推定無罪が徹底された社会、人質司法がない社会。はたして、日本社会は耐えられるだろうか?
多くの人が冤罪と戦っています。また冤罪を生まない司法を目指して頑張っています。
冤罪の多くは、裁判所が「疑わしきは罰せず」の理念を軽視したため、あるいは人質司法によって起こります。
では、ある日、突然、裁判官や検事が改心して、裁判所は「疑わしきは罰せず」の理念を徹底し、人質司法がなくなり、多くの被疑者が保釈されるようなったとします。
はたして、このような司法に日本社会は耐えられるでしょうか?
想像してみてください。
「疑わしきは罰せず」の理念を尊重することによって、無罪判決が多くでるようになります。警察や検察がやっと捕まえた犯人に、無罪判決が言い渡されるのです。
特に、「不同意性交罪」などは、無罪判決が多くなるでしょう。
また、人質司法がなくなり、多くの被疑者が保釈されるようになると、逃亡する人や、出廷しない人が多くなります。
当然、マスコミや、世論、SNSは大騒ぎでしょう。
「この国に正義はあるのか?」
なんて、論調があふれかえります。
被疑者が逃亡すると、「弁護士の責任を追及しろ」なんて言い出す元県知事なんかが、わんさか現れます。
なにせ、人質司法を批判していた政党の党首までもが、責任追及しろとまで言い出します。
実際、「疑わしきは罰せず」の理念を徹底したとしても、それほど有罪率が下がるわけではありません。おそらく、99.8%の有罪率がせいぜい、95%くらいになるだけです。
それでもマスコミはこの少ない無罪判決をことさら強調して、「犯罪し放題大国」、「犯罪者天国」なんて書きたてるでしょう。
保釈、逃亡も同じです。実際、逃亡する人や、出頭しない人は、わずかです。
このような批判や、世論に、裁判官や検察官は耐えられるでしょうか?
私は、耐えられず、すぐに元の司法に戻ると思います。
それでも、そんな批判を無視して、原理原則を守り通せば、私は、日本国民はそのうち慣れると思います。
日本国民は、新しいことには抵抗感が強いですが、慣れると、けっこう従順になるところがあります。
しかし、たぶん、元に戻るでしょう。裁判所や、検察はそれほど世論を重要視します。
結局は、国民が変わらないと、変わらないという事です。
戦う相手は裁判所や検察ではなく世論です。
そもそも裁判官や、検察の裁量に任せる司法改革は無理があります。仕組み自体を変える必要があります。一例をあげます。
「疑わしきは罰せず」の理念を徹底するなら、
有罪判決は、全会一致(ただし裁判員裁判の場合は2名まで反対意見を認める)
無罪判決において、検察の控訴、上告禁止。(量刑はいい)
ここまでするべきです。
ついでに、死刑判決は、一審から、最高裁まで、かかわったすべての裁判員、裁判官全員の賛成を必要とするべきです。
多数決で人を殺すなんて間違っています。(私は死刑賛成派です。)
保釈に関しては、
殺人や強盗は厳しくてもいいのですが、少なくとも、経済事件とか、政治資金関連の犯罪の場合は、事実関係に争いはなく、法の解釈が問題になることが多いです。こういったものは、解釈次第で、有罪、無罪が決まるので勾留する事じたい不条理です。
原則、取り調べのための48時間の勾留は認めて(もちろん全可視化、弁護士立ち合いOK)、以後、例外なく保釈するべきです。
これらのことは、別に特別なことでもなんでもありません。
アメリカでは普通に行われています。(訴追側にもっと厳しい)
アメリカも日本に劣らず、処罰感情の強い国と思います。「西部劇」を見てると、そう思うし、死刑制度も一部残っています。
アメリカにできるなら、日本でもできると思います。
私は、早くそうなることを願っています。
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