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田舎で演劇をやっていると、演劇を見る事自体ままならないけれど、さて、なにをどう考えたものか。

少し前に見かけた「演劇をやっている人すら演劇を見ない」というのをずっと考えている。
ただ、どんなもんだろう。演劇をやっているなら実は、本番を見るくらいなら他所の稽古の方が役に立つ気がする。ただ、稽古を見る機会なんて、そもそも無い。
だからこそ、なにかのワークショップにでも参加するか、外に出て学習でもしない限りは、劇団であれば必然的にタコツボ化していくだろう。地方でやっていれば余計にそうなる。他の劇団との交流以前に、公演を見たとして、向き合い方や見て取れるセオリーの存在について考えることになる。

演出をやる人間の視点や、どのくらいの力加減でどんなものを仕上げようとするのか、あちらこちら客演ができる様な役者の人は、どんどん力をつけていくことになるだろうか。
演出家はどうやって他の稽古場の進め方を知るだろうか。
自分の場合は、関西に居た頃に交流があったところの記憶が主で、もう20年以上前の話だ。

「一般的な演劇の稽古とは」という問いを検索したら、どの様な手順が出てくるだろう。
稽古で読み合わせにあまり意味を見いだせなくなってから、かなりの時間が経っている。これは、日常の言葉に近いを使って、セリフにそれらしい節を付けるような言い方の工夫を排除したからだ。互いの距離や、どんな向きでセリフを口にするのか。最近は、連続した一連の思考と互いへの反応の中でどう振る舞った結果、その言葉が出ているのかを追っている。
一緒に身体的な鍛錬をする時間が惜しいので、身体性は最初から捨てて、役者には必要な下半身の筋力を求めることにしている。足りなければ、スクワットか四股を踏んで欲しいとお願いする。
普段の稽古の中に、極力演劇の稽古も含む様には工夫しているし、とにかく、形骸化につながることを嫌う。
昨年の春ごろから発見がいくつかあって、かなり変化している部分もあり、以前まとめてみた、『血パンダはどうやって演劇を作っているか』も、もう少しシンプルに改訂しておこうと考えている。

演劇をしていくなかで、「作、演出」の視点「役者をやっていた、やっている演出」の人の視点、「演出専門」の人の視点にそれぞれ違いがあることは理解した。
戯曲との向き合い方にも違いがあるし、役者からの引き出し方も違う。
どちらにしても、なにか強固なセオリーを確立している場合や、役者から引き出せるものを組み合わせていく人。様々なパターンがある。

ところで、来年2月の公演『辞書に立項されている、どうしようもなくごちゃごちゃしていて、どうにもならないうえに、とてもうるさい音を出すだけのものを表す全ての語彙についてのまとめ』の稽古を積極的に公開していくことにした。
どんな手口で何をやっていくかをさらしていくことで、なにかの足しになったらラッキーというもの。
なんになるのかはさておき、やってみてからだ。
はい。聞き取りにくいですが、抽象的なセリフの処理について、こね回しています。


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