【教育メモ】外化する力≒表現力
教育においては「思考する」ことがとにかく重視されてきましたが、教育改革の議論の中で、いわゆる「学力の3要素」として「思考力」だけでなく「判断力」、そして「表現力」にも光があたっています。
「判断力」は自分自身よくわからないところがありもっと勉強せねばですが、「表現力」については仕事絡みでこれまでいろいろ見たり聞いたりしてきました。自分の整理のために少しまとめておきます。
教育学の世界では、表現力を指す言葉として「外化」があり、それと対になる概念として「内化」があります。
●内化(internalization ≒インプット) 読む・聞くなどを通して知識を習得したり、活動(外化)後のふり返りやまとめを通して気づきや理解を得たりすること。
●外化(externalization ≒アウトプット) 書く・話す・発表するなどの活動を通して、知識の理解や頭の中で思考したことなど(認知プロセス)を表現すること。可視化(見える化)とも呼ばれる。
(出典:溝上慎一の教育論)
知識を整理するうえで外化は重要な役割を果たすとされます。ビジネスシーンでも「紙に書くことで思考が整理される」みたいなことをよく言いますが、これは教育心理学的にも正しい行為のようです。そしてこのnote記事自体も外化。
また、外化を自分の頭の中にあるものを表現し、他者に伝えるものだと捉えれば、思考の外化は他者との相互行為だとも言えます。自ら手や口を動かし、他者との相互作用を図る。アクティブ・ラーニング(主体的・対話的で深い学び)を象徴する学習活動として「書く・話す(発表など)」といった外化が位置づけられているのも納得できます。
外化は大切ですが、知識を取り入れる&思考する=内化がなければ、意味のある外化とはなりません。
森は、アクティブラーニング型授業の多くは、十分に思考する間もなく外化が求められ、形だけのアクティブラーニング(外化)になってしまっていると指摘する。内化を十分にとった外化が重要である。また、外化をおこなって「わかったつもり」となる問題点も指摘している。「わかったつもり」から、既有知識の修正や新しい理解をふり返り等で確認し、「わかった」にする外化から内化のプロセスも重要である。こうして、内化-外化-内化を往還させる学習サイクルが提起される。
(出典:溝上慎一の教育論)
内化なくして外化なし。外化なくして内化なし。当たり前と言われれば当たり前だけど、この両者を有機的に繋げられていない学びも世の中にはたくさんある気がします。「表現力」を標榜する学びのプログラムをプロデュースしようとするならば、両者を正しくセットで考えねばならないなぁと思う次第です。