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通院を通して感じたこと
先日が通院の日だったのですが…。
改めて色んな難しさを実感したとともに、
いい加減、ホントやめてくんね?
という感じで、幼い頃から変わらず感じてる、世の中というか、人間というか、自分さえ良ければいいという無責任さって言うのかなぁ。
違いが分かってるのに、過ぎてるからか認められず、本人の口から説明されれば途端にその違いを無い物にしようとする。
そこに光明が見出せそうな概念すらも、面白おかしく、自分たちの都合が良いように、学術的な内容や実際、実態にも触れず、勝手に名乗って、勝手に捻じ曲げて。
こういう人がゴロゴロ溢れてるから、ネガティブな物を受けすぎてパンクしたあげく、メンタル病んだ状態になってしまったわけですが。
ほんとこう、その頭のお花畑どうにかなりませんかね?
はー、ほんともう。
人間堕落したよなぁ、とか言いたくなります。
という感じで、愚痴こぼしたところで、そうある自身の難しさについてでも、触れてみようかと思います。
通院してはいても
相当に難しさがあるんですよね。
・患者は自分だけでなく、主治医は沢山の人と接している。
・入院という話にもならないので、間隔があく通院になる。
・診察も時間の制限がある
・おおよそ同じタイプの話は聞かない(病院以外でもそうあります)
こういう部分から、全部伝えられないという部分もあれば、伝えたところで理解以前に把握する事も難しい。
病院や医師とは言え、全部が全部患者の要望に答える場所でもないので、自分も色々感じてしまうからこそ、一歩引き気味。
昨日も、幼い頃から自分じゃない自分になるという感じで、周囲に合わせる為に色々やって来たけど、限界があったという話もするにはしましたが、感じとりやすいなら周りに合わせて擬態をするという提案がされ、肩をガックリ落としたと言うか。
流石に最近は、幼い頃の色んな記憶も勝手に思い出すというか、襲い来るような感じだし、眠ってないとポジティブ、ネガティブ関係なく色んな物を感じ取ってしまうしでの、ストレスの限界も来てたので、軽く暴発もしてしまいました。
こんな感じなので、HSPって概念はもう少し何とかならんかね?と思います。
生きづらいだ、敏感だ、繊細だ言うて、全然なってないですし。
4、5、6歳時点から、余りにも過ぎてたからか親からすら受け止めがされず、話も聞いてもらえないまま、
兎に角否定されながら、それでもその否定を受け入れたり、受け流したりしながら生きて来てますが。
まぁ、生き地獄ですよ?今の世の中って。
自分でも不思議と抑えられてますけど、正に発狂一歩手前みたいな状態にもなりますし。
それでも、配慮って何ですか?というくらいに、為されないどころか、それも仕方ないという感じでの把握もしてるので、されなくてもなるべく感情を抑えるようにして過ごすという感じで、
感じとり過ぎるだけでなく、ストレスなんて一日中否応なく感じ”させられる”という事も多いんですよね。
ホントね。
楽しいはずの物も楽しめなくなってる苦痛とかもありますからね。
通院さえしてれば、改善されるなんてレベルでもないんですよ。
HSPという概念は
あくまで人の感受性についての話。
人の全てを決定づける物ではないんですよ。だから、人をラベリングしたり区別するための言葉でもないんです。
ただただ、感覚処理感受性で説明されてる、それが高い人がHSPという話であるだけなんですよね。
そもそも、その特徴の判断なんて診断基準も無いのに出来るわけないし、チェックリストも医師が使う様な物とは違いますよね?
何処から出てきたのか、誰かが勝手に作ってるだけのリストであって。
自分はHSP、HSPな自分って、人間は感受性だけで出来てないですよ?
