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最後に手紙書いたの、いつだっけ?

最後に手紙を書いた日を、覚えていますか?

私は手書きが大好きです。だから手紙も大好き。
だけどやっぱり、最近はSNSがあるおかげで手紙書くこともめっきり無くなりました。

昨年の秋頃、「ツバキ文具店」という本を読みました。
主人公は、文具店を営みながら、同時に”手紙の代書”を請け負います。
代書の依頼してくる人の状況も、送る相手も、内容もさまざま。
主人公は、依頼のひとつひとつに丁寧に向き合った上で、便箋の柄や紙質をこだわって選び、ペンやインクを選び、言葉を選び、そして文字の形やスピード感をも変えながら手紙をしたためます。
手紙のあたたかな雰囲気を感じられる上に、ストーリーも素敵で、久しぶりに本を読んで泣きました。

読み終わって思ったのは、「そういえば、最後に手紙書いたのいつだっけ?」ということ。

私は小学生の頃、何回か転校を繰り返したため、離れてしまった友達と何度も、それも一人二人ではなく、何人もの友達と手紙のやりとりをしました。
また、同じ学校に通っていて毎日会う友達とも手紙を書いたりもらったりしていたので、小学校3年生頃から小学校卒業まで、たくさんの手紙を書いた気がします。

しかし中学生になり、次第に部活や勉強に追われ、自然と文通の回数も減って、いつしか途切れていたり、あるいは、自分の携帯を持ち始め、LINEなどに切り替わったり。
自然と、手紙を書くという習慣がなくなっていました。

「ツバキ文具店」を読み終えてからそんなことを思い出し、久々に手紙を書きたくなりました。
でも、出す相手がいない。みんなLINEかDMで繋がれるし…。

そんなことを考えていた時期に、私は創作を通じたとあるイベントに関わらせていただきました。そのイベントでお会いした方にどうしても、どうしても感謝を伝えたい!という状況がやってきました。
しかし、連絡先も知らない上に、私が気軽にお会いできるような方ではありませんでした。

そこで私がとった手段は、「手紙を書く」でした。
会社の事務所に送ろう、と、数年ぶりに手紙を書く機会が偶然にもできました。

便箋を選んで買い、私のお気に入りの万年筆とブルーブラックのインクで、感謝の気持ちを綴る。封筒に入れて封をして、住所を記入し、切手を貼って出す。
この”手間”と思える工程の全てが、本当に愛おしい時間に思えました。


ところで、好きな人に想いを文字で伝えようとした時、LINEなど、SNSテキストでの告白って、どう感じられますか?
今の時代、ごく普通のことかもしれません。
しかし個人的には正直、あまり好ましく思えないのです。
これは中学生の時からずっと感じていました。
同級生の恋愛の話を聞いていて、「LINEで告白した、された」というのを何回も聞きましたが、なんとなくしっくりこない。
中学生ながらに、「それでいいの…?まあ、本人たちがいいならいいか…。」と。

その反面、ラブレターは少し憧れちゃうくらいには良さを感じます。
どっちも文字で伝えているのに変わりはないけど、この違いはなんだろう、と考えたときに、思いつくのは”手間”の違いです。

手間、というと少々ネガティブな印象があるかもしれませんが、これは愛すべき手間であるように思えます。
今はこうして、誰かに言葉を届けることがかなり容易ですが、本来ならば大事な想いと言葉を伝えるには、もっともっと手間がいる
だから、大切な恋心を無機質なテキストに任せて、顔も見ず、ワンタップで送れる、ってなんだかちょっと寂しく感じます。


私は、手書きの字には想いが宿りやすいと信じています。
あわよくば、想いだけでなく、時間や雰囲気までも、文字と一緒に残したい。
誰かに想いを伝えるために手書きで文字を綴るという機会はこれからますます減りそうですが、せめて、手書きで感情を綴る習慣はずっと続けていきたいです。


次に手紙を書ける日はいつ来るでしょうか。

波月でした。

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