雨と書店とセレンディピティ
こんばント・ファン・ゴッホ
ず〜〜っと雨でしたねえ
今日は祝日。
ここ数日の寝不足を払拭。
目覚め時計を見やれば正午、1時間後に迫る約束。
準備 Ready 待たせねえLady
ランチ 代々木 競技場はあっち
Shall we watch ワールドカップのビッグマッチ
韻はいいんですわ。
サッカーも観ませんわ。ごめんあそばせ。
今日はオフ会的なもの、趣味友達との同窓会みたいなことをしていた。
いまその帰り道。
久々に(元)推しについて語り合い、笑い合い、そういう場所でしか出ない自分や相手のリアクションが新鮮で楽しかった。
やっぱりこういうのは良いな。
天候の都合上、今回ほんとうにやりたかったこと(集合の目的)を次回に見送ったので、年が明ける前にまた集まれたら良いな〜と思っている。
その後、たぶん1年以上ぶりくらいに、紀伊國屋新宿本店に行った。地下街の店がほぼクローズしてるだけで、本体はほぼ平常営業だったのね。知らなかった。
書店 a.k.a 本屋。
引っ越す前は、家の目と鼻の先に街の本屋としてはかなり大きい部類のものがあったのだけれど、引っ越した地域では最寄駅にも地域のターミナルである隣駅にも大きな総合型の店がない。
前のところ、10年住んでたけど、あれは東京の当たり前というわけじゃなかったんだなあ。引っ越してみてはじめて気付いた(バスで行ける距離なのでこれからもちょくちょく行くつもり)。
そんなこともあって、紀伊國屋新宿本店のデカさ、あらためて、いまさらすぎるけど「かなりスゴい」と感じた。
先立つものはスペース……
本(との出会い)って、「これが欲しい」が先立つことも多いけど、やっぱり、かなりセレンディピティ的な要素の強いものだと思う。あれこれある有象無象、玉石混交の本の中から、タイトルや装丁、ポップに惹かれて手に取る。
今日は絵本コーナーにかなり長居した。
絵本は良い。
界隈に詳しいわけではまったくないけれど、ヨシタケシンスケさんの作品は、子どもの頃のフリーダムな発想や奇想天外の妄想、単純さを思い出させてくれると同時に、「なんで大のおとな(作者)がこの感情と発想を再現できるの?」と思えてすごい。
読み聞かせる側のおとなに大変な労力がかかりそうな仕掛けの絵本*1 とか、SDGsや多様性、性に関する絵本がたくさんあるかと思えば、従来の価値観やマナーをなぜか女児だけに対しガイドする児童書*2 を見てモヤリと仄暗い気持ちになったりする。
*1
『この本はよまれるのがきらい』、おとなが内容にしたがって色々アクションしないといけない系のエンタメ。読み聞かせという行為そのものが、年月が経ってから振り返って愛情を感じる、という種のものだけど、これはそういう記憶にさらに彩りを与えてくれるんだろうな、と思った。巻末の作者のことばみたいなのもひっくるめて、あったかくて良い。
*2
ステキ女子になんたら〜とかそういう感じの指南書の体をしたやつ
自分に向けられたものでなくても、いろんな感情を持ったり考えたりできる。
品揃えの良い実店舗の本屋じゃないとこうはいかないので、やっぱり生活圏内にこういう施設があるとないとでは、全然違うよなあと感じる。
とはいえ、本はもはや安くてアクセシビリティの良い娯楽ではないから、紙の書店は、なかなか明るい展望は持ちにくいとは思う。正味電子書籍の方が合理的な場合もある(紙の本が合理的な場合もある)のだけれど、せめてそういう書店の現実は胸に抱きつつ、使い分けなどしていきたい。紙の書店がある限り。
(とかいって新宿みたいな都市は良いわな。本当に深刻なのは栄えていないところ…)
〜帰宅〜
今日買ったのはこの1冊
日記で書いていない期間にアイラウイスキーを色々飲んで、自分の好みの方向性は分かったのだけれど、ここらで一旦こういう知識的なところで俯瞰してみようかなと、あくまで紀伊國屋でこれが目に入って思ったわけ。
セレンディピティーーーーーーーーーー!!!!!!パーーーーーーーーーーーーーチェス!!!!!!!!!!!!
衝動買いの時に技名としてお使いください。
おわり