真面目な人、優しい人というだけでなく、人を指す言葉って、活発な人、本好きな人、ひょうきんな人と色々あるわけで、人間なんて様々な部分の集合体なのに、何言ってんだ?っていう。
繊細さんとか、敏感で生きづらいも、その概念の中で説明されてる物でも無いんですよね。
もう、何度となく言ってますけど。
というか、割かしいい加減にやったでしょ?話題作りとか、そうある事で本が売れる事を意識してとか。
そう言うつもりが無ければ、そんな事書かないと思いますし、そもそもHSPって言うのであれば、そう言うのを感覚的に気づいて行動すると思います。
そういう造語を使う事で、ネガティブな影響与えて、ダメージ居る人が出るなぁって想定出来るんですよ。
それ程に、ね。
これをやったらこの先にどうなる、更に先は?そのまた先は?と前に進んである程度押さえてから行動する程に、イメージであれ現実に発生しうる状況を想定すればそこからの感じ取りすら出来てしまう。
それ程にあるので、相談に乗った時なんかでも話を聞いてるだけで、その場に居ない第三者もすっぱ抜くって話でね。
感受性って、誰でも持ってる物なので、普通に人が出来そうな感じ取り程度じゃないんですよ。
だからこそ、驚かれ、不思議がられる割に、そうあられるまずいとうような本能的な優劣という部分から、否定される事にもなる、と。
あくまで可能性。でもこれを突きつけたら、図星だからか軽く流せずほぼほぼ怒る人しか会った事がないです。なので、基本的に突きつけたりしないですけどね。
人と違って上手くやれないんじゃないです。
人と違いが過ぎて、分かってても黙る事で、うまくやり過ごす事ができるんですよ。
あと、性格や思考、感想、行動なんてのは感じ取って、それが脳に送られて処理された結果の物なので、良く考えたり、思い出して状況を整理したりしないと、こういう部分と勘違いしてる人も多いと思いますよ。
気遣いや配慮なんてのも、イチイチ相手を窺ったり、様子を観察したりとかしないです。自分がそう言う視線を感じ取るし、良い物ではないから他者にもしないようにするくらいです。
なので、気遣いが出来る、配慮ができるではなく、自覚がない程に自然とやってて周囲から指摘されて初めて気づくって事も多いですよ。なので、敢えて意識しての気遣いや配慮とは区別してます。
今の状況、今の環境ならこうするの当たり前でしょ?なんですよ。
それ程に、全く違う物なので。
HSPという言葉にハマるより
まず自分を知る事が先でしょう。その上で、周囲に聞いてすり合わせをして、自分を主観と客観で見つめてみる。
自身の感受性の有りようは自分だけの目ではわからないです。周囲と比較したり、場合によっては敢えて実験的な事をしたり。そうやって自分で固めていかないと、違いすぎるようだと手におえないんですよ。
なので、そうやって自分で自分を確立するのが先だと思います。
自分が揺らいだままだから、言葉に頼ろうとする。
人間どうしても、そういう部分が出てくる事もあります。言ってしまえば弱さみたいな部分。
良い部分も悪い部分も、弱い部分も強い部分も、自分がまず受け入る事が出来ないようなら、自分での客観も出来ないですし、概念を当てはめるなんて事してたら、ボロ出て後で痛い目みるというか。
現状、精神疾患でも相当に変わりましたが、個人で状態や症状が違う物なのに、世の中にあるうつ病の話だから、世の中にある〇〇障害の話だからと、その症状を持った人を見つめるよりも、どこの誰だか知らない人の話を鵜呑みにして傷つける、なんて人が居ますからね。
HSPも認知されれば、要求されると思いますよ。
自称するくらいなら、おおよそ普通には出来ないレベルだろうし、それを行動で示してください、という感じで。
言うだけじゃダメなんですよ。口で言うだけなら誰でも出来ますし、言うは易く行うは難しって突きつけられますから。
そう言う概念が無くても、嫌でも違いや、過ぎる様を突かれる身からすると、認知されたらされたで、それを逆手に取るなんて人が出てくる事も手に取るように分かる位です。
自分より優れた人を傍に置きたくないってのも人間ですし。
意外と、動物の縄張り争いみたいに、負ける相手に近寄らないって行動取って見せる人も多いんですよね。
うん。
そうあるからこそ、楽あれば苦あり、言葉を知った今だからとハマって気持ちを楽にしても、その先には苦が待ち構えてる。
なんて事を言うわけです。
どうして持ってしまったのか?
