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系図 の はなし

武満徹の『系図-若い人たちのための音楽詩-』
より、第6曲《とおく》を練習しています。
今日ははじめてのリハーサルでした。
とんでもなく難しい曲で、やんなっちゃう!けど
最後の最後に涙が止まらなくなってしまって。

音が美しすぎて、美しすぎて苦しいなんてこと、
生きてればあるものなのですね。

どの音か忘れてしまったけれど、管楽器の凄まじい
和音を聴いた瞬間、迷いも疑いもなく、まさに。
ワタシはこの音を聞くためだけに、
十年間ここで音楽をしたのだと、
本気で思ってしまえたことがなんだか、そう、
その心のありさまがあまりにも美しくて。

まるでワタシじゃないようで。

今もなおこころがざわついています。

私多分、少しおかしいのです。
心の底から音楽を愛しています。

ただしかし、音楽が音楽じゃなくても、
例えば音楽に成る前のなにかであっても結局一様に
愛せてしまうんですから。

世界のすべてを愛しているのでしょうか。
きっとそうなのでしょう。おかしい。
でもそんなに心が広くないからいつか、
空か海か山か神様に、なりたいと思っています。

それはそうとその音は、系図の話ですが、
オーケストラはその感動的な音を発するための
機関であり器官であり...のようなものではなく、
まるで私たちが生きていて、生きていたから、
歌いたいから歌った歌のようにあまりにも自由で
複雑ながら無垢な響きでした。ピュアや。

今はあまりにも心が落ち着かないので、
テレサ・テンの『ノスタルジア』を聴いています。

生きていて苦しいことが、生きていて恥ずかしさ
すら覚える日々です。
人からの愛を受け取ることが苦手です。
そういう場合に限ってうまくいかないのです。
うまくいかないのです。
どこかで、愛されてはいけないなと思ってます。
私に言葉や涙や、ある種美しさの才能があったと
しても、つまづいたことを罪だと思っていて
そんなことは決してないはずなのに、
愛されることを突っぱねちゃってます。

いらない言葉ばかり生まれてしまいます。
原子の願いは涙にしか宿らず、
それを伝えきれなかったことを忘れてしまう。
ずっと空中に私が散っています。
そんな私は、どこに行けばいいのだろう。
どこまで歩けば生きてていいのかな。

そんな時、声にならなかったうずめきが、
とおくから微かに聞こえるのです。
体温や色を持っているのでしょう。
私はそれを形にし、写し、えがきだします。

《とおく》はそんなうずめき→うずめき、
果てのない展開のすべてで。


武満徹にこんなこと思ってるのきっと、
私くらいかもしれません。
ちょっとメンヘラすぎるかな!?
生きてることを祈らなければいけない人生なんで
しょうがないのですけれども、ちょっと難しい、
そして本当は生まれ変わりたい。

血の通いすぎている人間を生きるためには
たくさんのクソみたいな夜が必要です。
悪夢におびえて眠れなくても、
全部を愛してしまえて苦しくっても、私には
私にはこの曲がある。
この曲がある世界があって、歌うための体があり
楽器をしっかり手に持っている。


系図、家族の曲のわりにはだいぶ冷たくて。
おじいちゃんもおばあちゃんもおとうさんも
おかあさんも
まるで他人のように描かれています。
あるいは得体のしれない生物として。

でなんで系図?Family Tree?と結構悩んでまして
今のワタシは、他人は他人なのだ。
人間はきっとひとりで生きてくしかないのだ。
私はワタシを、あなたはあなたを
生きていくしかないのだ。
そしてその営みが、気づきが、人間が、
長い月日の中で育まれ、連綿と受け継がれる。
意図の全くない、無自覚のバトンパスを武満は
美しいとしたのではないかと、踏んでおります。

そうしてひとりだと気づいた少女は、
そう、少女は、一人で歩いてゆくのです。
いつのまにかおばあちゃんになって。
誰かを愛して、とおくまで。

いつ振り返っても素晴らしい曲なのだろうけど、
人と人と生きようとして、灰汁に苦しみ、
何度も川へダイヴ!(身投げ)を考えた18歳の最後に演奏できることを、とても光栄に思います。
しかもコンミス!頑張ろうね


本番泣いたら恥ずかしいので、今日いっぱい
泣いておきます。今も涙が止まらない。
ね、テレサ・テン!


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