客観的に見る、という話。
ホントこう、頭が痛い。
思わず目にしてたものについて、実際に何が起こってるのか?を触れてみると、どっちもどっちというか、なんというか。
方や、配慮に欠ける・・・・・・、どころではない言葉のチョイスとソレによる失言。確かにこれはあまりにひどいと思います。
が!
批判する側も、ね?
表面だけ、見たいところだけ、そして感情だけ。
・・・・(額のそっと手をあてて
あー、イタタタタ。
まぁあれです。某チェーン店の講義での表現とソレによる問題の話です。
流石に、冷静になりましょうよ
有名なあの人の言葉じゃないですが、
「それ、あなたの感想ですよね?」
うん。
何が問題点としてあって、どこに対して批判が集中して。
その上で、何を問題にするべきか?
という議論にならないのも、批判する側が主観と感情ばかりで、何が問題なのか?という問題提起をするより、
感情による善悪の発生、それに対する叩き
という、ね。
テレビにしろ、テレビ&新聞社系列のネットメディアが隠れてこっそり、無関係を装いつつ、
情報に感情と感情論マシマシで盛り込んで煽ってる時代
情報化社会=冷静になって、その情報を分析検討出来ないことには、感情が先走って無駄な対立、分断を生むだけの時代
そういう時代だと思います。
なので、鵜呑みは禁物。
ちょっとこう、ね?
問題にするにしても、感情から善悪叩いて判断するだけ終わる。
そういう風潮は変えたほうが良いかなぁ、と。
まぁ、受け付けてくれないとは思いますが、いうなれば民事案件というか。
法治国家である以上、個人の主観で善悪決めたところで、出るとこでれば単なる善悪だけでなく、失言をした人の生い立ちや精神状態とその鑑別から、
「極端に善悪をかたるばかりだと、想定外の結果になる」
という事も十分想定できます。
なのでこう、ね?
冷静になるというのは大事といいますか。
自分に厳しい、ストイックと個人として言われることも多いですが、議論して掘り下げると、そういう部分が過ぎる=勝ってるので。
相手が切れない限りカタを付けられなくもない。
まぁ、そういう一個人としての見方、それだけの話しでもありますが。
流石にね?
精神疾患だ、ストレスだ、ストレス社会だというのもあるわけですが。
個人の正義に固執するばかりで、物事の全体像そっちのけ。
その上で「善悪」語って叩く人も、相当なストレス源。
原因かつ、要因なんですよ?
だから、自分が批判する分には良いけど、他人が自分に反論するのはダメ、はおかしいでしょ?と。
言うわけなんですよ。
ホントこう、情報を目にして即座に感情を拗らせるというのは。
衝動的過ぎだし、注意が足りないという話にもなります。
一体、何をどう認知すれば、そういう、ね?
疑われて止むなし、という行動言動にでるのか?
冷静さが足りないから。
というのは、一つの理由、原因、要因ではないでしょうか。
個人の見解として
正直な所・・・。
あー、やっちゃうタイプの人が、やっちゃったなぁ。
というだけ、ですかねぇ。
それ以上は、触れると感情が揺れる=精神疾患として、うつ病を抱えてるのでダメージになるから、感情として揺らさない。
というか、そもそもが、自分に厳しすぎ=精神科通院では医師から「客観視が強い」と言われる。
そういう、主観と客観が寄りすぎてるとも言えるタイプなので、ね。
個人としての善悪の考え方が、該当の部分だけでなく、発言した人の人間性はどうあるのか?という所に、即座に飛び越えて着地してしまいます。
それは、表に出てきた情報だけだと”あまりにも情報不足”
という判断に至ることにもなります。
そして、こういう部分がHSPという言葉のブームへの疑問視、問題提起で触れる自身のこと。
真面目過ぎ、頑張りすぎという言われ、その所以だったりします。
それが、自身に向けられると、
「え?周りが分担とか、協力とかしてくんないじゃん?だから自分が片付けたほうが楽だし早い」
だから、真面目でも無ければ頑張ってない、と。
客観的に見つつ、自分だからこその意見を言うわけですが、こういう部分がズレます。
少し話がそれましたが、そういう意味ではHSPだ何だ言うなら、こういう時事ネタも見せ所ですよ?と、言う側面もあります。
で、話を戻しますと。
正直、確かにアレは酷い、とは思います。
ですが、酷いなら酷いで、何がどうあるのか?を深く触れる必要もあるし、そこから別な要素が出れば、ケアする必要もありそう。
そういう問題ではなかろうか?
