『夢をかなえるゾウ0~ガネーシャと夢をかなえるバク』を読んで
夢を持っているだろうか、私は。
夢とは、この本では長期的な欲求ということになっている。すぐに実現できないが、成し遂げたいことだ。お金もちになりたい、高級車に乗りたい、優しいい家族とともにいい生活を送りたい・・などといったところか。
僕に夢はあるか。
すぐにはおもいつかない。僕には子供が2人いるから、この子たちが立派なまっとうな大人になって、それこそ自分の夢をもって生きがいをもって暮らせるような手助けをしたい。そのために衣食住を彼らに提供して安全な場をつくってあげて、彼らが挑戦したいときに挑戦できるようにしてやる。それが僕が望むことで、これは今もやっているし、これからもやりたい、こと。夢とはちょっと違うけど、長期的な欲求ではある。
アイスクリームを食べたい、休日前に思いっきり眠りたいといった短期的な欲求とは違う。
この本は、入院したときに談話室に置いてあった本。僕は何度か入院しているが、この談話室においてある本を読むのが好きだ。前回、腸の病気で入院した6,7年前も、本があって、読んでいた。その時は漫画で、百田直樹の漫画があったっけ。有名な本だが、名前がおもいだせない。特攻隊を描いた本だ。
アインシュタインは、自分がしたい勉強しかしなかった。社交性もなく、学校のせんせいからは疎んじられていた。その先生の評価基準に合わない子を、先生は褒めないのだろう。アインシュタインはそれを気にしない強さをもっていたから、相対性理論という大きな発明ができた。現代で言うなら、棋士の藤井聡太くんもそうなのかな。ダーウィンも、虫を収集する癖を父親から批難されていた。家族として恥ずかしい、と。でもダーウィンは好きなことをやり続けた。誰しもそんな、自分の好きなことがあるだろう。でも、人から何を言われようともやり続けられるのが、本当に好きなことだ。何か非難されてやめるようであれば、好きの度合いがそれほどでもないのだろう。(P143)
キャンプ場などの自然のなかで過ごしたり、夜の星を眺めたり、雨の音を聞いたりしていると、不思議と心が落ち着くことがあるという。これは人間の目に見えるものや耳で聞こえるもの以外の、周波数を持つものがあるからという。だから、理由が分からないけど、心地よさを感じる。人間が聞き取れる
夢を持つこととかなえることは違う。僕は夢を持っているか。かなえることはまだだとしても、そもそも持っているか。夢を持てば、それまでのいろんな苦労や試練、また日々の行動ひとつひとつの意味が全然変わってきて、それが夢を実現するための伏線になるという。夢をもつことで、日々の暮らしが豊かになりそうだ。(P213)
よくすごい有名な観光地に行っても、満足しないことがある。有名な温泉地の、そこそこの旅館にとまっても、それは評価されているかもしれないけれど、自分がそれを楽しめるかどうかは別。それをこの本では、意味をもつ、ということばで言語化してくれている。素晴らしい温泉に入っても、それが評価を得ている温泉を経験することに重きを置いていれば、必ずしも満足できないだろう。だが、温泉を家族で一緒に楽しみ、1年の疲れをいやし、語らい、そこの地元の食を味わい、豊かさに浸ることができれば、きっとそれは自分に意味のある行為になり、意味のある体験になる。であれば、それは有名な観光地である必要もなく、むしろ何の変哲もない場所でもよいのである。近場で、自然の豊かな場所なら、生きやすいし、前述のように都市内にはない周波数の現場がある。そこでは癒されるだろう。(P389)
ピクニックに行って、コンビニ弁当より、手作りのおにぎりを作っていった方が美味しい。なぜなら、それは誰かや自分が、その食事を楽しむために、自分の手で時間をかけて作ったものなので、みんなに意味のあるものなのである。コンビニで買った弁当は機能的で楽に手に入るけど、意味のあるものとはいえない。
スティーブジョブズは、14歳になるまで、スマホをわが子に与えなかったらしい。すぐに答えを教えてくれるスマホに頼るのでなく、じっくり課題に取り組んだり、すぐにはかなわない願望や希望をかなえることに取り組ませるためだ。(マシュマロ実験の話から)
ユングは、大自然のなかに電気も水道もない別荘をもっていて、瞑想に使っていた。なにも文明のないところでは、実物しかない。なにをするのにも自分でするしかない。そうすれば人間は生まれたときに戻れるのだろう。(大自然のなかで過ごすことの大切さ)
実物を見ることの大切さ。実物に触れて、世界の楽しさを知る。自分の興味が何かを知る。自分を知ることにもなる。自分の夢を知ることにもつながる。インターネットを1日絶つ日を僕も設けたい。
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