書くリハビリ
真夜中ですがこんばんは。
Youtubeでオカルト系の動画を見つつ過ごしてました、ハイ。
ということで、オカルトチックな話題をー・・・・。
というわけではありません。
なんかこう、ふと「わかってもらえない」という、気持ちというか。そういうのを今日、何故か考えてました。
こういうのは、相談に乗ってた頃も、ね。
そういう話をよく聞いてたし、相談とまでは行かなくとも、よく話をされる、愚痴をこぼされる経験もあり。
何故分かってもらえないのか?
という観点から、色々考えてたのでその辺を、ね。
書いてみようかと思います。
なんかこう、お説教くさくなるかもしれませんが。予めご了承を。
最初に個人として
個人としては時折、なんでそこまで分かってしまうのか?と逆に質問をされることもあり。
精神的に病んでからも、2年前くらいですかね。
精神障害者手帳もあるので、就労支援を受けてるのですが、その担当者さんとの話の中でも、そういう事がありました。
何の気なしの世間話とはいえ、聞いてて”気になるところ”があったので、聞いたり、自分なりの意見を述べたりしたわけですが。
一度面談をやると、期間が開くわけですが、その間に進展があったとその次の面談で話を聞き。なんでも、私が言ってた事が、偶然とはいえほぼほぼ一致してたようで話した内容を元に、色々かけあってみたらそうなったそうです。
うん。
まぁ、そんな感じで、何でわかるのか?と問われるのですが・・・。
正直、わかってはいないんですよ。
うん。わかってないです。
そもそも、理解という事すら難しいのが人間、それが当たり前です。なので、何かの拍子に衝突する事もあるわけで。
個人としては、就労支援での相談員さんの話も、過去の相談の経験もそうですが、あくまで現実として少なからず話を聞かせてくれる人が居る。
そういう話や相談の中でも、不思議とこう、なんていうか、あれ?という違和感の様な物が生まれるので、こちらから言うなり問うなりして、話を深めて行くと、多分こうじゃないかなぁ?みたいな所に行きつくだけです。
なので、相談するという、相手の話を聞くのが上手というだけで、分かってるなんて事は、口が裂けても言えないという気持ちは強いんですよ。
うん。
そうなんです。
相談上手だなんだという評価を貰うようであっても、他人の事なんてわかるなんて難しいです。
頻度や回数が多いからと言われても、相談に乗る、話を聞く側としては、
偶然の一致を超えません。これは、真面目な話、実際そうなんですよ。
うん。
こういうのも、何度となく周囲に伝えても、相談にうまく乗れるからと。
あしらわれたり、偶然とはいえ出来すぎと、否定ではないにしてもそちらよりだったり、と。
評価されるとはいえ、実際や実態を答えてるのに、何で聞いてくれないのかね(´・ω・`)する事になるんですよね。
とはいえ、ここはネットの世界。
あくまで記事でしか繋がらない以上、そこは伝わってくれるかなぁ?とも思います。
ということで。
どちらかというと出来る方と言われても、わかってるなんて事は無い、これを念頭にして欲しいかなぁ?と思います。
何を基準にして・・・・
という事で、次の話題というか。
わかってもらえる、という、ね。
わかってもらえるにしろ、わかってもらえないにしろ。
それを判定する基準って何ですか?
結構、これは、個人としては疑問です。
相談をしてる状態だと、ただただ話を聞いてただけでなく、話の中に登場した家族、職場の同僚、パートナーという、その場に居ない人について、
「その人ってこういう人じゃない?」と。
あくまで推測とは言え、そう言う問いをした場合に、一致したという相手側の知り得る状況、現実をもって解釈が可能であれば、
その場に居ない人なのに、なんでわかるのか?は、理解出来ます。
何はどうあれ、相談に乗る側として、そう言える問いをしてるわけですから。
偶然の一致とは言え、相手からしたら「話しただけ」という部分から、こちらが「推測でもほぼ言い当ててくる」という状況が発生するわけですし。
こうなれば、「分かる」になるのは、そりゃそうでしょう、という事になります。
でも、相談に乗る相手、話してる相手が、経験の中での他者に、
「なんで自分はわかってもらえないのか?」
とか言おうものなら、
「そりゃまぁ、言い方悪いかも知れないけど、自分と違う他人だから当たり前でしょ?」
と、答えたりするんですよ、私個人としては。
いやその、ねぇ。
相手に否定されようが、怒られようが、叱られようが。
どんな反応をしたとしても、その時、その場の状況、相手とのやり取りという流れ、そして相手の状態、と。
気付かない部分は、相当にあるものなんですよ。
個人としては、そういう部分に対し、相談者側が驚くレベルでのクセだったり、微妙な変化だったりを見たり、気づいたりしてるからこそ、相談に乗れてるという部分もあります。
そういう、ね。
目の前に居る相手、という他者が居るわけですから。
彼を知り己を知れば百戦殆うからず
に、なるわけなんですね。
気づいたら自然とやってるとはいえ、目や耳がキャッチした情報から、脳が判断するだけでなく、焦点に入ってない視野の部分であっても、何でかキャッチ出来てるという身からすると、それ以外なかったりします。
そしてこういうのは、相手の動きの部分を意識、無意識関係なく目に映ってれば、脳が判断してくれるという、一風おかしな状態になるわけですが、
それがいわゆる、HSPという言葉の元の感覚処理感受性だったり。
個人としてよく言われる感受性が高いという、ね。
相手が見せる動き、その動きがもたらす影響を受けてしまってる、という環境感受性とも繋がるというか。
「分かってもらえない」と口にする人ほど、
自分の言いたい、伝えたいが主になりすぎて、相手を見れてなかったりするというのが、個人としては現実に起こりうる事象、だったりします。
なのでね?
