はたらくことへの背中を押してくれたお義母さんのことば
昨日は息子が来月から通う保育園の面談があった。半休をとって仕事を切り上げてきた夫と駅で合流し、保育園へと向かう。
これから息子が通うことになる保育園は、2歳児クラスまでの小規模保育園。4月時点で月齢9ヶ月の息子は0歳のさくらんぼさんクラスになる。ビルのなかにあるちいさな園で、小規模ながらののんびりした雰囲気が流れている。
わたしはいま仕事をしていないので、求職者として、まずは時短保育で預かってもらうことになる。この状態で、このご時世で預かってもらえるのは、なかなか希なことだと思う。
そして、0歳から保育園に預ける、ということにはいろんな意見があると思う。わたしが子どもを預けて働きたいと思った理由は色々あるけれど、こんなことがあったから。
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専業主婦、という立場は結構きついんだとやってみて実感した。時間は、あるといえばある。でも、自分のための時間は、そうそうない。家事も育児も、嫌いじゃないし、料理はむしろだいすきだ。でも、やっているからといってそれは何か評価されることでもないし、求めてはいないけど見返りもない。
夫の稼ぎから、生活費と自分のために自由に使える分をやりくりしている。でも自分が稼いだわけじゃない、と思うと新しいシャツひとつ買うのだって、なんだか後ろめたい。服がすきだったわたしのクローゼットの中はいつのまにか、会社員時代に買った服と、あとはユニクロの服ばかりになった。(ユニクロの服だってもちろん立派です。)
こどもの寝かしつけが終わったあとに帰ってくる夫にご飯を作って一緒に食べてそのあとお皿を片付けて離乳食のストックを作って次の日のお弁当用のお米を洗って翌朝のタイマーをセットして、次の日の天気を見て洗濯機のタイマーをセットして…
ふと、横を見るとご飯を食べ終わってくつろいでそのままソファで眠った夫がいた。夫とは以前おなじ職場で働いていたから、大変さや責任の重さも、想像できる。疲れているよなあ。何か手伝ってほしくても、つきまとってくる後ろめたさがわたしを怯ませる。
別に夫は料理や家事を強要しているわけじゃないし、わたしが好きだから、やっていると思っているし、それは間違いではない。つくったごはんを食べて喜んでくれるのは確かにうれしいし、家族のために家のことをするのも、悪いことじゃない。生活は決して余裕があるわけではないけれど、家計をやりくりできる分のお金を稼いでくる夫にも感謝している。でも、なんかもやもやする。
妊娠して仕事をやめて引っ越して結婚して出産して。わたしにとっては激動の変化だった。夫にも変化はあったはずだけれど、これまで通り働いて、なんの後ろめたい気持ちもなく健やかに飲み会に出かけていく夫を見ていると、羨ましかった。卑屈な気持ちがじめじめとわたしを侵食していく。
そんなときに、わたしのもやもやとした気持ちを晴らしてくれたのが、夫のお母さんだった。
車で1時間ちょっとの距離にある夫の実家。息子が産まれてからは1ヶ月か2ヶ月に1回ぐらいのペースで遊びに行っている。
わたしは、世の中で言われている帰省ブルーとは無縁の恵まれた嫁で、遊びにいくとお義母さんと4歳年上の義妹さんにいつも大いに甘えさせてもらっている。
お義母さんはシングルマザーで夫を含む3人の子どもを育てた。教員として働いて、子ども全員を大学まで通わせた。きっと生活は想像を絶するような大変さだっただろうと思う。それにも関わらず、お義母さんはいつもしなやかで、少し天然で、とても生き生きとしている。いまも臨時で小学校に勤めながら、近所の大学の生涯講座で出席したり、友達とバンドをしたり、いつも楽しそうにしている。
みんなでご飯を食べていたら息子を見つめながら、それとなく、お義母さんがこんなことを言った。
「可愛いけど、ひとりで育児するのってしんどいことだよね。可愛いんだけどね。わたしは働いていたからこそ、子育てできたんだと思う。」
「わたしは、こどもたちが0歳から迷わず働いたよ。」
おせっかいでもなく、教訓めいたことでもなく、あくまでもさりげなく、察するようにおかあさんが爽やかに放ったそのことばが、わたしに勇気をくれた。
働く母として、立派に自分を生きてきたひとのことばだった。
わたしは、お母さんで、妻だけど、でも、わたしはわたし、だよなあ。
わたしがお母さん・妻としてだけでない、自分を生きることは、きっと息子にも、家族にも、良い循環を生み出すんじゃないか。
ふと息子を見ると、わたしと夫以外に自分だけを100%暖かい目で見つめてくれる存在に囲まれて、いつもと違う反応を見せた。
いろんな人のなかで育つことが、息子にとって、わたしにとってもいいのかもしれない。
もやもやとしていた心がすうっと晴れていくようだった。
たぶん、お義母さんのことばはわたしだけじゃなく夫にも入っていった。夫に息子を保育園に預けてまた働きたいと伝えたときも、自然、積極的に応援してくれた。それだけでなく、なんとなくいままでやりたがらなかった部分の家事や育児に積極的になってくれて、ちょっとしたことに対しての「ありがとう」「ごめんね」のことばが増えたような気がしている。それはわたしの心をだいぶ、軽やかにしてくれた。
母のちからは偉大である。
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保育園でひととおり説明を受けて、園のようすをみせてもらう。あまり人見知りをしない息子は楽しそうに先生やほかのこどもたちに愛想を振りまいている。
これから、ここで生活するようになるのかあ。息子の新しい世界を想像して、楽しみな気持ちと、知らない間に成長していく息子を思うと少し、切なくなった。
園をあとにして、夫と一緒に駅前のスーパーで買い物をし、帰路につく。
夫は「平日の駅前ってこんなに人いるんだなー」なんてブツブツいっている。
いつも息子とふたりで過ごす日常に夫がいるのが不思議な感じがして、ちょっと嬉しかった。
これからわたしたち家族は新たなステップへ進む。新たなしんどさもきっと出てくるだろうけど、模索していきたい。
わたしはというと、まずは仕事を探さなきゃだけど、久しぶりに自分自身に向き合う時間を楽しんで、前に進んでいきたいと思う。
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