ついに「人質司法」を糾弾する裁判が始まった。

ついに、ついに始まった。「人質司法」自体の違憲性を問う裁判だ。

これは、日本の正義を問う、非常に重要な裁判だ。ほんとはもっと注目されていい裁判だ。相変わらず日本のマスコミや評論家のレベルの低さにはあきれる。

この裁判を簡単に説明すると、罪を否認すると、認めた人に比べて、保釈されにくくなり、様々な権利を侵害されるというものである。

実際、原告の角川氏は否認したため、病気で体調も悪い中、226日にわたって拘束された。
日本の刑事司法は「推定無罪」を採用しており、「無罪」を主張することは人権として許されている。そして、それによって不利益を被ってはいけないことになったいる。
にも拘わらず、実際は、否認すると、長期拘束がまかり通ってしまう。

この裁判の特異なところは、実質的な被告は「裁判所」ということだ。形式上は国を対する損害賠償であるが、実際に保釈の可否を判断しているのは、「裁判所」だから、「裁判所」が被告みたいなものだ。
「裁判所」が「裁判所」を裁く。

しかも、個別の事件とか、ある特定の裁判官が暴走した、という話ではなく、裁判所の長年の慣行を糾弾しているのである。つまり、日本の「裁判所」自体の存在意義を問うているのである。

「裁判所」が今までの自分たちの責任を認めるかどうかという裁判なのだ。

純粋に憲法論とか、法律論で言うならば、人質司法は現に存在し、どう考えても「裁判所」が悪い。しかし、「裁判所」が自ら、自分たちを悪かったと言えるかどうか。

少々、この裁判の結果を予測してみたいと思う。

まず、よくありそうなパターンとして、「門前払い」だ。自衛隊の違憲性とか、裁判所が今までよくやってきた事だ。「訴える資格がない」とか適当に理由を付けて、憲法判断を避ける。

もう一つのパターンとして、完全に「裁判所」の正当性を認める判決だ。
その場合でも、厳格な法解釈は避け、「日本の裁判は、裁判官個人の自由心証にゆだねられているのであるから、その結果について責任は問われない」
ありそうなパターンである。

また、一部「裁判所」の責任を認めるにして、この角川氏の事件という非常に限られた条件の中での話で、裁判所の今までの慣行自体を否定するような判決はしないパターンである。

とにかく、憲法解釈、法解釈を厳密にすれば、裁判所に非があることは確かだから、それをできる限り避けるだろう。

ただ、昨今、最高裁は、人権に関して、すこし積極的な判断をするようになってきた。例えば、同性婚の問題や、LGBTなどの問題である。

その流れで、少しは、人質司法に関して「裁判所」の反省が見られる、あるいは、保釈の可否をめぐって、何らかの基準みたいなものが示される判決がでる可能性もある。

もし、そうなら、これは日本の司法にとって進歩だ。

私は、人質司法は、マスコミや評論家の責任も非常に重いと思う。保釈して被疑者が逃げたりすると、マスコミや評論家は保釈を認めた裁判所を非難したりする。また、事件があると、すぐ「逮捕しろ、逮捕しろ」と叫ぶ。日本全体が逮捕を完全に懲罰と勘違いしているのである。

人質司法は、検察によって請求され、裁判所によって実行され、そしてマスコミ、世論によって後押しされる。

マスコミや評論家は、もっとこの裁判に注目し、日本の司法について、ほんとうにこれでいいのか、もうそろそろ本気で考える時期だ。
日本は、中国や北朝鮮とは違う民主主義国家なのだから。




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