その、分かってもらえるとか、理解してもらえるの基準ってなんですか?と。
なんかこう、分かってもらえて当然とか、理解してもらえて当然とか、無意識の内に「伝えたから」という理由だけで、上から目線になってしまってる人も居るように見受けられるんですよね。
と、問いを上げた上で、次の話をしてみましょう。
少し厳し目になります。
そういう側は理解してあげてるの?
次はこれです。
分かってもらえるはずなのに、分かってもらえない。
「そんな貴方は、伝えた相手を分かってあげてる、理解してあげてるのですか?」
と。
あくまで、個人の経験の中では、これは結構重い問い返しにはなるものの、帰ってくる答えは、
ほぼほぼ、NOです。
たまにYESで返す人もいますけど、それはそれで、
「それじゃ、対象の人はどういう人?」
と、問い返すのですが、帰ってくるのは”主観”という自分の立場だけで、相手がおらず、相手と話し合って確認したわけでもないのに、
自分に都合の良いように、相手をしてくれてる人間像
が、返ってきます。
相手のことを、全然見てなければ、気づいても居ない。だから、
分かってすら居ない・・・・・・
都合の良い部分だけを取りあげて、わかったつもりになってるだけ、なんですよね。
うん。
まぁ、これが実際の相談であった場合、
今から呼び出せるか?
無理なら後日、合わせて相談を頼めるか?
という。
相談に乗る側だからこそ、実態を知るために、第三者を場に呼べるのか?という行動にでます。
これはおそらく、現状でのカウンセリングだと、家族すらも事情で厳しいという話になったり、家族であってもいい顔をしないという人も居て、相当に難しいと思います。
なので、ここが限界かな、と。
それ故に、資格はとったけど、自分がやってた相談以上に自由度が落ちるカウンセリングは、
仕事としてやってけなーい(´・ω・`)という現実にぶちあたったわけです、ハイ。
という余談。
結局ね。
相談にしても、話を聞くにしても、わかってないというのが実情なので、話を聞いただけで、その場に居ない他者を判断できないんです。
あくまで、こちらの問に正直に返してくれる人が、一致度に驚くだけであって。
都合の良い話しかしない人の話なんて、判断材料から除外です、除外。
その該当者に会って、そちら側の意見を聞いたり、相手に少なからず対面して、どういう人なのかな?を少しでも掴まない限りは、都合のいい話では判断してはイケナイ、ダメな行動なんですよ。
うん。
「貴方は相手を分かってあげられてますか?」って結構重要で、ここが岐路になるということは、個人の経験の中では多いケースです。
まぁ、基本的に、どういう人か?を聞いた時には、都合のいい話が出がちですが、ちょっとこう自信なさげに答える人って結構多いです。
こういう人は、恐らく、
戸惑いながらも相手を思い出してみると、意外と一方的になってた、と気づけたりするタイプ
で、あることも多いです。うん。
そうあると、
「うーん。なんかこう、ちょっと曖昧だよね?」と問うわけですが、
返ってくる返事は、
「改めてそう問われると、なんかこう、感情的になってた」
と、相手ではなく自分が感情的になってた、と。返ってきたりもします。
そう。ここがね。
話を聞く、することで、相手に気づいてもらうという部分。なんですよね。
そして、ここまでくるとそこそこ分かるかも知れませんが。
相談してる側も、乗ってる側も、相手を分かってることなんて、
ないのでええええええすうううううううう!!
