焼酎一杯のために濁流に飛び込む男がいつの日か祀られるまで
お酒にまつわる話題は虚実ない交ぜいっぱいありますよね。中薗商店でもありました。令和四年は空梅雨のようですが、雨と酒にまつわる話を一つ。
祖母がまだ現役で中薗商店の店番をしていたときのこと、梅雨の長雨・大雨で中薗商店前の川は激流と化していました。
この川は、普段は穏やかで、集落では佐野川と呼ばれ、地図上では野崎川、しばらく流れていくと広瀬川、そして南薩摩を横断する万之瀬川を経て東シナ海へとつながっています。
アタイが川に飛び込んだら焼酎を一杯飲ましっくいやい。
中薗商店をたまに利用する近隣集落のおっさんが祖母や店にいた近所のマダム衆たちにそう告げて川へ向かったそうです。
激流に飛び込む勇気自慢の対価として一杯の芋焼酎がどれほど釣り合うのか、考えれば絶望的になりますが、雨で仕事にならず昼間からできあがっていたのかもしれません。
ちなみに、薩摩男児は自分のことを「オイドン」とか「オイ」と称することはご存知かもしれませんが、目上の人に対しては「ワタクシ」「ワタシ」の意味で「アタイ」を使っていました。使用例としては、うちの父は集落の寄り合いの後は「アタイげえ来て飲まんな」とみんなを誘っていました。晩年、父が年長だったりすると「オイげえ来え(けえ)」という命令口調の誘い方だったように思います。
(げえは「家」です)。
とにかく、昭和の不良少女のような一人称で、長いスカート引きずってたのんびり気分じゃないわねと、後年の名曲を知らないおっさんは川へ向かったのです。
そんな昔話を祖母から聞かされ、停電でゆらゆら燃えるろうそくを前にし、小学生の私は怖くて仕方ありませんでした。
川に飛び込んだおっさんは下流の豚小屋付近で救出されましたが、褒美の焼酎を飲みに中薗商店へ顔を出すことはなかったようです。出稼ぎで県外に出て、それっきり戻ってこなかったと…
三百年後にあのおっさんが、酒と川の神様として祀られ、芋と米の豊作を願う「激流飛び込み祭」が開催されるようになるまで、語り継いでいこうと思います。