また、別な視点としては、ジェンダーとか男女平等というような。
フェミニストという言葉も、ね。
一部の過ぎた人たちが、感情の赴くまま、自由だから何をしてもいい、と。過剰に傾倒した善悪から、起こった事象をただただ叩くばかり。
そして、自分たちは被害者、だからこそ正義みたいなのを、全面に出しすぎ。
結果、男女平等を追うからこそのフェミニストという人にしわ寄せが行って、風評被害がうまれだすのでは?という懸念も持ったくらいです。
チョイスした言葉が問題だったのか?
そもそも、全体的にそういう発言をした人の人間性が問題なのか?
ちょっと掘り下げたりないよね?とも思いますよ。
ということで、少し語ってみましょう。
ポイントの一つは牛丼。
過去には、丼ものや牛丼なんて、男性がかき込んで食べる。そういうマンガメシ的な扱いから、男性専用みたいな風潮や言われもあり、
「え?女性一人で牛丼?マジ引くわー」
みたいな、偏見もあったもので。
女性一人でも・・・という少なからずとはいえニーズがあるので、イメージを変えよう、そして乗り越えようとしてきた業界という部分もあります。
そういう部分もあるからこそ、余計に返りも酷い。
しかも表現は不安や恐怖を誘発するものでしたしね。
とはいえ。
お店に通いづらいという部分から、1人で行けば偏見や差別もあるものだった。
そういう過去があるからこそ、
本当の意味で男女平等を考えたなら。
以前からの流れも掘り返す必要が有ると思いますし、ここを交えたほうが、より共感を得やすいと思います。
せっかく気軽に行けるようになったのに。
たったひとりの失言で全部台無しレベル。
え?1人で行きやすくなるって、そこが狙いだったの?
という掘り下げからの、共感の追加も生まれると思います。
そういう意味では、ホント「頭が痛い」んですよ。
また、他店からすると。
言葉に出来ない・・・という感じなのではないでしょうか?
只でさえ感染症の影響から、外食産業は厳しいという状況なのに。
これは、とんでもない追い打ち、とも言える事態である。
そういう一面は相当に強いと思います。
思いの外大きい問題なのでは?
個人の見解の一部、そのポイントを一つ挙げましたが。
これ、只の失言とか、言葉のチョイスで終われないのでは?と。
感染症による現状、そこにある外食産業の厳しさ。
しかも終わるという意味での終息どころか、収まりがつくという収束すらも遠い状況。
ただただ、女性差別とかジェンダーの問題にするだけではなく、現状における外食産業の厳しさや、感染症による個々のストレスという部分に、
ダイレクトかつ、クリティカルにヒットしてるじゃん!
という部分があると思いますし、こういう部分は「無意識に感じてる物にすごく刺さりかねない」と、思います。
だからこそ、多くの人が被害者になりかねない。
結果、感情がすっごく揺れる人も出るのではないでしょうか。
ただでさえ、ストレス過多な状況が数年続いてるので、コレ以上はダメ!っていう防衛的な本能っていうんですかね。
そこを揺らされてしまう。
だからといって、言葉の揚げ足を取るように一点集中しての叩きみたいなのは、ね。
そういうのも無意識とか、ストレスに刺さりますから。
問題をほぐいて、広げて。
この件って、色んな人に影響を与えすぎてるし、現状としてはどうすると良いのか?
どうすればストレスや不安を拭える、ケアが出来るのか?
