見出し画像

どうしたら私のnoteは読まれますか?

多くの人にnoteを読んでほしいなら、いっそ「読まれようとすることを」諦める勇気を持つことが必要なんじゃないかな、と最近思う。

めちゃくちゃ矛盾かもしれない。

でも、そうしないと、「読まれるために永遠に工夫をして、読まれなくて、落ち込んで」みたいな負のループから抜けられないんじゃないかなって。


だからこそ、

「だれにも読んでもらえなくてもいい」

「私は私の文章が好きだから、書く」

「今書きたいから、書く」

そのほうが、「書くこと」を継続できるかな、と。

40%くらいのゆるさで書く、誰の意見にもとらわれないnote。

そんなのが、逆によく読まれたりする。
不思議。


それでも...

「それでも、どうしても!
私のnoteを読んで欲しい!!!」

そう思うなら。本気なら。

その文章が読まれるための「圧倒的工夫」を施さないといけない。

とは思う。

でも、できないんだよ。
私も全然できない。

なぜなら、書くこと自体に、体力を使いまくるから。

色々「読まれるためにああして、こうして」とか、疲れちゃうから。

そして何かと、時間が惜しいから。

そしてこれが一番多いのかもだけど...

圧倒的に作り込んで、読まれなかった時に、落ち込みたくないから。

要は、保険をかけてる。
「まだ本気出してないし」みたいな。

そもそも、「書く」ことだけでも大変なのに、それを「読んでもらう工夫」までやるなんて…正直、気が遠くなる。

(本や漫画なら、とりあえず書いておけば、あとはアシスタントさんや編集さんがいい感じにまとめてくれるのかもしれないけど、個人の書き手はそうはいかない)

でも…もし誰の目にも入らなければ、それは、あなたの独り言でしかない。

ううう、思い当たる節ありすぎて切なくなる。

だから、少しでもやっぱり、セオリー通りに頑張る必要はあるんじゃないかな、と思うんだ。


例えば、タイトルを適当につけていた人は、15分猛烈に考えてみる。

「ライター人生を振り返る」というタイトルを、「給料日前・極貧もやし生活をしていたわたしが、ライティングスキルを身につけて銀座の寿司を食べに行けるようになった話。」に変身させてみる。

そうしたら、あらふしぎ。
タイトルにそそられて、記事を読みにきてくれる人がいる。(かもしれない。
私は読みたいなこれ。笑)

例えば、自分よがりの記事を書きがちだった人は、少しだけ「読み手」を意識してみる。

ここから先は

2,055字
この記事のみ ¥ 100

この記事が参加している募集

『ベストセラー作家になる』これが私の夢です。40歳までに形にします。もし、「エッセイ、よかった!」「頑張れ!moon!」と思っていただけたら、温かなサポートをお願いします!有名になって「あの時サポートしたんだ!」と思ってもらえるようにいたします✨(強気!笑)