ。幼子なので。

こうやって記事にしてますが、これはあくまで記憶を元に、現在の自分が書いてるからこそ、当時の言い分以上にかみ砕けて、伝わりやすい内容になってると思います。

信じるか信じないかは、一旦置いて、ね。

なので、説明はするのですが、やっぱりこう拙いんですよ。

そもそも、言い回しや言葉の扱いという細かい部分に子供っぽさが強く出てしまうものです。幼いのでね。

それ故に突っ込んだ話をしつつも、話し方が拙い=周囲と大差がないので、そんなに抜きんでてるのも疑わしい。にわかに信じがたい、というような心理が働いてしまうのも、止む無しかなぁ...と書いてて思います。

それに、うちの母は1歳時点で行動がおかしかったので、気づいてはいたんですよね。

でも、子育てって相当に負荷やストレスも掛かりますし、共働きの様であればそこに疲れが加わって、相手をするのもおっくうになると思います。

また、そういう状態って思考力が低下するので、こういう記事を読んで、なるほど、注意しようと平時では思えても、そういう疲れやストレスという、二重三重の負荷がかかると、上手く相手が出来なくなるのも、大人側としてはまず当然とも言える話なんですよね。

だから、すっごく難しい。

それだけでなく、何かが無い限りは普通の子供にしかみえない、というのがミソです。

また、大人しくて手がかからないというのは、その子がどうあるか?よりも、負担が減る事での安心感になったりして、気が緩むと思うんですよね。

まぁ、子育てした事ないのであくまで想像...

というわけでもなく、そういう安心感が見せる隙を突くように幼い頃は行動をしてましたので、割と突いてるんじゃないかなぁ、って思います。

それが、良い悪い、間違ってるという話ではなく、人間としての心理がどう動いてるか?というお話です。

それを示すかのようにある程度成長すると、私や弟の前で、そういう子供の明暗として、手のかからないお兄ちゃんと、我儘ばかりで食い意地の張った弟という話を、母に何度となくされたというのも経験としてもってるので。

まぁ、弟としては痛かったと思いますが(苦笑)


前回の話しも踏まえて

ほんとね。おかしな話だとも思うんですよ。

今は精神病んで通院をしてる身でもあるので、幼いお子さんも見かけますが、流石に出来過ぎだしおかしかろう?自分の事だけど...と考えたりもします。

母から聞いた1歳時点での話も、最初は自分自身がにわかに信じられなかったんですよね。

ただ、その母が亡くなり際に話してくれたという件は、自身としてもある種の後悔にもなりました。まぁ、深く気にしてるわけでもないですけどね。

まぁその、何が悲しくて亡くなり際に親に謝罪させるだけでなく、守られてたのは親である母側だったっていう事を、言わせてしまったのか...と。

自分自身が恨めしく思えてた時期みたいなのもあります。

そういう部分が、現状は通院してますが病みが長引いたと言うか、長い事親すら避ける程に引きこもってしまったという状態にも繋がってます。

なので、再度ここで言いますが、

感受性の高さからくる自分自身と幼い頃に受けた扱いは根深く、しかも相当に長く残った事で、精神を病むだけでなく長期化させてしまった事の原因の一つなんですね。あくまで、一つ。

なので、余計なお世話だと思いますが、やはり同じ経験して欲しくないですし、子供にとっては親がある意味頼みの綱なので、HSCと言われる子共が持ちうる可能性とその対応には配慮をして欲しい、と強く思います。

ホントこう、子供らしからぬ部分ってやっぱりありましたし。

面倒見が良いのも、いい子にしてるのも、理由はどうあれ親が見えてる物とは違った見え方をしてるだけでなく、気付く、察するという部分も働くので、環境感受性という言葉で説明されてるように、環境からの影響を受けての心理状態を伴った行動になろうかと思います。

また、親が頼みの綱というのも分かりきってるだけでなく、私個人は親が働いてくれたり、買い物に行って食事を作ってくれたりと、頑張ってくれてるからこそ自分たちは生きてけるみたいな事も同時に気付いてたり、考えてたりしてたので、親が思ってる以上の微妙な距離感覚で接してる時もありました。