という、幅広い視点に広げて、
「受けた影響、それも相当にネガティブ」だからこその、ケアを考えないと・・・。
謝罪だー!辞職しろー!企業の責任がー!は、ね。
ぶっちゃけ、民事でもいいから裁判起こせば?なんですよ。
欧米の良いところを取り入れるなら、そこも真似しなさいよ、みたいな。
でも、自分は動かずに社会や他人を変えさせようって人多いですからね。極端に傾倒してる人って。
と。
余談をはさみましたが、事の次第の部分は、責任を取ってもらえば良い。
でも、この件でストレスや、心理的、精神的な負荷を受ける、過去のトラウマが刺激されるという人も、隠れてるけど居るのでは?と思います。
そういう人たちにも配慮するというか。
ケアできる社会にならないと、ストレス社会なんて悪化が加速すると思いますよ?
という問題提起もしておきたいと思います。
苦しんでる人は相当でしょうし、変な刺激を受けて落ち着かない。そんな自分が怖い・・・。
中にはそうあるとは言え、罪を犯したがゆえに、ケアが行き届かない・・・。
そういう、苦しみが深い人も居るんじゃないですかね。
無駄な傷口をえぐらないように。
冷静になる、客観的に見て意見を言う。
すごく大事なんじゃない?
あとがき
ということで、時事ネタに触れつつ、そこから考えられる問題を深掘りしてみました。
これがこう、ね。
HSPという言葉について触れる時に言う、深い処理、というか。
単純に失言、だけではないんですよ。
使われた言葉が言葉だけに、派生とか広がりも大きければ、深いところには心や精神との戦いという部分に行き着きかねない。
ジェンダーどころでは、ない。
そういう問題だと思います。
でもねぇ。感情反応しちゃう人たちが、ジェンダーの問題だけにしようとしてるというか。
流石に、そちら側も冷静にになれ、と。
例えに使った内容は、薬と罪、抜け出す難しさという方にも繋がるとおもいます。
ほんとね?
HSPという言葉に触れる時にも、
「感情に頼りすぎると、視野が狭くなり、問題を見逃す」
感情が大きく揺れるからこその視野狭窄するという事にもふれるようになりましたが、そういう所に繋がる話だとも思います。
生きづらさを感じれるなら。
同じものではなくても、個人としてはうつ病を抱えてる身なので。
精神疾患に限らず、依存症の回復って難しいだろうし、苦しんでる人を生んだのでは?という危惧にすら、あっという間に行き着くんですよ。
身内どころか知り合いにすら居ないわけですがとは。
客観的に見れれば、第三者的立ち位置からでも、
「今苦しんでる人の中には、悪い刺さり方して、相当にきつそう・・・」
というくらいに気づくのも余裕です。
それどころか、深く入り込みすぎてて、辛さや苦しさを想像するだけで、胃がせり上がって「おえぇ・・・」するんですよ。
想像の話でしか無いし、実際に居るかはわかりません。
ただ、今回の事態が関係なくとも。
罪の精算や、病院での回復という部分には負の側面が付きまとう。
そういう要素に繋がる表現をつかったのでね。
だからこそ、人が信じられなくなり、そういう道に足踏み外したというのに・・・
フラッシュバックって、相当にキツイですから。
ただただ、善悪を叩くだけでなく、事態から見える別な問題点にも話を広げて。
心理的、精神的なケアをしたほうが良いのでは?
どうやったら出来るんだろう?
そういう事を考えてくれる人がいる。だから捨てたもんじゃない。
そう思えるような行動をすることで、苦しんでる人に少なからずの安心を与えるという、ね。
小さいとはいえ、届かなかったとしても、ケアにつながればいいなぁ。
うん。
って、あとがきで凄く脱線した感じですが、個人としては、そのくらいに広がってしまいました。
やらかした側には責任がつきまとうでしょう。
でも、責任問題に終止するより。
ネガティブな事態だからこそ受ける影響があるし、それに対してネガティブを与えるだけでなく、ポジティブなもの与えられたら・・・。
もう少し、世の中よくなるんじゃないの?
ホントこう、自分さえ良ければ良い、が。
溢れ過ぎじゃないですかね。
ということで。