書くリハビリ ネガティブスパイラル
ほんともう、昨日書いた、話ではないですが。
現実の問題としての、人権云々の話にするのではなく、ただただ話題があるからと、とりあげて、しかもそれを見た人は悪だ悪だと石を投げる。
これもう、過去に経験してきたイジメそのままの構図だよ。うぇええええ。
ちょっとこう、ね。
テレビ離れどころか。
ネットもテレビも大差なくなりつつあるなぁ。
政治がどうこう以前に、社会が悪い方に転がり落ち続けた結果が、
景気が悪い、という状態、と。
だってその、ねぇ?
自分さえ良ければいいんだから。自分が稼げてれば、景気なんて知らん!って人多いんじゃないですかね。
アフィリエイトという呼ばれ方の時は、どちらかというと悪者扱いしてたのに。
動画による広告収入はノータッチ。
それ故に、いい加減かつ、話題性ばかりで中身が無い物が溢れてる。
そして、それを真に受ける人すらも、ね。
なんだよこの、ネガティブスパイラルは・・・。
疫病パニック、恐るべし
いやー、こうも顕著なほどに、人の弱さが浮き上がってくるだなんて。
まさにこれは、性悪説。
うん。
確かにこう、ストレスを抱えてるのはわかるんですが、流石にもう個人個人が、そのはけ口にネットを使いすぎじゃないですかね。
また、ね。
楽しいことは良いことかも知れないですが。
楽しさだけで人間社会は構成できないので、目を背けては行けない部分には、目を向けなきゃいけない。
ほんとこう、カーボン・ニュートラルとも相通じると言うか。
工場の稼働だったり、原材料、部品、出来た製品の運搬という部分は敢えて除外するほどなのに、ニュートラルになんか出来るわけねーだろ?っていう。
都合の悪い部分に目を向けない。そういうものは無いことにする。
なーんでこの、個人が抱えるレベルでの人としての違いと同じ構図を、世の中から見せられなきゃいけないんですぅ?(これは個人的な話ですけどね)
なので、ね。
うつ病を癒やすどころですら無い、と。
嫌なら見ない、もわかりますが。流石に溢れすぎなんよ。
避けるために触れてたものですら、それらがゴロゴロ見えてきてるってのは、流石に、ね。
無責任が過ぎる、と。
ほんとこう、無意識の内に操られてると言わんばかり。
考える、思考する力を失った結果が、これなんですかねぇ。
ああ、おそろしや、おそろしや。
余り書きたくないけれど
やっぱむり!
何をどう書いた所で、表に出す、ネット上に掲載するというのは、受け取り手側に影響を与えることになる。
そういう、先々も当たり前とか、普通の範囲なので、結構ね。
せめぎ合うんですよ。
こういう部分を良い人とか言われるわけですが、そうじゃないです。
「だって、自分がそれ程に受け取ってしまうタイプだから」
嫌なことを他人にしたくはない、完璧は無理でも出来る限り。
とはいえ、自身としてももう、何もできなくなるほどなんですよね。
日常生活での色々は余り書いてないですが、そういう部分でも、無責任さとそれによるネガティブって相当に増えてて。
また、中には稚すぎる子が、生存本能と言わんばかりに吐き出してるのも確認してるので、流石に付き添ってる大人がケアしろよ!とは思うものの、
口を挟むのも難しい。
近所の保育園の子なんですが、そうやって、周囲に居る親や大人がケアしきれてないから、奇声という形で吐き出してる子なんか、危ういと思いますよ。
先々で、発達障害って診断されて・・・みたいな。
知識や知能と、発達って、別ですからね。
うん。
まぁ、余計なお世話でもあるんですけどね。
よく気づく、でも実際のところは・・・
「え?見ればわかるじゃん?」
という感じで、目にしただけで、どういう対応が必要なのか?すら把握できてしまうほど。
なので、幼稚園に通い出した初期の頃は褒められても
「え?見てわかったから、やっただけだよ」
こんな感じでした。うん。
正直、担任とかは、「その程度も出来ないの?」と、受け取ってしまった人も居たかも知れません。
そして、気づくという部分は、
「目に見えない、アンテナみたいな部分に、引っかかるような反応、それが体の感覚として発生するから、気付ける」
こんな感じ、でぇす!