そうある人なら、一度ならずと考えたことはあると思います。
周囲がおかしさを突くだけでなく、その理由も把握できるので、自分ですらおかしいと思う事も多いです。
何でこんなものを持ってるのか?と。
それ程に違い過ぎると言うか、自分でも嫌でも不思議に感じて考える事があったりします。
また、そうやって考えてるからこそ、あくまで現状まで、かつ自分自身が過ごしてきた環境があるからこその、恐らくこういう事かな?というのは何となく掴んでますが、それでも全貌はまだまだで。
そう言う意味では、いいきっかけになる情報にも巡り合えたりしました。
うん。
感じとるというか、環境から色々受け取ると言うか、そういう事で先んじて気づく、それだけでなく予測も立てるし、無駄だと分かっててもと声を上げて問題提起する事って、時折何故かそう言う行動を起こすというのも、何度か経験してます。
まぁ、何度となく失敗してるというか、その他大勢を変えるのは無理なんですけどね。
とはいえ、何でか不思議と子供の頃から考えた方が良いよ?ってのは、大事になったり、未だ問題を引きずってたり、変わらず目先に囚われてるだけだったり。
文明や道具ばかりを良くするだけで、人間自身が逆に悪くなってると言うか。
このままだとやばいのでは?と、何でこんなものを持ってたのか?を考えてるとそう言う部分が見えなくもないんですよね。
ホントこう、面白おかしく概念を捏ねまわしてる場合ではないようにも思います。
うん。
追記:補足とか色々
あー、勘違いされそうなことに気づいたので、遅れてですが補足を。
メンタル病んだのは、感受性が高いこととかは関係ありません。
そうあるから病んだのではなく
違うと気づいて話を聞きに来ておきながら、自分たちの普通と違いすぎるからと、違いの理由を否定しに来る周囲との折り合いが問題なだけです。
言ってしまえば、周囲に合わせすぎると逆に認知を歪める形での認知行動療法になってしまう感じなので、現実との乖離や歪みが発生しますし、それについて分かっててもそれを自分が無かったことにしないと、周囲から否応なく干渉されてしまうから、なんですね。
要は、人それぞれ違うのに、その違いとして認めてもらえない。
それでいて困ると、そういう部分の良さとしての配慮や気遣いが見える様を利用しようと頼ってくるだけでなく、頼って来るのに上から目線というね。
そういう人間のいい加減さが、メンタルの病みの理由です。
なので、HSPうつとか実際や実態を無視して、そんな事言いだす人が居るから病むみたいな。
良くも悪くも、自分から合わせるために認知を歪める、違いの部分は認めながらも違いの理由は否定されるという、ネガティブまっしぐらな環境があるから、こんな事になってたりします。
そういう意味では、感受性が高い人がうつになるってのは因果関係がないですし、そもそも、
個人が置かれてる環境が大問題すぎる
だけなので、勘違いされないように補足しておきます。
ほんともう、いい加減にして欲しいんだけどね。
あとがき
と、色々書きましたが。
まぁ、疲れてるし、溜まってるんですよ。うん。
それだけでもないけど。
情報って思いのほか難しいんですよね。
一次情報、二次情報という感じで、事件が合ったら警察が公開するのが一次情報、それを受けてされる報道が二次情報という感じなので、自分が知る頃には情報って意外と価値や鮮度が下がってる物なんですよね。
それで知ったからって、裏付けすらしないまま、個人の主観で語ってるのは、もう情報でもなんでもないわけで。
情報って言葉すらも向き合わないと、世の中の見方って結構厳しいですし、都合の良い部分だけ見てると痛い目みると思います。
ほんとね。
ネットだろうが、情報だろうが、扱い方ってあるものなので、注意して扱った方が良いと思います。
という事で、あとがきは短めに。
それでは。