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美術展『ムンク展―共鳴する魂の叫び』極私的まとめ。

10月27日に封切られたばかりの美術展…

『ムンク展−共鳴する魂の叫び』

…に、先日行ってまいりました!

初ムンクです。けっこう珍しい気がする。

 

調べてみたところ、近年は2007年〜2008年の国立西洋美術館と1997年の世田谷美術館にて開催。

およそ10年に一度のペースで回顧展が催されている計算ですね。

因みにその際は、かの有名な『叫び』の展示はなかった様子。
※西美ではスケッチは展示されたようです。

 

今回の開催地は、東京上野の『東京都美術館』。

上野は平日なのに大変混雑しています。

上野の森では『フェルメール』、西美では『ルーベンス』の会期中だからね。。。

・・・と思ってたら、人の流れや聞こえる会話の端々に注目すると、どうもお目当てはシャンシャンのようです。パンダおそるべし・・・。

 

「叫び」、来日。

うむ、確かにムンクといえば『叫び』。
逆に、『叫び』以外はよく知らない。フフフ。

 

実は、『叫び』は様々な手法で複数制作されており、現在5点の存在が確認されている。

今回展示されているのは、ノルウェーはオスロ市にあるムンク美術館所蔵のテンペラ・油彩画版『叫び』。

まぁ、5点のうち1点は個人保有、1点はリトグラフ版で白黒、残りの3点『油彩画』『パステル』『テンペラ・油彩(今回)』のどれかが次に来日するのは果たして何年後か・・・

これは「生涯、最初で最後の機会。」と言っても過言ではないですね。

 

天気がよろしおすなぁ。アート日和ですね。

・・・ま、館内へ入ってしまえば天気は関係ありませんが、そこはほら、所謂ですね。

気持ちのノリが違う。

ということで、どうかひとつ。ご理解ください。どうも、ご自愛ください。

東京都美術館エントランス。

昨年の「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」以来、ちょうど1年ぶりの来館。

封切り間もないこともあり、館内は大盛況。

 

さて、展示物を撮影するわけにはゆきません。
しかし、ムンク作品は没後70年を過ぎた2015年にパブリックドメインとなっております。

以降は数点作品を紹介しながら、毎度のことながら、本展で学んだ事、ムンクが『叫び』を含む連作『生命のフリーズ』を描くに至った半生についてまとめてみます。

ここからが腕の見せ所。っつってね。頑張ります、はい。
長文覚悟しとけよ、おらー!っつってね。

 

 

エドヴァルド・ムンク(1863-1944)

1863年、ノルウェー。

医師の父のもとに生まれたエドヴァルド(以下、ムンク)は、首都クリスチャニア(現オスロ)にて4人の姉弟と共に幼少期を過ごしますが、5歳のときに母を、13歳のときに姉を、結核で失います。

幼少期に直面した、この『死』『不安』『孤独』こそ、その後の彼の作品を決定づけることとなるわけです。

また狂信的なキリスト教信者であった父は厳しく、後のムンクはその頃をこう語っています。

病と狂気と死が、私の揺りかごを見守る暗黒の天使だった。」

 

ムンクは、少年時代より画家を志していましたが、父の反対にあい、ようやく説得に成功した17歳の冬に王立絵画学校に入学。

《1882年・自画像・油彩》

その後、ボヘミアニズム(規律や習慣に捕われない、奔放かつ解放的な感じで、すっげー自由な生き方を追求するぜ、みたいな考え。親父さんの反動かな…)を謳う前衛芸術家グループとの交友や、見学で訪れたパリで見たマネの絵画の影響を多分に受けますが、世間の評価は散々たるものだったそうな。

 

