菊池へ行きました。
九州は春の嵐で、桜もほぼ散ってしまいました。
私は平安中期のことを追いかけているので、南北朝には疎いのですが、仲良くして下さる方々が南北朝愛好者が多いので、私も記事を目にする機会も多くなりました。
九州には史跡が多いですし、懐良親王とともに戦った菊池武光は藤原隆家の子孫というではありませんか。
というわけで、行ってきました。
鞠智城跡
福岡から南下。久留米を抜けると少しのどかになるのですが、山鹿に入ってくると、町並みが賑やかになります。
そこからさらにまた山の方へ。鞠智城跡にまず行きました。
菊池には、7世紀頃にかなり大きな要塞があったようですね。
ちなみに、朝鮮式の山城の跡が久留米や八女、そして、九州各地に残っています。
九州の武勇の一族の一つ菊池氏を生む土台は十分にあったのでしょう。
刀伊を撃退し、武士が政治を動かす力を持っていく。
九州の地から、この一族は都や東国をどのように眺めていたのでしょう。
朝鮮半島が東国より近い彼らは、違うものが見えていたかもしれないと想像を膨らませてしまいます。
藤原隆家の末裔
実のところ、菊池氏は藤原隆家の子孫ではありません。
藤原隆家と懇意にしていた賢人右府と後世につたえられる藤原実資、この実資の荘園筑前の高田牧の牧司として管理していた藤原蔵規(ふじわらのまさのり)、彼は刀伊の撃退に活躍しています。
蔵規の子則隆、孫蔵隆は、藤原隆家の二度目の大宰府赴任の頃には、隆家に仕えていました。
そもそも蔵規も、隆家を助けるために牧司として筑前に下向した可能性があるようです。
異国の強敵と戦った絆は、筑紫の地でより強いものとなったのでしょうか。
いつしか隆家の末裔だと伝えられるほど、隆家が菊池氏とって偉大な人物であったかも知れないと思うと、隆家が好きな私は嬉しくなります。
訪れた日は桜が満開でした。
参考
関幸彦『刀伊の入寇』中央公論社 2021年他