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弘前ぶらり旅:旧五十九銀行本店本館・弘前城(2024年12月29日)

  #弘南鉄道 #大鰐線#大鰐 から #中央弘前 まで急ぎ引き返してきましたが,降雪は増すばかり。もはや,乗車してきた電車さえも見えなくなっていました。ここから滞在先のホテルに戻ってもよかったのですが,どうせ同じ距離を歩くなら #弘前城 まで行ってみようという気持ちのほうが勝ってしまい,城下へ向かいます。


1.旧五十九銀行本店本館(青森銀行記念館)

 中央弘前駅から見れば北西側,弘前城の南西側に位置する #親方町 (おやかたまち)は,近世前期に「町親方」と称した町年寄が居住していたといわれる場所です(『日本歴史地名大系』,弘前城下)。ここに, #旧五十九銀行本店本館 (青森銀行記念館) というレトロな建物があります。この建物は,もともと #第五十九銀行 本店の本館として使われていました。

青森銀行記念館(旧五十九銀行本店)
(2024年12月29日,著者撮影)

 「五十九」とは, #国立銀行 の設立順を表します。 #明治政府 は, #近世#両替商 に替わる近代的な #金融機関 として,1872(明治5)年に #国立銀行条例 を制定します。1876年には,これを改正し,全国的な国立銀行の設立を奨励しました。

廣重 畫『東京開化三十六景』より「第一国立銀行」,佐藤又兵衛,[18--]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2542937 (参照 2025-01-02)

 「国立銀行」といっても国有・国営の銀行ではなく,「国の定めた規則によって作られた銀行」という意味合いを持ちます。そして,およそ当時の地域経済圏ごとに1行,合計153行が設立されました。このため,現在の #地方銀行 には,国立銀行にルーツを持つものが少なくありません。

第十五国立銀行の一円券
(2023年12月9日,お金と切手の博物館にて著者撮影,承諾済)

  #第五十九国立銀行 は,1878年に旧弘前藩士族の金禄公債を資本金として設立されます。1897年には国立銀行の役割を終えて,私立銀行の第五十九銀行と改称します。さらに,戦時に県内銀行の合併で #青森銀行 となり,現在は #青森みちのく銀行 と名乗っています。
 その本店は,いまの青森みちのく銀行親方町支店の土地に建てられていましたが,1965(昭和40)年に取り壊しの際,市民からの保存要請を受け,西側へ50m #曳家 されて現在地に移転しました。土蔵造りだった銀行の建物が現存するのは,非常に珍しいので,弘前で観光する価値は十分あります。あいにく年末年始の休館に遭って,見学できませんでしたが,それゆえに弘前を再訪したい気持ちが募ります。

2.弘前城で「遭難」

 ここからは,いよいよ弘前城の郭内へ入っていきます。曲輪の名前がいろいろ登場しますので,案内図を貼り付けておきます。

弘前城の案内図
(2024年12月29日,著者撮影)

 旧五十九銀行本店本館から #青森地方裁判所 弘前支部を過ぎると,弘前城の #三の丸#四の丸 を囲う #外堀 が見えてきます。そして郭内へは,南側の #追手門 から入ります。

追手門と外堀
(2024年12月29日,著者撮影)

 追手門をくぐった三の丸南西部には,戦後の1948(昭和23)年に #弘前市営球場 が設置されました(1979年撤去)。現在は #弘前公園#市民広場 になっていますが,この日は当然ながら雪に埋もれて何も見えず。
  #中堀 を渡ると #二の丸 に入りますが,堀自体が凍ってしまい, #水墨画 のようなモノトーンの世界が映し出されていました。二の丸にある #弘前城情報館 では,弘前城が建設された背景がCGで解りやすく展示されています。

三の丸と二の丸を結ぶ杉の大橋から臨む中堀
(2024年12月29日,著者撮影)

  #内堀 を渡って,いよいよ #天守 へ。記録によると,弘前城の天守がおよそ完成したのは1611(慶長16)年ですが,それから16年後の1627(寛永4)年に落雷で焼失しました。その後,天守の再建は1810(文化7)年まで待つことになります(弘前市立博物館編[2020]『絵図で見る弘前城のうつりかわり』弘前市立博物館講演会,2頁)。

天守内の弘前城史料館は年末年始の休館でした。
(2024年12月29日,著者撮影)

 こんな大雪の日に,本丸まで登って天守を見に来ていたのは,中国と東南アジアの人々のみ。なかには,一脚にスマホを付けて立て,#YouTuber をやっている外国人もいました。
 往路と違う道で帰りたがる私は,このあと「 #東門 」へ向かって歩いていたつもりでしたが, #ホワイトアウト の光景に方向感覚を失ってしまい,「遭難」状態に。やっとの思いで出口まで辿り着くと,そこは「 #北門 」でした。

「北門」からようやく脱出
(2024年12月29日,著者撮影)

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