だから、背後だろうが、多少距離があろうが、仕事や作業に集中してるとしか思えなかろうが、
「気づくことが出来てしまう」
また、そういう気付きから、視線を向けるだけで、ある程度深い所まで確認出来るので、対処するという行動に出る。
そして、文章にしてるので、切れてるようですが、
これが一瞬のうちに終わって、自然と行動する
うん。
更には、母との話からすると、
1歳の時点で既にそうあった、と。
ほんとね。
おかしすぎて、今だに目を背けると言うか、正直な部分は余り話さないというのも実情だったりします。
そうある自身では在るものの、おかしすぎるんですもん(笑)
目に見えないアンテナにかかるというのも、魚釣りでかかったときの、ピクンみたいなのが、ね。
発生した時には、それが飛んできた方向には何かしらがある。
あ、あれを感じ取ったんだね、って。
なので、
「配慮とか、気遣いも、しようとしてないから違う。不思議と気づくから自然とやってしまっただけ。」
そうある自身としては普通のことですが、すっごく奇妙なこと言ってると思います。
ほんと、ね。
「何で、一切顔を向けてないのに、こっちに気づいて、そんな事出来るんだ?お前はエスパーか?」
言われるのも当然だったりするんですよ。
うん。
とはいえ、こういう部分については、出来すぎるもので、認められない、受け入れられないという、ね。
否定されるのも仕方がないわけですが。
それが分かってるどころか、自然体で”やってしまってる”なので、感謝とか評価って要らないほどです。
なので、おかしいかもしれないけど、そういう部分からのものだから、放って置いて欲しい。
そう、言ってたんですけどね。
受け入れられない側が、受け入れきれないのに、何でか触れようとしてくるどころか、
現実として認識してるのに、おかしいだ、ありえないだ、と。
もうこれ、どんだけ繰り返したんだろうね・・・?ってくらいに、話を聞きやしないどころか、好き勝手にやるからこその、ネガティブさを受けすぎたし、
それ故に環境感受性、と。
単純にネガティブに気付きやすいだけでなく、いい加減とか、無責任という部類のネガティブさには、気づきやすくもなって、ます。
ただの怒りとか、勝手にイライラしてキレてる、とかは、寧ろ火に油と言わんばかりに、
「何勝手に自滅してキレてんの?」
という、態度で流せるくらいなんですよね。
まぁ、流せるとは言え、こういうのも幼稚園時点で自然と気づいて、自分じゃない他の子が怒られてる時には、「先生ちょっとまってよ」と口も挟んでた。
うん。
まぁ、ね。
少しおかしすぎる程にあるので、どうしても無意識の内に否定をくらってる、というのも掴んでたりします。
とはいえ、それを突きつけると、相手が自覚できたり気づいたりしたら、ただただバツが悪いばかりで、不快な事になる。
そういう部分は、対人関係の構築というでは不要な部分なので、敢えて黙って必要以上に突きつけない、という取捨選択もしてます。
うん。
でも、結局はそういうネガティブな部分、真っ向から向き合えないから、目を反らしてるという、逃げででもあるというか。
受けたがわとしては、流しても、ダメージは残るんですよ。
あとがき
なんかこう、掴みどころのない話になったかもしれないですが。
ほんっとおおおおおおおおお、に、大変です。
ストレス社会なんて言われる前どころか、バブル景気に入る前ですらも、色々かんじてました。
高度経済成長という波に乗ってしまったからこそ、失敗する人には「人の不幸は蜜の味」って言うんですかね。
その当時にも虐待とかニュースになったりしてましたが、
「頑張ってる親は多いのに、こんな事件を起こすのは親失格」
そういう、事をテレビでのたまう人が多かったわけですが・・・。
「いやさ、あんたそれ、事の背景とか知ってるの?その人が何かに苦しんでたとか気づけ無いの?」
と。
「テレビはおかしい」
既にその頃から言ってたくらいです。うん。
虐待って複雑というか、ある程度の年齢になれば、子供が自分から助けをもとめそうなわけですが、なぜそうしないのか?という部分には、
子供なりの理由や事情があり、中には、
親が虐待で向けてくる苦しみを、子として受け止めてあげようとしてる。
だから、逃げない、親から離れようとしない。
全部ではなくても、そういう可能性ってあると思います。また、そうではなくても、やっぱり「家族」って思いの外大事というか。
そういう思いがあるので、分かってても側に居続ける、という部分もあろうかな、と。
こういう部分は、相当に受け止めてあげれないことには、対処出来ないと思いますよ。
児童相談所が、警察とか、見当違いも甚だしい。寧ろ、踏み込めるようになったら、子供の方は「怒りや恨み」という、一方的でしか無い助けだからこそ、悪化させてしまう。
そういう可能性も考えられますし、だからこそ、踏み込みきれないケースも在ると思います。
なんで、こんな事言うか?というのは、最近になって自分も虐待を受けてたという部分にようやく向き合えるようになったから。
分かってはいたものの、いかんせん、長男で跡取りという自分への言われについては、長男が生まれなかったことから自分から進んで親の面倒を見ると。
言うだけでなく、実行した上に、亡くなりはしましたが、ちゃんと祖父母を見送ることで成し遂げた人というね。
私個人にとっては、そういう母親でも在るし、それを幼い頃から何となく気づいてたので、日常生活の負担+αを考慮して、かばおう、守ろうとしてるフシもありました。
幼稚園入園当時なんて、
「お母さんの所に帰って、守ってあげないといけないから、おうちに帰して!!」
ってしばらく泣いては騒いでたんですよ。
幼い頃から、気付きすぎてしまってたからこそ、辛い苦しいについては踏み込んだ上で、母と共有するというか。
辛いのは自分だけじゃない、と。奮起したり、道を誤らずに入れたのは、母が居たからこそだったりします。
うん。
そういう、感じなので、ね。
昨日書いた記事ではないですが、
イジメにしろ、虐待にしろ、本気で解決するつもりが無いくせに、適当かましてんじゃねぇ!
って、ビキビキしちゃうんですよ。
って、あとがきがー。
ながくー。
なってしまったのよおおおお。
まぁ、このまま出してみましょうかねぇ。
それでは。