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比べてはいけない事がある
※このnoteは私の愚痴が強く出ています。苦手な方は避けてください。
どれだけ成長したか。どれだけ達成したか。
ある程度の指標を作り、比較しながらやっていくことで、目標にたどり着くのは大事である。
でも、あの人は五体満足なのに、死にたいと思っている。贅沢だ。とか、
あの人は裕福で不自由なく生きてそうなのに、不満ばかりだ。とか、
比較してはいけないことがある。
念のため書いておくが、これはただ思いついた一例であり、私が常日頃抱いている不満ではない。
朝ドラの「おちよやん」であったが、「その人の苦しみはその人しか分からない。」といった内容のセリフに、私は少しうなずいた。
人にとっては大したことでなかったり、贅沢な悩みだと感じても、本人にとっては大変なことであり、現在進行形で悩んでいる。
その苦しんでいる人に対して、他と比較し、あなたの悩みは大したことないと伝えるのは正しいのか。逆に、自分で他にもっと大変な人がいるから、頑張らねばと、己を気持ちを無視するのは正しいのか。
時と場合によっては、正しいこともあるだろうけど、あまり正しいとは思えない。いつまでもくよくよ悩んでいる時には必要かもしれないけど、大体苦しんでいる最中に、他と比べられて、自分の気持ちは無視される。
骨折している人に、「地雷で足が無くなった人だっているんだ、骨折くらい大したことじゃないよ。さっさと立って歩きなさい。」という人はこの世界にどれぐらいいるだろうか。(紛争地域ではあるかもしれないけれど、今はそういうことを言いたいのではない。)
大体の人は、骨折を手当したり、肩を貸したりするのではないだろうか。
心の病気だって、同じだと思う。なのに、日本には骨折した箇所を金棒で殴ってくる人間が多い。しかも、悪いという意識もなく。(むしろ励ましていると思っている人だっているだろう。)
そして、自分でも同じことをやってしまう時がある。身体には傷をつけないタイプの自傷行為のように、私はこれを何度もしてしまった。目指す目標にたどり着けない自分が嫌で、何度も何度も、粉々になっている心を踏みつけた。
でも、もし今、心の病気で苦しんでいる人が居たら、そこまで自分を追い詰めなくて良いんだと言いたい。生きているだけで、合格点なんだと伝えたい。
出口の見えない日々は、本当に辛い。想像してもできないほど、辛い。これは、本当になってみないと分からない重さだと思う。
でも、だけど、他のと比較して自分をいじめるのを止めて、悪意の無い金棒を避けられる日が来る。そうしていくと、段々とのしかかった重さが軽くなり、息が少しずつできるようになる。