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密度の高い沈黙ができたものの……。
2024年に入ってから、かなり明確に「セリフを言ったら負け」「なにかをしたら負け」という原則に従って演劇を作っている。
次回公演『香典帳清書の書き手』は、話の筋と登場人物や、それぞれの立場などについてが決まっている状態で、実はどんな風に台本を書いたものか迷っている。
ここまでの稽古で、各々の設定に従って会話ができることはわかった。
「近所の豆腐屋の豆腐の味について」という話題の中心があって、それに対してのスタンスが決まっている場合に、どんなことを口走るか、誰にどんな反応をするのかは、話題に対するスタンスと人物間の関係性、ヒエラルキーがはっきりしていれば、かなりスムーズに即興的なやり取りが成立する。
最初は説明的なことを口走ったとしても、「セリフを言ったら負け」と「なにかをしたら負け」で、発する言葉自体も刈り込んでいくことができる。
「あそこの絹豆腐には味がない」という発端となる言葉が切り出されてから、全てを反応でつなげていく、約2分程度の会話は十分にバリエーションも出ることがわかった。7人であれば、自然に会話する人間が割れたり、誰かの発言に対して、「えっ?」と全員が同時に反応して止まる瞬間も自然に発生する場合がある。
ここまでは、これまでの稽古でできたことの確認なので、実はここからが本題。
この会話の間は、演者の誰を見ても会話自体と自分自身のスタンスについて明確な距離感を保って存在できている。だがこれは、普通に会話に参加する気のある人としてそこに存在できているだけだ。
そんなわけで、稽古は次の段階に移行する。
言いたいことはあるけれど、それを言わない、言えない場合、言いたくない場合はどうなるものだろうか。
以下の様な流れのシーンを作る
Aがテーブルの上の袋を見ている。袋の中には書道の道具が入っている。
Aは、女に字を書いて欲しいが、同時に頼み方を間違えれば、字を書いてもらえないことも理解している。
Aが袋を見ているところに女が登場する。
Aは、女に字を書けとは切り出せない。
テーブルの上には袋が放置されることになる。
Aは女にかける言葉を探して黙る。
女は袋の中身を見て、書道の道具だということを確認し、この部屋を出る。
周辺の事情
とある田舎の村。
どこかの家の部屋。
葬式の片付けの最中、Aはこの家の親類か、もっと近い家族の誰か。
Aは、座敷を片付けていた。
女はこの家の長女。今は結婚して県外で暮らしている。
女はかつて書道をしていたが、今は字を書いていない。
言葉の選び方
Aは、女が現在字を書いていない詳しい事情は知らないが、字を書いて欲しいと頼んでも、確実に断られると考えている。
話をややこしくしないために、女が袋の中身を確認しようとした時に、ことさら誤魔化すことはしない。
女は、何気なく袋の中身を見るが、字を書くことを辞めたこと自体にも触れる気は無いので、Aがこの場所に持ってきたであろう袋の中身が書道の道具だったということについても、どんな思考も感情も共有しない。
Aも観客も、女の態度にわずかに忌避を見出す可能性が生じるだけで良い。
言えない、言わない、共有しないとなれば、そのための沈黙は必然的に生じる
戯曲があるなかで沈黙を起こすとなると、どんなに十分なつもりでも、意外と言葉の裏付けが足りないために、沈黙自体の密度が出ないことを実感することが多い。
密度のある沈黙は意外と難しい。
黙るだけ黙ってみようということになっても、そうなると沈黙を起こすこと自体に注目することになってしまい、なかなかうまくいかない。
テキスト経由でやりにくいことを実現する手法を得たということでもよいのだけれど、模索はあくまで、テキストの立ち上げ方の範囲を広げるためのものだ。
今回は稽古中にかなり意味のある沈黙を起こすことができた。それはひとつの成果なのだけれど、実のところ問題はこれを台本にするときに、どう書いたら良いのかということだ。
一緒に稽古していない人にも、戯曲を手にした他の役者や演出家にも、同様の沈黙を選び得る可能性を、どの様にテキストに移したものか、稽古は進んで成果は出ているものの、実はまだ「どうやって台本を書いたらいいのかわからない」フェイズのままだったりして、かなり困っている。
血パンダでは、淡々と稽古の様子のYoutubeで配信しております。
固定カメラの垂れ流しですが、作業用のBGVには最適らしいのでどうぞ。
リンク先はこのエントリーの元になった2024年12月16日の稽古の様子。