ジャジャン。
まぁ、ね。
辛いこと、腹立たしいこと、イライラする事はあるのは間違いなくそうです。
相談上手と何でか言われる私でも、感情がそういうネガティブに動いてると、他者に対してはネガティブな部分だけを見がちにもなります。
とはいえ、全部が全部そうでもないので、普段の口うるさい話は別ですよ?
まぁ、感情が動いてると、判断を誤りやすくなってしまうのも、人間。
そういうものなのに、自分基準で、理解してもらえる、してもらえないなんていう、相手はどう思ってるのか?を
一方通行してたら、最弱にぶん殴られても仕方なし。
やっぱり、禁書目録じゃねーかよ!という冗談で。
締めようかなぁ?と思います。
あとがき
相談してくれる貴方が居なければ、私も気づくこと、知ることは出来ない。
そして。
相談の内容がどうあれ、最終的に動くのは相談者自身。
それが鉄則です。
なので、個人としては、「相談したい」に対して、「話を聞く」で応えるだけ。
解決したと言うなら、それは解決に向けて相談者自身が選んで動いた結果でしかない。
それは、なにはともあれ自分の辛さから動いたとは言え、相手との関係を壊したくない、良いものにしたいという、相談者の気持ちがあったからこその結果じゃよ。
クサイ事言うなぁ、と思われるかも知れないですが、かなり真剣です。
ガチです。
食事ついでや、遊行ついでに話を聞くだけにしても、辛いからなんとかしたいと行動を起こした人が導き出す結果なんですよ。
ただただ、偶然、私という個人が関わらせてもらえただけでしかないです。
また、そういう相談に乗るという事も、相談に乗って欲しいという相手が居なければ、そういう事態の発生すら無いし、旧知の間柄であっても色々話を聞くことで、こちらも勉強になったり、更に相手をしれるという、ね。
対人関係に必要な、相手を知る、が出来るので、乗る側としては感謝すらするほどのことなんですよ。
そもそも、選ぼうと思えば人間関係となると、私以外の人がいるのが当たり前。
何がどうあれ、話す相手、相談する相手として、自分と違う誰かに選んでもらえてるわけですから。
応えなくては、いけないでしょう。
うん。
辛そうにしてる人を見かけたからと、迂闊に声をかけれない距離感だと声をかけられないし、そういうときですら結構胃が動いたり、
「胃酸が出てるわ、注意しないと胃炎やら口角炎、口内炎が・・」
と、内心思うことも多いです。
とはいえ、ね?HSPブームみたいな、逃げにはしるというか。
自分可愛いだけの辛いはノーセンキューです。
これが友人という、近しい関係だと、目を覚ましなさいと言わんばかりの正論ハンマー(別の友人談)が下手すると出るくらいです。
結果、嫌われることになっても、やります。そういう事。
まぁ、こういう感じなので、お人好しだ、真面目だ、人の苦労を変わりに背負いすぎだなんだと言われますが。
私としては、
ただただ、目の前に映る現実に対して、向き合ってる、対処してるだけ。
です。
なので、所謂正論ハンマーモードになると、感情がないロボットみたいな人にもなるんですよね。
何かをしてあげたい、ではなく、助けを求めてる人が居て、ツテがあろうが何があろうが、自分に辿り着いて助けを求めるなら。
話を聞くしかできないけど、それでいいなら、なんですよね。
こんな感じなので、相談に乗るとしても、私に相談するという選択は実は相手に完全に委ねてる事が多いです。
自分から声をかけても必ず確認しますし、それがNoなら追求や深入りもしません。
だって、わからないんだもの。その人の辛さが。
あくまで、目で見たり、呼吸やため息、態度や雰囲気という、視認で検知できる部分から、つらそうという判断ができてるだけで。
こんな感じなので、共感については、相手の感情は脳が覗けないからわからない、それなのに共感だ、わかってるだいうのはおかしい、という議論があるというのも、至極まっとうだと思います。
うん。
結局、悩むという言葉でも、ただただ現実を追ってるだけなのか?それとも不安があってネガティブに傾いてるのか?という区別もできようかな?とは思いますし、そこを見分けられないまま、一方的に悩んでるだ、気にしてるだ言われるのは、
彼を知り己を知れば百戦殆うからず
ですぞ?
と。
無知の罪ではないですが。
わかってないのに、分かったつもりになる人って・・・。
結構多いと思います。
それでは。