とはいえね。

普通の子供らしさを見せる時、実際に普通の子供と変わらない部分もあったなぁという記憶もありますし、今でも実感できるくらいです。

そういう部分を総合すると、

子供の頃の私めんどくせぇ...(笑)とも思えたりするくらいに、

おかしな子だったんですよね。良くも悪くも。


色々総合すると

経験者であるので、HSCという子供の時点での感受性が高すぎる子供については懸念や心配って、余計なお世話と言われようが、やっぱりしてしまいます。

それと同時に、対応したり、扱いは難しい...という思いもあります。

自分の敵は自分。

それを、こういう部分で実感してしまう程に、よしんばタイムマシンが出来たとしても相手にしたくないし、相手をしようんも難しさを覚えるくらいです。

ただ、一つ言える事は、覚えた言葉や概念は色々扱おうとします。

それが結果として、親や大人たちの突かれたくない図星を突いてしまい、怒られるという事も多々ありました。

なので、痛い所を突かれたと思ったら、ちょっと踏み込んで、何故そういう行動に出たのか?を聞いてみてあげてください。

あくまで自分だったらの話ですが、それを教えてもらったし、教えてもらったからこそ疑問を感じたというニュアンスの事を伝えてくれると思います。

個人の経験として、騙す、隠すような行動に出たのは、嘘をつくのは良くないという事を教えてくれたのに、嘘をつくとは言わないまでも誤魔化そうとする親や大人の行動って違和感を絶対に感じる物なんですよね。

この辺は大人になった今でも、違和感を感じるというのは様々な状況、環境で働きますし、出す出さない、必要以上に問わないと取捨選択できますが、子供の頃はやっぱり無理です。

教えてもらおうものなら、突き返すかのように、おかしい行動を取ってるのは何故?と自然と突いてしまうんですよ。

ただ、それでうまく説明されず怒られるだけになってしまうと、大事な事を隠して一人で抱え続けようとします。

うん。

まぁ、その難しい部分はあるとは思います。

それでも、簡単な部分として、妙に察しが良い、妙に気を遣うのが上手い、妙に面倒見が良い。

妙とは思わずとも、外でもそういう行動をして、そうする事でそれを見た周囲の人達が突然評価してくれるという事があれば、そういうタイプの可能性はあると思います。

なので、見分けはそれなりにつく、とは...思います。うん。


あとがき

あとがきという名のボヤき。

まぁ、ね。生きづらいっても生きてかなければならないし、それが取り除かれると、それに味を覚えて欲を加速させかねないのが人間です。

ネットで調べて辿り着く位の能力があるなら、生きやすいとか生きやすさではなく、持ち前の高い感受性でうまく乗りこなせよ。

と、思いますよ。

何がどうあれ、それが人間社会ですし、他者を変えようだなんて労力もかかれば、他者への干渉に過ぎずおこがましい行為です。

またよくある、HSP向けの情報なんて鵜呑みにするどころか、違和感感じてしまって、これは流石に知識不足が否めない...という情報の方が圧倒的に多いですし、高い感受性があればそのおかしさすら、サラッと察して、感じとってして、自分で別の方向に動くとは思うのですが。

どうして、こうなった...。

正直楽になんて、そうそうならないですよ。

周囲に人が居て、その人が形成する社会で活きる以上。

変な話、相当に理解があって、与える影響の部分から隔離してくれるくらいないと生きづらいどころではなく、生き地獄みたいなもんなんですよ。

六道という考え方に、人間道というのがあるのですが、意外と言い得てるなぁって納得しなくもない位。

と、ボヤいてもなんですし。

正直ね。

幼少期の経験って色々影響を及ぼしますし、やっぱり子供、HSCの方についての方が問題多いと思いますよ。

敏感とか、その言葉で示しきれないくらいに想像を超えた感じ取り方しますし。

ちゃんと言葉にして伝えてるのに、受け止めてもらえないというだけでも、幼少の頃は相当に辛かったですもん。

小学校に上がってからはもう、苦難の連続っていうか。上がって早々に過敏性腸症候群の下痢型になってしまい、それから精神病んで仕事をやめるまでは、顔面蒼白になりもするくらいの腹痛と、長時間に及ぶ下痢を抱えて過ごす事にもなったというか。

これもね。

下手すると週に3日、4日そう言う状態になるのに、ただただお腹が緩いタイプだという感じで、上手く対応してもらえなかったし、病院に行っても過敏性腸症候群なんてなかったのか、一過性とか、ストレスのという感じで、たかが腹痛(はらいた)くらいで、って言われて傷ついてました。

しかも、この状態はイジメの原因にもなりましたしね。

そういう感じで、察しが良すぎて気づき過ぎるというのは、時に仇になるんですよ。

そうあって苦しさを訴えてもね。親すら冷たかったんですよ。

そういう経験があるからこそ、問題はHSCという子供の方で、親や周囲の大人たちのケアは絶対に必要だと思います。

と、言いたくなるという感じで、第二回目はこの辺で。

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