1889年。ムンク、25歳の秋。

奨学金を獲て、パリへと留学したムンクの元に、その年の冬、訃報が飛び込みます。

父、クリスティアンの死。

再び、あの『死』と『不安』と『孤独』がムンクを覆います。
常に死が寄り添う人生…その意味を問うようになり、自殺を考える程追い込まれたそうです。

ムンクはその頃、手帳にこのような走り書きを残しています。

「これからは、室内画や、本を読んでいる人物、また編み物をしている女などを描いてはならない。
息づき、感じ、苦しみ、愛する、生き生きとした人間を描くのだ。」

愛と死がもたらす言いしれぬ不安・・・後の『叫び』を含む連作『生命のフリーズ』の着想の発端となったと考えられています。

 

印象派・ポスト印象派・ナビ派など、パリの先鋭芸術との出会いはムンクに大いなる影響を与えました。

余談ですが、ムンクは数多く自画像を描いているのですが、何作品か見ているうちになんだかゴッホに似ているような気がしました。色使いなのかな?タッチはそんなに似てない気がするけど。
時代も場所も重なるので、もしかしたら出会っていて影響を受けたのかなぁ、とかドキドキしてしまいました!

《1923年・家壁の前の自画像・油彩》

 

1892年、ムンクは自身の個展にて連作『生命のフリーズ』より『接吻』『不安』などを、初めて披露します。
最初は酷評の嵐で、個展は1週間で打ち切られますが、以降、賛否両論ながら徐々に愛好家を増やしていきます。

そして、1893年。最初の『叫び』が生まれます。

『叫び』は、中心の人物が叫んでいるように見えますが、そうではありません。

「太陽は沈みかけていた。突然、空が血の赤色に変わった。私は立ち止まり、酷い疲れを感じて柵に寄り掛かった。それは炎の舌と血とが青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、自然を貫く果てしない叫びを聴いた。」(一部略)

この作品は、ムンク自身が体験した『自然の叫び』に耳を塞いでいる様を描いています。

ディフォルメされた人間は、ナビ派の影響なのかもしれませんが、現在はパロディシンボルとして一種のキャラクター化してしまい、本来の言いしれぬ不安感・絶望感をすくい取るのは困難に感じました。

しかし、鮮やかな朱と、欄干の直線に反するように大胆に波打つ自然の輪郭からは、今にも自分を飲み込もうとしているような不安定な世界を暗示しているような気さえしてきます。

《1893年・叫び・油彩》
※今回展示されている『叫び』ではありません。

自然とは目に見えるものばかりでなく、魂の内なるイメージだとムンクは考えます。
まさに自然に「共鳴する魂の叫び」。

 

ムンクはその後も、今回の回顧展にも展示されている『吸血鬼』や『マドンナ』など様々なテーマの作品を複数回にわたって描き、1900年代初頭には連作「生命のフリーズ」を完成させ、画家として大きな名声を手に入れました。

一方、精神的不調は深刻化し、一時は精神病院に入院したり、眼病に苦しめられ絵が描けない時期もありましたが、1944年、満80歳でこの世を去るまで画業を続けたそうです。

《1940-43年・自画像、時計とベッドの間・油彩》

 

絵を見て回る中で、こんな言葉がありました。

「絵画を説明することは不可能だ。他に説明する術がないから、その絵が描かれたのだ。
心を打ち明ける必要に迫られて、生み出された芸術でなければ、私は信じない。
芸術とは生きた人間の血なのだ。」

表現主義の画家と位置づけられるムンク。

生と死の狭間を、右へ左へ大きく揺さぶられながら歩む人間の不安定な道程に時折瞬く『愛』や『悲しみ』を切り取ったような、エモーショナルな作品の数々。

時に危うく、いつ崩れ堕ちるかもしれぬ側面を抱えながら、人は何かに縋って生きていることをまざまざと感じさせられました。

 

 

《1922-24年・油彩・星月夜》

 

ムンクに触れれば、あなたにも耳を塞ぎたくなるような『自然の叫び』を耳にする日がくるかもしれません。

ムンク展は2019年1月20日まで。
この機会を是非お見逃しなく!

 

※ムンクの絵画は2015年よりパブリックドメインとなっております。

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